2017年02月10日

リタイアボランティアAさんとの出会い


ユニスとリタイアボランティアAさんとの出会い
 Aさんご夫婦とは2代目盲導犬からのお付き合いである。
 2代目の盲導犬ハピネスのPW(パピーウォーカー)として関わってくださったの
が最初で、ハピネスが活動を終えてリタイアとなったともご夫婦のお家で余生を
過ごし、亡くなるのを看取ってもらった。
 ハピネスが亡くなってからも、近くにこられるときは、ときどき拙宅へも立ち
寄ってもらってお話をすることがあった。
 ご夫婦が来られると、ユニスのテンションは急上昇。特にご主人に対しては身
内に対して喜ぶほどの歓迎ぶりで、「これはリタイアしたら預かって欲しいとい
うアピールではないでしょうか?」と笑い合ったものだ。そうしたことが何度か
あって、「これは預からぬわけにはいかないな」と、ユニスのパフォーマンスに
押し切られて預かってもらうことになった。

 私とユニスの晩年を日誌の中からみてみると、ユニスが10歳の誕生日を迎え
ようかというときに、担当訓練士の方から「代替をそろそろ考える時期ですね」
と言われる。心のなかでは「もう少しは大丈夫」とい思いはあったが、10歳を
超えるころからは、散歩のさいは、「またか!」というように動きが緩慢でこち
らがハーネスを前に押しやらねばならないときも出てくる。それでも外出時は元
の盲導犬に戻ったようにしっかり歩く。老いてきたのか、国際会館から会議出席
者の歓迎の花火が打ち上げられると、その音に怯えて震えだすようになる。
ユニスが10歳の半年くらいのときに白神山地のツアー旅行に参加する。プロペ
ラ機に乗ったり、比較的小さなバスの後部座席にダウンしたり、旧斜面の上り下
りがあったりで、散歩の動きからすると、よく付き合ったな、と振り返って思う
が、そのときはしっかり盲導犬に戻っていたから不思議なものだ。
しかし、毎日の動きをみていると、これ以上盲導犬として活動させていくのは可
哀そうでもあり、自分の行動面でも支障が出てきそうなので、代替を急いで欲し
い旨訓練センターに要望する。ユニスは、何となく心細いのか人の後ろを追うこ
とが多くなる。
代替の候補犬がショウトステイとして我が家へやってくる。その間ユニスをAさ
んのお家で預かってもらうことになる。
白神山地・林.JPG
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2017年02月02日

3頭目の盲導犬ユニス逝く

 私の傍で9年間、盲導犬として立派に仕事を果たしてくれたユニス。
1月初旬に「数日前からユニスが食事も取らず水もほとんど飲まなくなって、お
むつが汚れたときだけ動くけれども、ほとんど動かず、家族の者が離れると泣い
たりする」と、リタイアボランティアをしてくださっているAさんからメールが
入る。
 何時の日か、こうした連絡を受けるときが来るだろうとは思っていた。
十日ほど過ぎて、Aさんから、ユニスの生命力は獣医さんも驚かれるほど粘り強
くがんばっている、との連絡があったが、その数日後、口に潰瘍ができ、何処か
痛みがあるのか頭を床に打ち付けるようなこともしていたが、今朝はほとんど動
かなくなったので、会いに来てもらったらどうだろう、と電話をいただいた。午
前中には所用があるので午後から寄せてもらうということで出かけたが、その出
先で「ユニスが亡くなった」との報告を受けた。15歳の誕生日を後3週間ほど
で迎えるという日であった。
 翌日、 盲導犬として育てられた訓練センターに帰ってお別れの会をさせても
らうのがユニスにとっても幸せではないかとのAさんご夫婦のお気持ちもあり、
日曜日にも関わらず多くの職員にも見守られる中で献花・お見送りをさせてもら
った。
 ユニスの頭に触れてみると、何か言いたげに頭をもたげてきそうな感触。ただ
ただ「いろんなことも言いたかったろうに、黙って目の代りとして、家族の1員
として付き合ってくれて、ありがとう!」との思いで手を合わせた。
 4年間、暖かくそして衰え逝くユニスの傍らで四六時中お世話してくださった
Aさんご夫婦。ご夫婦をしっかりサポートしてくださったリタイア犬担当のO職員
さん。それに我々夫婦で火葬場に向かった。
1週間前なら大雪で通れなかったという急坂を上る。
Aさんご夫婦にとっても、私にとっても、動きやすい日を選んでユニスはがんば
ってくれたのかもしれない。
 1時間半ほどかけて焼かれて上がってきたユニスのお骨は、頭蓋骨も顔面もし
っかり原型を止めており、掌の上に置いてもらった犬歯・尻尾の骨・足指にいた
るまで崩れることなく触れることができた。
ここにいたるまで、ユニスはしっかりその存在感を私たちに示してくれた。

