額に手をやると皮膚が上下に微かに動くのが分かる。
母の意識が微かでも残っている間に言っておきたかった「ありがとう!」を耳元で声に出す。しかし、この言葉を口にしたら、きっとこうなってしまうだろうな、と心の中で思っていたことが現実となる。なさけなくも、涙があふれ出し、大声を出して泣いてしまう。
母の一生の中で私にかけた心配がどれほど多かったか!良きにつけ悪きにつけ、私を精一杯フォローしてきてくれた時間の流れ。
そうした想いと、これまでのいろんな場面が、一気に駆け上がってくる。
翌日、昨日からみると呼吸の状態が早く、痰も貯まり辛そうである。
次の日。血圧も低下しており透析はできない。
夕方、いよいよ来るべき時が近づいてきたようだが、今しばらくは大丈夫ということで、一旦帰宅し風呂に入った後再び病院へ向かう。
午後9時からベッドサイドに腰かけて母の腕を握る。脈波弱いながらに確実に打っている。痰が貯まり苦しかろう!「すみません、痰が貯まってしんどそうなので」とナースコールを何度か押す。夜間でもあり人出は少ない中ではあるが、速やかに吸飲してくれる。吸飲のたびに出血量は増してくる。呼吸の感じもつらくなってくる。心電図の警告音も鳴り出す。
夕方から父は「見ているのが辛い」と自宅へ帰っている。「ご主人に連絡されますか?」との声かけもあったが、最後は我々夫婦で見取ることにする。
「おかあさん、もうすぐ楽になるよ!」と最後の力をふりしぼっているような母の肩に手をややる。
ほどなく、呼吸は停止する。午後10時18分、「ご臨終です」と宿直医の事務的な声が届く。
苦しかった時間からようやく母は解放されたのだという思いが広がる。
てきぱきと気持ちよく死後の処置をしてくれる看護士の対応に感謝と最後を見取れた一種の満足感が心をおさめてくれた。
母の心臓はけっして弱くはなかった。母の晩年の入院生活の時間の積み重ねからすると、この生命力の維持は当人にとっては望むところではなかったかもしれないが、最後のがんばりは、何処か生き抜いていかねばならないという何かを訴えているようにさえ感じさせるものがあった。