※次回から、ユニスとの生活を通して感じたことを振り返りつつ辿ってみたいと
思います。
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2014年08月04日

ユニバーサル商品づくりを

長年使ってきたソニー製のアンプ。この暑さもあってかついにダウンしてしまった。
このアンプ、見えない者にとっては分かりやすいディザインとなっている。オン・オフの電源の部分は押し込むと「オン」、それを押すとぽんと飛び出して「オフ」となる。凹みの具合でオン・オフが見極められる。昔は全てこの形であった。ところが今は、トグル式となって電源が入ったかどうかは、その凹凸では分からない。
また、アンプに接続しているプレーヤー・CD・チューナー・MD・カセットデッキなど、それぞれに選択できる大きなキーが付いている。場所さえ覚えておけば直ぐに目的のsourceを選べる。

修理不能ということであればやむを得ない。量販店へ出かける。ずらりと並んだもの、その多くが同じようなディザイン。全面真ん中にぼんとボリューム摘みがあり、その左右に電源ボタンとチューナーやCDの切り替え摘みがある。
まず、電源ボタンは何か音源をつけておいてボタンを押すことで音が聞こえて来るかどうかを見極めねばならない。この音源にしても、今持っているものは手触りでオン・オフが分るものがあるので、それをオンにしておくことで確認できるが、全てトグル式になったら面倒なことになる。
音源を探すモード切り替えスイッチも文字通り手探りの状態でくるくる回しながら耳を澄ませることになる。一応、このモード切り替えスイッチの感触が分かりやすいものを選んで購入する。

翌日、搬送されてきたアンプ。作業員に、プレーヤーからMDデッキまで、これまで使ってきた音源を六つの端子に繋いでもらう。今まで使ってきたアンプはカセットデッキも繋いでいたが、端子の数がないので、もしかしてテープをバックアップしなければならないときは端子を差し替える必要がある。
作業員いわく「今はコンポが多いので、こんなにいろいろな接続があるものは、作業ができない人もいますよ。いろいろ勉強になりました。面白かったです」と、おそらく視覚障がい者の客の所へ持っていくのだと聞いてきたのだろう。
彼らが思っていた状況と何がどう違っていたのかは定かでないが、幾つもの音源を耳からの情報だけで操作していることがそう思わせたのかもしれない。

同じころ、これも5・6年は使っているワンセグテレビの聞ける携帯ラジオ。リーブオンで知らせてくれる部分が使えなくなってしまった。
これもソニー製のものだが、なかなか親切なもので、まず音源のボタンを押すと「オン」の場合には2度ピッビといい、「オフ」にすると1度ピッという。テレビとAM・FMの切り替えボタンは、テレビがピッビと2度なる。選曲レバーが六つ並んでいるが、三つ目の所にはポツが付いている。選曲する場合、6チャンネル以降は2のレバーを2度叩くと8チャンネルになるが、そのさいにもピッピッと2度リーブ音が聞こえるので2チャンネル・8チャンネルの見極めがつきやすい。これらのリーブ音がならなくなって、いかにも使いにくい物体に変わってしまったことがよく分かる。

ならば、屋内でiHoneを使ってテレビが聞けるというJcomが宣伝しているものを使ってみようかというので、その設定工事に来てもらい、iHoneにアプリをインストールしてもらって、さて使えるか試してみると、ボイスオーバーに対応しておらず、手も足もでない。せっかく設定してもらったものではあるが、これでは使い物にならず再度工事に来てもらって元の状態に戻してもらう。

リーブオンのならなくなったラジオの代替えを求めて量販店へ、ありました!やはりソニーのラジオで前に使っていたものと同じようにリーブ音がついたもの。これを手にしたときはホッとした思いだった。

企業は、もっと多様なニーズのあることを踏まえて、たんにディザインだけに拘るのではなく、より広い視野にたって個々のユーザーに対応していける技術を競って欲しい。
少なくとも音響製品などは「耳から楽しむ」ということを考えれば、視覚障がい者などは、顧客としてのターゲットに入っていて良いはずだが。

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2014年07月30日

利尻・礼文への盲導犬とのツアー旅行 (その4)

CIMG0887.JPGCIMG0884.JPG「なぜ盲導犬にコートを着せるの?」

前日の、宿舎、、部屋の中にあったユニットバスは、湯に浸かるのがやっとであった。それで、添乗員のTさんに「今日の宿舎の風呂は昨日と同じようなものでしょうかね」とさりげなく尋ねておいた。
Tさん、宿舎に問い合わせ、交渉してくれたのだろう「午後10時からだったら家族風呂を使ってもらっても良いということですが、どうですか?」と尋ねてくれる。常なら寝ている時間ではあるがお願いすることにする。
午後10時を待って風呂のある別棟へ向かった。早春を思わせる気温の上に強い風、持参したセーターを着込んでも身が縮む。
しかし、数人が入れる湯殿にゆったり手足を伸ばし、頭から足の先まで洗って、再び外気に触れたときは、心身ともほっかりと、行きの寒さは感じず、その夜は気持ちよく眠れた。

翌朝、朝食をとるために別棟へ向かった。ここではスリッパに履き換えねばならず、おっくんの手足を拭いていると、後から来たツアー客が、行く手を阻まれながらも、「まあ、今日は、また違うコートを着てるんやね」と話しかける。「そうなんですよ、犬の方が我々より衣装もちですよ」とおっくんに代わって笑いながら返答する。
実は、昨日も別のコートを着せていて三日間それぞれ違うものを着せているのだが、目立つものとそうでないものがあるようだ。
このコート3着と、朝夕のフード三日分とホテルの部屋の中で伏せさせておくときに敷いておくシートなど、犬に関する荷物で私のリュックはそれなりの量となる。
犬のコートについては、「あんな窮屈そうなものを毎日ファッションのように着せ替えて」と見ている人が少なくないのではないかと感じている。そんなこともあって、ツアー旅行の中では、ことあるごとに「犬の毛が少しでも周囲へ飛ばないようにするためのマナーコートです」と説明するようにしている。そうすると、「へえ、気を使ってくれたはるのやね」と、知って、はじめて理解してもらえる。

花の島礼文島は高山植物の宝庫である。車もほとんど通らない散策路をガイドの説明を聞きながら歩き出す。レブンなになに草などの名前がいくつも出てくるが目に留まって初めて名前が覚えられるもので、たんに耳から名前だけが入ってきても記憶にはほとんど残っていない。途中までは説明を聞きながら歩いていたが、とにかく寒い!両方から海が迫る場所もあって風も強い。おっくんの調子も日常に戻っていることもあり、車の通らない道ということもあって残りの15分ほどを早足で歩く。何の障害物もなく手をしっかり振って歩くのも久しぶりである。
再び、稚内へ戻ってみると、そこはまぎれもなく夏である。

おっくんにとっては初めての遠距離の旅行。腸の調子もようやく回復時期というときで、多少気がかりな中で出かけたが、結果としては無事に、そして歩きのサポートはしっかりと「グッドグッド!」である。
また、ツアーのメンバーの人達とのコミュニケーションを得るためにもおっくんの存在は大きい。
そして、三日間を通して実際に盲導犬と視覚障がい者が一緒に行動する姿を目の前にして、犬にはあまり関わってはいけないこと、視覚障がい者に対する最小限の関わり方のなにかしらは感じ取ってもらえたのではなかろうか。

同じツアー旅行会社を使っていることで、盲導犬が、視覚障がい者が、何ができ、どんなことに不自由しているかを、それなりに理解し、添乗員仲間の中でも伝えていってくれている部分があることは心強い。

これからもチャンスがあれば盲導犬と共に新たな発見を求めて出かけていきたい。
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2014年07月24日

利尻・礼文への盲導犬とのツアー旅行 (その3)

CIMG0850.JPGCIMG0859.JPGCIMG0879.JPG盲導犬を通して知ってもらえること
夕食は、海に沈む夕日を一望する窓際のカウンター席。雲丹三昧のメニューとはどのようなものが出て来るのか?日頃は、にぎり鮨の中にある雲丹などは避けていたくらいなので食べられる物が出て来るだろうか?と楽しみというより不安半分で運ばれてくる内容に注目する。
雲丹は輸送中に崩れないようにミョウバンに付けられているようだ。そのことが原因しているのかどうかわからないが、味わいが変わってしまうようだ。なるほど現地で食するものは、ツアー客の言葉を借りれば「クリームのような」というのがまさに当たっているような味。

食事を終えて午後8時を過ぎても、まだ外は明るい。明くる朝、午前3時過ぎ、もう外は明けている。まさに白夜である。
朝食までの時間散歩に出る。他のツアー客も多く見受けられる。「ワンちゃん元気になりましたか?」とあちこちから声がかかる。昨日、胃液を出したことを添乗員から聞いておられるのだろう。「ワンちゃんと一緒に写真に入らせてもらってもよいですか?」と犬をはさんでシャッターを切ってもらったり、「獣医師が使う内視鏡を作っているんです」というような話から会話が進んだり、盲導犬効果はいろいろなところで力を発揮する。
利尻山は、そのときどきで表情を変えるそうだが、早朝の景色は見事なものであったようだ。

利尻島での観光で印象に残っているのは、姫池の散策、池の周囲は1・2km・木道が続いているという。上高地の木道を体験したときは途中で引き返したことがある。木道の幅を聞いてみると、あのときの幅よりは広いという。犬と私と家人が横に並んで歩けるほどというので出発した。しかし、3分の1も行かぬ所から幅が狭くなり、家人を前に、その後ろからおっくんと私が付いて歩くという形になる。こういうときに白杖を持ってきておいたら自分で足元を確認できたのに、と悔やんでみても後の祭り。おっくくんは、左端ぎりぎりを歩き、私もすり足に近い状態で前進。指先だけで家人の肩や背中を触れると「もっとしっかり持っていないと」と、家人はその不安定さに不安を感じるようだ。しかし、私としては、もし、ふらつくようなことがあって不用意な力が加わった場合、家人を押してしまわないかとの心配の方が強く、できるだけ言葉で事前に状況を説明してもらいながら、ちょっと広い場所にでたときは後続から来る人たちに「どうぞ」と追い越してもらって周囲の風景説明を聞く余裕もあまりないまま、「後どれほどの距離?」と後ろから問いかける回数が多くなる。元の場所へ戻ってきたときはホッとの思い。

ツアー客の中に介助犬に関わってきている人がおられ、その人いわく「狭い所を歩くとき、犬は右足に力を入れてサポートしていましたよ、と犬の動きについての状況説明もしてもらう。

船に乗って利尻島から礼文島へ。
レブンアツモリソウを見るための群生地遊歩道へ入れるのは今日までらしい。
レブンアツモリソウは「種の保存法」による特定国内希少野生動植物種、環境省レッドデータブックの絶滅危惧種に指定されており、礼文島内でも生育している場所は限られており、この群生地は、盗掘防止のため監視員が常駐している
監視員の目の前を通り過ぎようとすると、「犬はだめ!」と声がかかるが、添乗員やツアー客の中からも「盲導犬です」という声が上がり、そのまますんなり入ることはできたものの、その貴重な花に触れさせてもらうことはできなかった。なんでも、その丸い花の中の蜜を食するのは女王蜂のみだという。



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2014年07月15日

利尻・礼文への盲導犬とのツアー旅行 (その2)

    「盲導犬ユーザーに対する配慮」

宗谷の岬ではハマナスの花に触れてみる。思っていたよりは小さな花弁で細やかなところまでは触察するのは難しく、ならば、何時も旅行で楽しみにしているソフトクリームで食察してみる。ほんわか北端で味わうバラの香りが漂ってくる。
観光バスに乗り込む前、「盲導犬のためには、どの席が良いですか?」と添乗員のTさんから訪ねてくれる。「一番後ろがゆっくりしていそうなので」と、自由席になってもいる最後尾の席に座る。それでも、そうそうゆったり盲導犬が寝そべれるだけのスペースはない。揺れも前の席よりはそれなりに強い。
窓外には、あちこち「最北端の」の表示が見られるとか。大きな風力発電機が何機も並んでいるようだ。

稚内港に付く。礼文島へのフェリーに100分程乗ることになる。ツアー客はカーペット敷きの部屋で適当に寝そべって時間を送ることになるのだという。ここでもTさんが「別料金にはなりますが、椅子席のあるラウンジがあります。どうされますか?」と訪ねてくれる。「それならラウンジで」と即座に決める。Tさんに同行してもらってチケットを買いに行く途中、急におっくん立ち止まる。「えっ!ここで大便でも催したか?」とかなりあせる。数日前から日に2回の排便ペースで来ているのでありえないことではないが、通常外出先の道路上で催すことはこれまでにはなかった。それでも、早朝から出かけ、幾つも乗り物に乗ってきた今!急いでハーネスに取り付けてあるバックの中から排泄用のベルトと袋を引っ張り出して、「ちょっと待ってよ!」と声をかけながら尻尾に袋を括り付ける。その直後おっくんは口から胃液のようなものを吐き出す。やはりバスの振動がこたえたのか?あるいは、朝早くフードを食べて、通常なら夕食のフードを食べる時間に近づいたことから胃液がでたものか?しかし、その後は通常の状態になってほっとする。

フェリーに乗船、ラウンジ席に上がると、まだ誰も他には乗客はいないようだ。担当職員が「何所でも好きな処へ座ってください」と、ここでも犬がダウンしやすいように気を使ってくれる。そして、ならばと座った席の番号は、「マルマル番を売らないように」と、チケット売り場に無線で連絡を入れてくれている。
出港とともに、「流氷とけて春風吹いて」とダ・カーポの宗谷岬の歌が船内に流れる。おっくんは、今度はゆったりした足元でリラックスしたふうに横向けに寝そべる。トイレに立つとやはり船ドクトクの揺れを感じるが椅子に座っているとバスに揺られているよりはるかに静かで、この分ならおっくんもほっとできるのではなかろうか。

利尻に近づくと、今度は利尻島の歌なるものが聞こえてくる。ICレコーダーもバックに入れておいたので、記念のためにと録音ボタンを押すがあまり良い録音はできなかった。
利尻の桟橋を降りると風の勢い・冷たさが違う。朝、家を出たときは半袖姿であったが、長袖の上着をはおる。

 今夜の宿舎は雲丹を食べさせることで有名だという。割り振られた部屋に入ると、まず気になるのがトイレやふろのスペース。これは、犬のトイレをさせる場合にも、そして、私が大きな風呂場を使えないことから自室で入浴したいという思いからも重要なポイントであるが、残念ながら何れの点からも厳しい状況。
ただ、部屋を出て真向いの所に非常口があり、そこを出ると広いベランダのような空間があって、ここなら袋をつけて排泄をさせるには十分なスペース。

これまでのツアー旅行でもそうであったが、私が視覚障がい者であることを配慮して避難をしやすい場所を部屋割りとして当ててもらっていることを感じている。


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2014年07月12日

利尻・礼文への盲導犬とのツアー旅行 (その1)

 CIMG0848.JPG   「なぜ、盲導犬の名前を知らせたくないのか?」

 今年、北海道は例年にはない梅雨空が続いていたという。
しかし、幸いにも我々が出かけた数日間はすかっと晴れた日が続いた訳ではないが、利尻富士の山並みをしっかり見ることができる瞬間もあったようだ。

我が盲導犬「おっくん」も、出発日の数日前から便が緩み、欠食させることから徐々にフードを増やしている時で、当日を迎えるまで一緒に行けるかどうか便の塊具合を見ながらの様子見であった。
それでも、療養食を与えていることもあって、ころころした便を出して、フードの量は日ごろからみるとまだ少な目ではあるが、動きは変わらず、体重もさほど減ったふうでもなし、何よりも外出を喜ぶこともあって、一緒に出掛けることにした。

先代のユニスは、北は北海道から南は石垣島まで全国をあちこち出かけていたが、おっくんは、飛行機も船も初めてである。

早朝4時過ぎにフードを与え、5時過ぎにはタクシーに乗り、リムジンバスに乗り換えて、伊丹から8時には羽田行きの飛行機に乗っていた。
いざ離陸するときに、どんな顔をするかと思っていたが、「ん?おや!」とちょっと頭をもたげかけたが、特に変わった様子もなく、羽田へ到着。
ここで、空港内の車いす用トイレの中で、おっくんの胴体にまき付けたベルトに袋を付けて、その中におしっこをさせてすっきりしたところで稚内行きの飛行機に乗り換える。

この飛行機は羽田行きよりはちょっと小さい。我々は一般客よりは一足先に乗車させてもらって、盲導犬がいることもあって、家人と二人だが3人用の座席を提供してもらっている。
一般客が全員乗り込むまで、客室乗務員の一人が私の手をとって、ヘッドフォンの扱い方などを教えてくれる。そして、「左前方と、こちらの右方向に避難通路があります」と説明してくれる。「11時方向と2時方向ですね。我々にはクロック表示で言ってもらえると分かりやすいですよ」と伝える。「なるほど、勉強になりました」と納得の様子。
しかし、こうして丁寧に案内してくれたのは行き帰り4回の内、このときだけである。
社内教育として見えない者に対する指導が成されているのかどうか?

稚内に降り立ったところで、今回担当の添乗員Tさん、盲導犬を見て「ユニスくんですか?」と、前の担当添乗員から話は聞いているようだ。「いいえ、ユニスは引退して新しい犬です」、「名前は何というのですか?」。この問いかけは同行のツアー客からも何度か発せられた。それに対して、「すみません、おっくんとしておいてください。皆さんが名前を呼んでくださると犬は気がそちらの方へいって仕事に集中できないことがありますので」と、一見あいそのないような返答を返すが、「なるほど!」と、その受け入れは抵抗のないものであった。
先代のユニスは、その名前を旅行中公表していて、それで特に問題を感じた訳ではないが、ツアー客それぞれが生活の場へ帰られたときに知り合いに盲導犬のことを話される時に、「盲導犬ユーザーは、なぜ犬の名前を教えたがらないのか?」を伝達してもらえたらという思いからである。

posted by よろてん at 21:16| 京都 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

盲導犬乗車を拒否したタクシー

三日間のツアー旅行からの帰途。
今回のツアーでは、朝早く出迎えにきてくれたタクシーに始まり、空港バス、飛行機、昼食を取る店、観光バス、島へ渡る船、宿舎、何処でも何の問題もなく、理解ある対応に接して気持ちよく最後の乗り継ぎであるタクシーに乗り込もうとした。
ところが、乗り場の先頭で待っていた運転手から、「犬はだめ!」と久しぶりに聞く言葉。「盲導犬ですよ」と念押ししても「だめ!」。
ならばと後ろに続いている車に声をかける。「前の車が動かなかったら、この車も出せないので」という。
乗り場から外れた所から別の車を拾おうかとも思ったが、とにかく拒否した運転手を特定しておく必要はあると思い直し、同行の家人に会社名と車のなんばーを見てもらう。
これで気が変わったのかどうか、先の後ろの車の乗務員が「乗って」とサインを送ってきた。
乗車したものの、前の車をすり抜けて前へ出ることが狭くてできない。
なんと、前の車も、今こうして乗車した車も同じH社(本当は実名で出したいところ)のタクシー。
乗り込んだ車の乗務員も「前の運転手の名前も知っているけど自分でいうのはちょっと!」という。
同業者なら、「お前が乗せないのなら前を空けて何処かへいけ」くらいのことを言っても良いはずだが、とにかく前の車に別の客が乗り込むまで待つという時間がしばしある。

この件について、早速、盲導犬協会の担当者に連絡する。
担当職員からH社へ申し出た結果として、車のナンバーを伝えておいていただいたので、拒否した乗務員は特定でき、その乗務員に対して、昨日、あらためて対応について指導を行い、1日間の乗務停止処分を課した。拒否した乗務員は、どうしても犬が苦手でとっさに断ってしまったが、その対応について反省しているとのことでした。のこと。
もし、見えている者と一緒でなければ、おそらく後ろの車の運転手も、私を乗せたかどうか?

かりに乗せたとしても、拒否した運転手を特定する手がかりは教えなかったろう。

タクシー乗務員から「見て見ぬふりをしてやり過ごす同業者もいる」と聞く。
手を上げていても、なかなか近づいて来ないというような時、そうしたことが現実としてあるのかもしれない。

業界には強く指導をしていただきたいとともに、街中で、そうした場面に遭遇されたとき、
ぜひ、拒否した車の社名やナンバーと場所・時間を、その会社へ、あるいは、関係施設へ申し出ていただきたい。

そうした市民の皆さんの協力、「目」があちこちにあることで、視覚障がい者の単独歩行も容易になっていくことだろう。


posted by よろてん at 14:40| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月11日

音響信号機

一人でも多くの市民の人達に視覚障がい者のことを知ってもらい、町中で見えない人を見かけたときに気軽に声をかけてサポートしてもらえたらと、左京区に続いて北区でも講座を開催している。

見えない者にとって、視覚に変わる情報源は「言葉」である。自己紹介をしてもらった後で、何時もやっているのが「他己紹介」。受講仲間となった横の席の人を見て、言葉で、その服装や表情などを伝えてもらう。

そして、講座用の資料を順番に声を出して読んでもらうようにしている。

見たことを即座に表現すること。文章を聞いている人にも分かるように伝え読むこと。そうしたことを通して、視覚障がい者には、言葉による情報の大切さ、伝えていくことを感じ取ってもらえたらと願っている。

また、毎回、講座を終えてのレポートを提出してもらっている。

「こうした内容をもっと子供のころから知らせていったら良い」という意見や、「これまでは、どうしたら良いか分からず、ただ見ているだけだったが、これからは声をかけるようにしていきたい」という実践に結びつく感想も。

音響信号機の話もしているが、受講者の関心は、その音の違いで南北・東西に別れていること。これまでは、音そのものも、さほど気にしていなかった人には大きな発見になったのだろう。

それはそれて良いとして、話題提供者としては、もう少し違った角度からの話にも気を向けておいてコメントが欲しい、というのが思いである。

音の信号機は、早朝・夜間は音を出さない。それは近隣住民からの申し出によるもの。
ところが、視覚障がい者にとっては、人の往来の多いときよりも誰もいない時こそ赤・青の判断のできる信号機が必要となる。

このように、見えている者と見えない者が地域で一緒に生活するということは、いろいろな問題を抱え、一緒に考え合っていかねばならないこともある、と伝えている。

しかし、多くの人の関心事は「物理的」な側面に集注する。

本講座において、視覚障がい者を対象者として考えるのだけではなく地域で一緒に生活する上で、自らは、これまてどのようなスタンスで関わってきたのか?そして、この講座を受講した後、その思いは変わったのか?

そうしたことにも言及してもらえたらと思っているが、現実には、そこまでの踏み込みは難しそうである。
posted by よろてん at 19:26| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月15日

盲導犬とアイホーン


 これまで使っている携帯は、音声で操作を指示してくれるし、キーが触って分かる状態で、数字ボタンも5の所にボツがあるので瞬時に判断ができた。
1・2年前から視覚障がい者関係者の中にも、スマホ・アイホーンを使っているという情報があり、現に持っている人を見かけた。その人に訊ねてみると、「初めは高いおもちゃのつもりで買って見たが、ボイスオーバーという音声もあってけっこう使える」という。
息子が家に来たときに、アイホーンなるものをボイスオーバーオンにして試してみたが、実際のところつるつるした箱であって、果たして使えるものなのかどうかは疑問であった。しかし、可能性があるものならチャレンジしてみたい!その思いは残った。

現に使っている人で教えてくれる人があればできるかも!
そんな思いで人づてに辿っていくと詳しく知っている人に辿り着いた。

しかし、直ぐに電話やメールが携帯と同じように使えるかどうかはかなり不安もあり、ふみ切れぬままに時間が経過した。
それでも、盲導犬と歩きながらGPS機能を使って町を歩いて見たい!その思いがアイホーンを持つ後押しをしてショップへ出かけた。

それから2ヶ月ばかり。まだ外出時の電話は携帯が確実な状態ではあるが、幾つかのアプリに挑戦しつつある。
中でも、興味のあったGPS。設定がうまくいかず、何度もアドバイザーに尋ねた結果、ある朝、散歩に出かけたイヤホーンから「38m1時方向・何々バス停」とかお店を距離とクロック表示で案内してくれるようになる。ようやく設定がうまくいったようだ!もやもやしていたものが解決した開放感もあって足は地下鉄の駅まで延びる。

駅でターンして帰り道。同じ道を通っては面白くないと、一筋手前の道を折れることにした。イヤホーンからは「何々高校」と案内。家に帰るためには左へとっていかねばならないので、「レフト・ゴー」と、曲がり角があったら左へ曲がろう、という指示を出す。その内、足の裏にグランドのような土の感触が伝わってくる。校内へ迷い込んでしまったようだ。「ゲート」と、入ってきたであろう門を探させるが、なかなか脱出できない。近くには車の走る大通りの音も聞こえている。ぐるぐる同じ所を回っている感じで盲導犬の足取りも不安げになってくる。誰か近くを通る人があれば声をかけて聞いてみるのだが、早朝で誰もいない。困った!その内、犬も座り込んでしまう。

やむなく、アイホーンと一緒に持ち運んでいる携帯でテレビ電話を使って家人に、この当たりの状況を見てもらおうと思ったが、うまくいかず、結局現地まで来てもらうことになる。そこはテニスコートで、押して入いると自然と閉まるようなゲートがあり、そこから入ってしまったようだ。

こうした失敗もあるが、これから徐々に目的に会わせた設定もできるようになって来るだろう。

町を歩いてみて、まだまだアバウトな距離や方向の指示であることを認識するとともに、今後のアプリに期待したいことがある。
交差点でも、信号の有る所・無い所がある。まず、この判別ができる機能が欲しい。
次に、赤・青を的確に指示してくれる機能、音響信号機があっても、朝や夜には音は出なくなる。
将来的には、こうした機能を持つ機器を個別に持つことによって地域住民とのトラブルも解消されることになる。

アイホーンについては、まだまだ使っている、というレベルには達していないが、このアイホーンが持つ利を視覚障がい者にどう生かしていくかを探求しながら手探りのジェスチャーを続けていきたい。
posted by よろてん at 21:05| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする