2012年08月14日

盲導犬との白神山地旅行 その3

 エコ遊の森は、まさに道なき道。半ばまでは先に行くツアー客と同じルート。その後の道は我々が少しでも歩きやすかろうと思うルートをDさんが事前に調べておいてくださった所。
雨の後であれば滑ったのではないかと思わせる所が幾つもあった。
Dさん、視覚障がい者をリードした経験はあるが、盲導犬は初めてだという。
汗が噴き出してくる。同年輩のDさんのシャツもしっかり濡れている。
30分近く昇った所で先に到着したツアー客の声が聞こえて来る。ゴール間近!
皆さんの拍手に迎えられてゴールイン!
 ここは仮称「森のレストラン」で、ブナの木にかこまれた平坦な一角。うまい具合に30人程度が休憩できるスペースが自然の中でできている。
対をなして伸びているブナの木は、その枝を互いの邪魔にならぬようそれぞれ反対側のみに枝を張るという。木陰になった所は木も生長せず結果こうした空間ができたようだ。
 かついできた弁当をひろげる。Dさんが木で作ったという自称「こかりな」の爽やかな音を聴かせてくれる。森林に囲まれた中で広がる音は現地ならではの味わいかも!(音声添付 コカリナ.MP3)

 下りは思っていたより楽に足が運び、後ろからついてくるユニスもパニックになることもなく無事に出発点へ。適切なサポートをしてもらえたからこそ貴重な体験をすることができた。緊張感はあったが、さほど肉体的に疲れたというような感覚はない。

 この日の宿泊は、国民宿舎ふうな所。
 「夕食は和食」とは聴いていたが、食事場所へ行くと「畳なのでスリッパを抜いてください」という。「えっ!ならば盲導犬は?」と当より早く「盲導犬はそのまま上がってください」という。コートは着せているものの畳とは知らずシートも部屋においてきた。ネックカラーをしっかり持って末席へ座る。
 ユニスがダウンすると畳の上に置かれた膳はそれこそ目と鼻の先。しかし、ユニスは全く気にとめることもなく昼の疲れもあるのかゆったりダウンする。
 この座敷には舞台があってマイクのテスト中。やがてアンプを介して津軽三味線の大音量が広がる。膳の中の料理の配置を説明してもらおうとするが三味線の音にかきけされてしまう。
 バスに長く乗ってたいがい腰が痛くなっているところへ、久々畳の上で取る食事は腰痛持ちには辛い!

 三日目。1・2箇所観光巡りをしたが、ほとんどバスの中。ガイドは「沢山歩かれて疲れたでしょう」というが、車内で座り続けている方がなんぼかきつい!

 ようやく秋田空港へ到着。ツアー仲間のお一人から「今回の旅行で何処か一番良かったですか?」とさりげなく問われる。「もっと原生林の森の中を歩くもものと思っていましたが、あまりそうした実感は味わえなかったが、それでもエコ遊の森の道なき道を歩いたことは良い体験になりました」と。
 秋田空港には盲動犬用のトイレが作ってあると聞いたことがあり、職員に尋ねてみる。しばらくして戻ってきた職員に案内されていった所は2・3畳のスペース。そのスペースの半分くらいが砂地になっている。水などを出す設備はない。これでは排尿などさせた後はいちいち職員に申し出て処理をしてもらわなくてはならない。
どういう経緯、誰がこうした企画を具体化したのだろう?

帰りの飛行機は初めから余席がとってあって来たときと同じ状態で帰途につく。

 今回、ツアー客の盲導犬に対する見方は傍観的な人が多く、質問を受けることが少なかった。熱いときにコートを着せていること。人でも難儀する山道を犬に歩かせること。言葉の端々にそうしたことを感じさせる人がいた。
 ユニスとのチャレンジ旅行は今回で多分終了。後は温泉地を回るゆったり旅行で終止符をうつことだろう。
posted by よろてん at 19:57| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月13日

盲導犬との白神山地旅行 その2

秋田空港に降りると、その暑さは関西のものと変わらない。
 山道を走るというので小さめの観光バスが待ち受けていた。
最前列の場所を確保しておいてもらったのだが、どんなにもぐり込もうとしても大柄なユニスでは無理。最後部の席の人が「少しは広いから変わりましょう」と言ってくださる。なるほど、ここなら大丈夫!結果三日間ともこの席を定位置としてもらう。
 曲がりくねった土の細い道を登って、岳岱自然観察教育林に到着。
エコ・遊のガイドスタッフ3人が同行。20人のツアー客には2人のガイドが付き、後一人のMガイドさんは、88歳の杖を付いたお母さんとそれをサポートする娘さん、それと我々夫婦とユニス。この2グループを案内してくれる。
車椅子でも移動できるようにウッドチップ歩道になっているところを歩く。
鬱蒼とした森の中を歩くのかと思っていただけに整然と立っているぶなの木の間の比較的広い道を歩くことでちょっと気抜けする。Mさんは秋田弁丸出し、あいにくICレコーダーを鞄の中に入れてきたので録音できないのが残念!
ブナの木は水をしっかり吸い上げるので聴診器を当てれば、その流れが聞こえるかもしれない?というのでMさんに借りた聴診器でよくよく聴いてみるが何も聞こえない。ブナの木は太陽の日差しを受け止めようとして真っ直ぐ上に伸びる。無駄に栄養を散らさないために枝葉を張らない。そうした説明を受けながら鳥の鳴き声も聞こえぬ夕刻の森をゆっくり歩く。
 その日の宿舎は最初ツアー会社が問い合わせたときに「レストラン内に盲導犬は入ってもらっては困る」と回答があったところ。この件については、その後のやり取りで解消している。
夕食のときも、翌朝のバイキングに変わる和食セットメニューのときのサポートも、このホテルの責任者の人が関わる。
朝はバイキングになっていたが、「もし良かったら別室でセットメニューにして提供するといっておられますが?」と添乗員から前日問い合わせがあり、「バイキングも家人が2人分を用意しなければならないので大変ではある。沢山盛りつけてもらえたら、その方が良いですけど」と笑いながら応じたものである。

 二日目はいよいよエコ遊の森への挑戦。
道なき道を草木を分けていくという所。
目的地へ着いたら食べる弁当をリュックにつめて、いざ出発。
私をサポートしてくれるのは、エコ遊のチーフガイドのDさん。
最初はユニスと一緒に歩けるかと思ったが、足元ににょっきり木の根っこがあったり目の前に太い枝が横切ったり、勾配もかなりあって、これは無理!「Dさんが「私のベルトを持って」と予め準備してくれていたサポートベルトを片手でしっか握り、「はい左手でこの木をしっかり握って!」と言われたら、ベルトを握っていた左手を右手に変えて左手で木のある場所を探す。最初は空をきっていたが、その内「私の腕を辿っていけば分かる」と言われて、なるほどこうすれば容易に目的の木の場所へ到達できる。「木が張っているので大きくまたいで」と言われればヨイショと歩幅を広げ「はい渡りました」と報告する。
ユニスはというと家人がリードを持って後ろから付いて来るが、最初、何とか私の横に来なければと引っ張るくらいに付いてきたが、その内「こんなところを歩くのは到底無理」と後ろを向いて戻りかける。ユニスにとっては何年か前にパニックになりかけた熊野古道のことが思い出されたのかもしれない。
posted by よろてん at 20:00| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

盲導犬との白神山地旅行 その1

 昨年、ツアー旅行で屋久島に出かけた。
一緒に歩いたツアー客に「今度は白神山地へ行ってみたいと思っているのですけど、足場は危なくないでしょうか?」と訊ねると「大丈夫!ぶなの森の空気を十分吸ってらっしゃい」と心強い言葉をもらった。

 しかし、世界自然遺産に登録されている場所だけに盲導犬同行を一応確認しておく必要がある。林野庁などへの問い合わせをするについては盲導犬協会の力を借りた。
「白神山地のブナ林は、純度の高さや すぐれた原生状態の保存、動植物相の多様性で世界的に特異な森林であり、氷河期 以降の新しいブナ林の東アジアにおける代表的なものである。その生態系を乱さぬためにも外部からの動物は入れないようにしている」との回答があった。
 しかし、何度かの交渉を重ねる中で「受け入れOK」となった。

 次に、原生林の中を自分の体力で歩けるだろうか?という不安は何処かに潜在していた。

 そんな中、2泊三日の白神山地方面の旅行案内が届いた。
「初級コース」とある。だが、この初級コースそうそう楽なものでないことは昨年の屋久島でも体験している。

 何度も盲導犬と一緒に出かけているツアー会社、難度を問い合わせると「専門のガイドも同行するので、もし無理な所があれば別ルートも考えられますし」という。よし、それなら行こう!と申し込む。

 出発の前の日、担当添乗員から「道なき道を歩くような所もあるようなので準備はしっかりお願いします」との連絡が入る。

 出発当日、トレッキングシューズのひもをしっかりくくり、害虫対策として長袖も準備して飛行場へ向かう。
 飛行場のカウンターで、例のごとく盲導犬証明書を提示し搭乗OKとなり、私と家人の座席場所を聞くと、1列通路を挟んで4席の二つを当てるというという。気になったのは秋田行きはプロペラ機で社内が狭いという。これについては事前のチェックが甘かった。1時間40分、ユニス狭い場所でうずくまってエコノミック症候群にでもならないだろうか?我々の足を置くスペースもないとしたら?
 そこで、受付係員とのやり取りとなる。「これまでジェット機では比較的広い場所を提供してもらった」 「プロペラにはそういう場所はない」、「席を一つ作ってもらうことはできないか?」 「もし希望されるなら、その代金は頂戴することになります」、「ならば、ときどき通路に犬を出すことは認めてもらえるだろうか?」と、こちらも何とかならぬものかと。係員も私の横でダウンしているユニスの大きさを目に留めながらの応対。「ちょっと待ってくださいね」と再び上司に問い合わせの電話をする。
戻ってきた係員、「これが通常のものとは取ってもらわないとして、今回は、まだ満席でないのでお席を一つ空けます」と。「それは助かります。しかし、こうした対応を今日だけのことにせず、今後の盲導犬ユーザーの受け入れをどのように考えるかの出発点にして欲しい」と、現場の係員にいって通じることかどうかは分からぬが付け加える。
 1時間以上出発が遅れた秋田行きの搭乗案内がある。「満席でございます」のフレーズは身に引っかかった。余席があるならば考慮してもらうことはあって良いが、乗りたいと思っている人がありながら盲導犬のために席を無料で確保せよという主張は控えたい。この日の実態はどうであったのか?
 機内へ入って座ってみると思ったより前席との幅はあり、これなら観光バスより広いくらいで2席の足場で十分ダウンさせられる。やはり事前の調べが必要であった。
結局、A・B・C・Dの前席空いていて、我々はB・C席をとってもらうことになる。
ユニスはC・D席の間でゆっくりダウンして何の問題もなく秋田空港へ降り立つ。
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2011年08月06日

ユニスくんとの屋久島旅行 (5)

 最終日。
 二日間留まったホテルには立派な庭があるというので朝食前の散歩に降りる。
ホテルマンに、「何処から散歩に出られますか?」と訊ねると、ものの10分くらいで帰って来るコースをしめす。「ゴーカートで散策できるような所があると聴いているのだが」と問うと、「足元大丈夫ですか」と不安げ。観光コースも歩いてきたくらいだからと説明すると一応納得したのか散歩するコースのパンフレットを渡してくれる。
 その庭園に入ってみると多少のでこぼこはあるにしても日常歩いている道と大差はない。これくらいの道でも「危ない!」と思わせてしまう認識。以下に知らぬことが理解を得られないかを今更ながら感じてしまう。庭園には、リンゴ椿やウラジオ・ゴムの木などをはじめ、南国ならではの植物も幾つかあって、それらをゆっくり触察しながら30分以上をかけて元の場所へ戻って来る。
 今朝のバイキングは、昨朝のような「予約席」もなく。バリアが一つ取り去られたといえよう。ばかりか、スタッフが私の分を運んで来てくれた。こうありたいものだ。
 旅行に出るとユニスの排泄場所があるか気になる。今回は部屋に割と広いテラスがあって、ここで袋をくくりつけて「しっこ、うんち」と言ってやるとそうこだわりもなく出してくれた。
 今日は運転手は変わっていたが、昨日同様座席は取り去ってあった。Kバスガイドの説明で最も気にいったのは、島の位置関係を文字版に例えて紹介したこと。「屋久島は丸い形をしています。12時の場所にシーサイドがあり、2時の所が空港、お泊まりになったホテルは5時に当たります。今日出かける千尋の滝 (せんぴろの滝)は、4時に当たります」と。
 この瀧は、 屋久島南部の村 麦尾(むぎお)と原を分ける鯛之川の屋久島三大銘暴瀑の一つ
屋久島は花崗【かこう】岩が隆起してできた島で、滝の左手に見える山の岩肌はなんとその花崗岩の巨大な一枚岩なのである。10000mmもあるという屋久島山岳地域の降水量.奥岳に降り注いだ雨水は、谷に集まり一機に駆け下って、 海に吐き出される。
 今日も日差しが輝く夏の空。御天気で気分が良い日でないとお店を出さないという出店で砂糖キビを搾ったジュースを飲む。なるほど甘みの中に草木の香りを感じる。ジュースといえば、屋久島にはたんかん・パッションというようなフルーツもある。
 さて、いよいよツアー旅行も最後。締めは何時ものようにバスはお土産やさんへ乗り付ける。杉の香のただよう店の中をしばしさまよう。百数十万もするつぼからお箸まで。
 三日間同乗したKバスガイドの最後の披露は「屋久島音頭」(音声)、ツアー仲間の手拍子に合わせてゆったりと!
 Y添乗員に、ツアー客の人たちに一言お礼が言いたい」と申し出ておく。空港に到着、バスも止まったときに、「ちょっとお話があります」と繋いでくれた。
マイクは無しでけっこうと立ち上がって「岩場を歩いているときは応援してもらったり、こうして何時も前席に座らせてもらったりご協力ありがとうございました。今後も盲導犬には愛の眼差しを!そして我々視覚障がい者には『何かお手伝いすることはありませんか?』の一言をよろしく御願いします」と結んだ。
 ツアーの皆さんからは、「犬が1頭いることで雰囲気が随分和みました」など。
Y添乗員は「いやあ、いろいろ知らなかったことを気づかせてもらいました」と。
空港ロビーで待つ時間、「今度は白神山地へ行きたいと思っていますが足元は大丈夫でしょうか?」と先に行かれたことのある人たちに聴いてみると「大丈夫!ブナの木の香りも吸って、ぜひ行ってらっしゃい」と、その何気ない応答がとても印象に残っている。
 搭乗しようとすると、ピッピッピッと警告音がなる。「すみません、一応ここも調べさせてください」と係員、ハーネスバッグの中に手を入れる。ここには排泄させるためのベルトや袋が入っている。「そうや、この中が臭いかも!」言ってはみたが、係員には通じていない。
搭乗すると、「点字の安全のしおり」がありますがご覧になりますか?と訊ねてくる。同じJACであっても伊丹では訊ねて来なかった。手渡されて「何処が作成したのでしょうね」と解ろうはずのない乗務員についつい問いかけていた。
 伊丹からのバスで京都に降り立つと猛烈な暑さ。
「ワンちゃん帰ってきたのやな」と3日前バスのチケットを切ってくれたおっさんから声がかかる。
 今回のツアー旅行は、ユニスの存在があって人間関係もうまく繋がり、それなりに見えない者のことも知ってもらうこともできた。去年・今年と、Nさん・Yさんと添乗員にも恵まれ、ツアーならではのプラス面の多い旅行にもなった。
 ユニスも家人もお疲れ様!そしてありがとう!
posted by よろてん at 16:54| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月05日

ユニスくんとの屋久島旅行 (4)

 CIMG0642.JPGさて、二日目のメイン。
白谷雲水峡 白谷雲水峡。
 宮之浦川の支流、白谷川の上流にある面積423.73ヘクタールの自然休養林で、宮之浦から約12キロメートル、標高620メートルのところに入口がある。
照葉樹林からヤクスギ林への移行帯に位置し、屋久島の照葉樹林帯を代表するイスノキ、ウラジロガシ、タブノキなどの大木が見られるとともに、ヤクスギ林帯を代表するスギ、ツガ、モミなどの大木も見られる。
渓流沿いにはサツキ、ホソバハグマ、ヤクシマショウマなどがみごとな群落をつくっている。
推定樹齢3000年の弥生杉、奉行杉、七本杉等、太い屋久杉も見られ、樹上にはナナカマド、コバンモチ、カクレミノ、サクラツツジ、タイミンタチバナなどが着生しており、花崗岩の隙間を流れ落ちる飛流おとし等、至るところで見事な滝が見られる。
「もののけ姫の森」と呼ばれる森の辺りは、宮崎駿監督が何度も足を運び、映画「もののけ姫」の森のイメージをつくりあげたという。
 我々が歩くコースは、 1号から7号まであり、1号から2号の間は岩場があって、ちょっと手強い!帰りはここを通らずにもう少し増しな道を歩くと聴いて前に進むことにする。家人の肩に右手を軽く載せ、左手のハーネスをしっかり持つ。へたに足を滑らせたりすると家人と共倒れになってしまうので、右手は引っ張り込むような持ち方はできない。
ツアーの人たちからは応援の声があちこちから聞こえ、ガイドや添乗員も心配して体が傾くとサポートの手を差し伸べてくれる。
そう長くはなかったが、その難所を切り抜け3号から6号まで比較的歩きやすい道を上がる。
ここからは原生林のある岩場となる。数m足を入れたが不規則な岩盤が続く。7号まで行けば、また、この道を下ってこなければならず、家人の緊張とユニスの戸惑った歩きを見て、数年前の熊野古道の胸の鼓動が蘇ってきた。「我々は、ここで皆さんの戻って来られるのを待つことにします」と決断した。
平地では自分より足腰が弱いだろうと思われる人も7合目まで足を延ばす。82歳のお兄さんは乱視で足元が見づらいというので途中で折り返し戻って来られる。
 屋久島では花崗岩が多く、他の木から目を出して生長する「着生」種があること。傍の木にまとわりついて絞め殺す山車などの木があること。杉には油を多く拭くんでいることなど、日頃自然をあまり意識せずに生活している者にとっては気づきの多い旅行となる。ぐっしょり汗をかいた体でクーラーの入った車内へ戻る。
 車内では、Kガイドが屋久島の方言のクイズを出す(音声)が、ほとんど解るものはない。4時過ぎにはホテル到着。「今日は夕食までの時間もありますし、それまでに温泉へ行きましょか」と、昨日のご兄弟が誘ってくださる。
ゆったり露天風呂に手足を伸ばしながら今日の行程についての話「何処へでも行かれるのですね。チャレンジ精神旺盛ですね」と感心される。私の旅行は楽しむというよりもむしろチャレンジしている姿にうつるようだ。阪神地区にお住まいのご兄弟は1995年の震災にも遭われて被災、集団生活も経験されたとのこと。
 夕食で臨席に座っておられる老夫婦の方とも食事が終わり箸をおいてからも、あちこち旅行へ行かれたときの話から、「孫は6歳になると、もうあきませんね」などと雑談を交わす。それにしても、孫が6歳でじじばば離れをするのであれば、内の孫はどうだろう?
posted by よろてん at 15:48| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

ユニスくんとの屋久島旅行 (3)

CIMG0632.JPG 翌日。朝食のバイキング。家人は、二人分の準備をしなければならないので、できるだけ料理を運びやすいテーブルに席を取りたいと思い早めに出かけるが、入り口近くに「予約席」と表示され、「ここへどうぞ」と係の者が案内する。やはり盲導犬のことを意識した対応だろう。
バス発車時刻より早めにロビーへ降りると、添乗員のYさんが「今日もバスは小さいので運転手さんが席を広くするように考えてくれているようですよ」と。そして、乗車してみるとびっくり!二人掛けの前席一つが取り去られている。
「これならユニスくんもゆっくりできるでしょ!」と乗務員の二人。
昨日のユニスの窮屈な姿を見て考えてくれたのであろう。
ここまでしてもらえるとは想像もしていなかった。
さり気なく対応してくれたことが感謝を2倍にする。
 それにしても、こうしたことが容易にできるのかと、そんなことにも感心する。特等席を独占してしまって申しわけない思いだが、同乗のツアー客からユニスに向かって「良かったね」と微笑みながら声をかけてくれる。ユニスは十分なスペースを与えられてゆったり寝そべる。
今日も御天気は上々である。Kガイドさん「今は晴れておりますが、何時降るか解らないのが屋久島の天気!ぜひ「らっきょ雨」をご体験ください」と明るい空を見上げながら今日も言う。
 まず、平内海中温泉(ひらうちかいちゅうおんせん)へ出かける。
屋久島の南端の磯の中から湧き出ている温泉。海面下にあるため、一日二回の干潮前後の5時間しか姿を現さない。そのため、この干潮時のみ入浴することができるとか。ちょうど我々が出向いた時は干潮時だったが入浴者はおらず、その湯船に手を付けることができる。随分暑く感じた。(混浴で下着や水着は禁止されているとか)
いつでも体験できるとは限らないらしく、ここでも「お客様たちは随分ラッキーでした」と。Kガイド。
 次に、大川の滝へ。屋久島では、鯛之川やこの滝のある大川など、川をコと呼ぶ。 大川は、永田岳の西面に発する河川で西南西の流路を辿り、栗生の北で海に出る.日本の瀧百選にも選ばれている。屋久猿がユニスを見て興奮した声を出す。ユニスは知らぬ顔。
 車は、西部林道へ。沿岸部では唯一世界遺産に指定されている地域。標高による気温差のため、海岸から山に向かって樹種が変化し・・・ 林道を歩いてもヤクシカ・ヤクザルが出迎える。バスから降りてしばらく林道を間近に感じる。
 昼食は飛びトビウオ姿揚げ。羽の部分もぱりぱりと食べる。
posted by よろてん at 13:45| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

ユニスくんとの屋久島旅行 (2)

 バスを降りて、トイレ休憩のしばしの時間。ツアーで一緒の人たち数人が集まると話題はやはり盲導犬!
 「どうしてコートを着せているの?」「抜け毛が多少でも防げるかと、それと、犬自身が汚れないためにも。雨が降ればレインコートに着替えます」、
「盲導犬と一緒に旅行にはよく行くの?」「北海道から石垣島まで、あちこち行ってますね。ABCラジオの道上洋三のツアーにも当たって行きましたよ」「ああ、あの虎キチの!」などなど、けっこう話は盛り上がる。
「こうしてツアーで盲導犬と一緒に出かけるのも啓発の一環になりますしね」
「確かに、こういうときでないと実際に見ることないもんね」。
添乗員のYさんが「今日の宿舎の温泉ですけど、職員は手がなくて関われないと言っていますが、ツアーのお客さんの中にご兄弟で来られている人があってこころよく一緒に温泉に行ってくださるということなので、ぜひ温泉を楽しんでください」と。
昨年、N添乗員ががんばってくれて温泉に入れたことを言ったことがYさんを動かせたのだろうか?へんにプレッシャーを与えてしまったとしたら結果はともかくあまり喜ぶべきことでもないが、Yさんの雰囲気からすると、すなおに気持ちを持って対応してくれたように感じる。
何度もツアーに出かけ、温泉場へ行きながら内風呂で済ませてしまったり、特別に貸し風呂を借りて入ったりしていた誰か一緒に行ってくれる人がいたらなあ、と思うことはあったが、初対面の人に「御願いします」とも言えずに今日まで来た。
ホテルに到着。「それじゃあ8時に迎えにいきます」とFさんに声をかけられ、夕食を済ませて、入浴の準備万端!ノックの音で廊下へ飛び出す。
70代の弟さんの方が「どうすれば良いですか?」と、「腕を貸してください。私、その後ろを付いていきます」と誘導基本姿勢を取る。
ご兄弟も始めてのこと、緊張されているのか、「あれ、エレベータはこっちだったかな?」と足を運びながら思っていると、「ああ反対や!」と踵を返す。
脇を固めて慎重に歩く弟さん、その後ろから82歳のお兄さんが杖を付きつきながらではあるが、「ほら階段があるよ、左側が下駄箱や」などせっせと声が出る。風呂場の出入りのさい、スリッパを片付けてもらったり、足元に揃えてもらったり、親切に関わってくださっている気持ちが伝わって来る。
風呂場は客も疎ら、丁寧すぎるくらいのサポートの言葉を有り難く受け止めながら大浴場、そして露天風呂へも向かう。「あっちより温めで、これならゆっくり浸かれますなあ」と言いながら身体を伸ばす。お兄さんの方は、よく旅行へ行か
れるとのことで、これから行きたい所の呼び知識も得る。
温泉の湯は多少粘りがあり、硫黄温泉というが臭いはない。色は透明だという。頭・体も洗ってすっきり!「温泉に入れて良かった!本当に気持ちよくなりました。」、ご兄弟にも添乗員にも感謝!
心身ともに爽やかな快さが充満する。
posted by よろてん at 16:43| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ユニス君との屋久島旅行 (1)

CIMG0615.JPG ツアー旅行に出る前日、旅行会社の添乗員Yさんから電話が入った。今回も「特に問題はないのですが、レストランへの盲導犬同伴については控えて欲しいということを言っています」と何時ものような連絡。
「またか!」と受け止めて「知らないから、そういうだけで、あなたの社のツアーをずっと使って来て問題なかったことはご存じだと思う。補助犬法があることを一応は伝えておいてください。前回、草津温泉に出かけたときもN添乗員に随分がんばってもらって、職員にサポートしてもらって露天風呂に入ることもできた」と言葉を添えた。
当日は真夏の日差しが早朝のバス停にもぎらぎら!
伊丹に付くと盲導犬搭乗の手続きに足を向ける。
19名のツアー仲間の先頭をきってプロペラ機の中に案内される。横4人席の小さな機内、前から19番目の席を四つ空けてもらって、そこへ私と家人とユニス君。前席との奥行きも狭く30kgを超すユニスにはちょっときつい目。それでも空席を作ってもらえている分助かる。
随分長い間滑走路を走っていた機体が離陸すると斜めになった床にちょっと反応したかユニスはもそもそするが、それも一時。ジェット機と何ら変わった感じもなく90分。

屋久島に降り立つと湿度のある暑い風邪が迎える。休憩することもなく待っていたバスに乗り込もうとすると、「山の上は雨が降っているかもしれないので雨具はぜったい持っていってくださいよ」と係員。
昨日の添乗員との話の中でもそんな注意は受けていなかった。インターネットの天気予報も三日間は30%以下だった。
うかつにもユニスのフードで膨れたバックの中に傘を入れて出るのを忘れていた。
バスは細い道を走らねばならぬこともあって小型のもの。足元のスペースも飛行機よりもきつい。
それでもましであろうと思われる最前列の席に座らせてもらう。一番最後に乗り込んでユニスを通路に伏せさせようとしたが、けなげにも?強引に足元に潜りこんで来る。
添乗員Yさんの挨拶の中に「今日は19人と盲導犬ユニス君です。よろしく!」と紹介してもらった。
バスガイドはKさん、標準語を学習したとあって、なかなか歯切れの良い口調。
「屋久島は1ヶ月に35日雨が降ると言われています。中でも“らっきょ雨”!は有名です。ぜひ体験してください」とさらりという。細い山道を登って、まず、屋久杉自然館へ。
靴を脱ぎユニスは足の裏を拭いてタイルのように引き詰めた松の木床を踏みしめて館内を回る。
1660歳の屋久杉 ・ 巨木の縄文杉の折れた大きな枝、屋久杉の森の歩み、2mの超大型チェーンソーなどを見学。触って確認できるものが幾つかあり、縄文杉の周径も切り込みのある床をなぞることで体験したりバックに同じ大きさの縄文杉の写真を背して写真を撮ったりする。
次に山を登って紀元杉のある場所へ。屋久島・紀元杉 およそ3000年を生き抜いてきた紀元杉。表面の胴周りはゴツゴツしており、これは杉に害を及ぼすウイルスと戦ってきた証とか。
今日の最後の行程、屋久杉ランド、50分コースへ。 入口→くぐり栂→林泉橋→荒川歩道→仏陀杉歩道→双子杉→くぐり杉→清涼橋→出口。隙間の空いた階段もあったが、そこそこの高低のある道をまず無難に歩くことができる。午前中には雨が降っていたようで、午後からの日差しで滴がきれいに輝いてようだ。
posted by よろてん at 16:20| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

お寺さんと盲導犬

 先週、2泊3日のツアー旅行に出かけた。
その第1段である。
 神社仏閣を観光するさい、靴を脱いで拝観する所が出て来る。
今回ツアーの担当のN添乗員は我々盲導犬ユニットに対して「できうることはしたい」という思いをしっかり持っていてくれて、バスの座席に始まりホテルの受け入れ、温泉を楽しんでもらうには?など、いろいろアプローチしてくれた。
 そんな中で「私の力不足で申しわけありません」と頭を下げられたのが、日光東照宮と善光寺である。
 東照宮本殿では上がることなく出口で皆さんの出て来るのを待つ。
その間に、「明日行く善光寺について、もう一度アプローチしておきたいと思います」とNさん。それなら盲導犬協会に電話を入れて協会からお寺に補助犬であるということも含めて話してもらえますか?」と添乗員から協会へ話してもらうように頼む。
 まもなく、私の所へ協会から直接電話がかかってきた。公報担当ではなくて訓練士。「盲導犬に靴下を履かせて上がるというのではどうですか?」という。手元に無いというと、添乗員さん、横から「ホテルや土産物屋には孫のために買うというので子供の靴下が売ってあることもあるので探してみます」と言ってくれる。
 一時おいて再び訓練士から電話が入る。「靴下を履いて、とにかく一度盲導犬がどのようなものか見て欲しいと言ったのですが、どうしても上げることはできない、と言っています。その替わり我々で犬は外で見ているので本堂には上がってもらえるようにします、と言っておられますがどうですか?」との問いかけ。お寺としては、あくまで「犬」という存在にこだわっているのだろう。
 個人的にはそのような対応でも差し支えはない。しかし、盲導犬ユーザーとして考えるとき、盲導犬は「犬」という立場ではなく常にユーザーに寄り添う「目」で有りユーザーに寄り添う生き物なのである。
 補助犬法というのが制定されたが、「犬」を前に出して他者との関わりを考えていけば飲食店も病院内移動も「困りますね」で片づけられてしかりである。
 それが一定の理解と法的裏付けを得て一部の例外はあるにしても社会的認知を得られるようになり、ほとんど何処でも自由に出入りできるようになった。そんな中で、今日も明日も立ちふさがる存在。
 盲導犬ユーザーが盲導犬を安心して預けられる人に託して、ガイドさんと一緒に座敷に上がって拝観するのも良いだろう。しかし、盲導犬と一緒に拝観したい人もいるだろう。それは人それぞれ、パートナーである盲導犬にもよりけりである。
 最終的選択はユーザーで有る視覚障害者が行うことであって、その環境を整えることこそが必要なのではないか。
 そうした問いかけを施設連合会を通して、東照宮や善光寺に投げかけて欲しい、と訓練士には頼んでおいた。
 東照宮には「泣き竜」がある(添付)。
ここも盲導犬が入るのは困るという。添乗員にユニスを預けて建物に上がる。昔は手を叩いたものだが近頃は拍子木を叩く。
 観光客に混じって靴を履いているとユニスが猛然と飛びついて来る。盲導犬としては褒められた動きではないが、心配でならなかったのだろう。
 そして、翌日。善光寺に入ってツアーには案内ガイドが付いた。一緒に動き出そうとすると、「まことに申しわけありません。今日は私が案内させていただきます。」と某寺院のM僧侶が私に付き添って案内をしてくださる。これはN添乗員にとってもちょっと意外な転回。別ルートで動き出す。本道に上がるときには、総務の職員に出て来てもらってユニスを委ねる。
 お戒壇巡りにも案内してもらう。本堂の瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を手さぐりで巡り、ご本尊の下にある極楽の錠前に触れ、ご本尊とご縁を結ぶというもの。
 「目の不自由な人のことも理解してもらう一つにもなります」というM氏の説明は何となく割り切れぬ中で聴くことになる。
 しかし、M氏は盲導犬を拒否したことか、視覚障害者がこうして観光に来ていることに感じ入ってくださったのか、「何か記念になるものはないかと考えて、導者ダライ・ラマ14世が19日に善光寺を訪れるが、本堂で、チベット仏教の僧侶が色鮮やかな「砂曼荼羅」を作っている。チベット仏教独特の曼荼羅で、15日の完成を目指している。
 これに関わっておられるダライ・ラマのお弟子さん二人を呼び寄せてくださって通訳を介して握手する。こんなときには英語が使えたらなあと思いながら。
 いろいろ複雑な思いを持ちながらユニスに引かれて善光寺を後にする。
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2009年08月08日

 ユニスくんとの夏旅行 その3 (美ヶ原高原)

CIMG0390.JPG 上高地で暑い中25000歩以上歩いたこともあろう、ユニスはダスターコートを着たままのちょっと窮屈かと思われる体制でぐったり一晩寝たようである。また、常なら夕と朝にする大便も結局出ないままにバスターミナルへ向かう。
 松本発の美ヶ原高原行きのバスには我々夫婦とユニスだけが乗り込んだ。何と運転手は女性である。
 最後尾の座席に陣取る。朝日が窓ガラスを通して飛び込んでくる。
 途中から数名の乗客もあったが数えるほど。沿線半ばごろ山道にいよいよかかるころになると運転手がクーラーを切って暑ければちょっと窓を空けてくださいと言う。
 上り坂にさしかかると寝そべっていたユニスの体がじわじわ後方へずっていく。これは帰りの道中も一緒でハーネスを引っ張っておいてやらないと前の方へずっていく。昨秋行った蔵王のバスも同じ感じだったがユニスの体がずれるような感覚はなかった。
 1時間半かかってようやく終点。下車するとさすが風邪はひんやり感じる。
 ここでユニスに袋を付けて大便を促す。思ったほどの量ではないが久しぶりの便をする。中身はトイレへ流せたが、ゴミ箱がないので袋は持ち帰らねばならない。
 歩き出して程なく、道が二つに分かれている。右は車が通る道、左は山道のようだ。近くにいた人が山道で草花を見ながら「こちらの方がいろいろ見られて良いですよ」と声をかけてくれたので、「そうですか」と足をそちらの方へ向けた。
 ところが100メートルもいかぬ間にそうそう簡単な道ではないことに気づいた。段差もまちまちで時には50センチほど上がらねばならない。ユニスと横並びには歩けずユニスの背中に手を当てながらそろりそろりと上がらねばならぬ所もある。
 一昨年のクマの古道のことが頭をよぎった。こうして一定時間昇ることは何とかできるけれど、この道を戻らねばならぬとなると、とてもじゃない自信がない。
 30分もすれば先ほど分かれ道にあった車道と合流するはずで、そこまで行けば車道で下って戻ることもできる。しかし、それはほんとうだろうか?
 帰りのバスの時間は後2時間後、そして指定席を買っている電車はそのバスの到着時刻に会わせてある。とにかく前進あるのみ。
 「何か塔のようなものが見えてきた」と聞いた時には半分安心した。誰も人影には会わない。道ばたの草花に目を投じる余裕はなく、口から出るのはぼやき言葉のみ。
 その内、段差がなだらかになり一定ペースの幅となってきた。やれやれ助かった!の思いが広がる。車が通れるほどの道に出たとき無事帰途につけることを確証した。
 王ヶ頭、2034メートルの山頂である。しかし、360度全て雲がかかり絶景の見晴らしはアウトである。
 しばし休憩して曲がりくねった車道を降り出す。関係車両だけ通るでこぼこした地道であるが先の上り坂とは雲泥の差。
 高原のゆったりした雰囲気を味わうというよりは登山道のような所を脱出できた安堵感のみを感じる一時となった。
 初日こそ雨に降られたが全体的に天候の不安定な中、後の二日間雨に降られなかったのは幸だった。
 ユニスも帰って来るとそれまでの疲れが嘘のように日常と同じ様子である。今回も家人・ユニスともどもお疲れさまでした。
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2009年08月06日

ユニスくんとの夏旅行 その2(上高地)

 CIMG0376.JPG二日目。天気予報はいかに?と朝のテレビの天気予報に注目するが、この奥飛騨の地区は東海・北陸のローカル地域に入っていて、すぐ傍の長野中部は甲信越のエリアに含まれていて、全国ネットの一つのエリアとしてしか見られず、詳細が分からないのがもどかしいくらいである。
 それでも空模様は雨が降りそうな雰囲気でもなくホテルの人も「大丈夫です」と太鼓判をおしてくれた。
 午前9時、我々を含め7人が、このホテルのシャトルバスに乗って一路上高地へ。20数名も乗れるような車にこれだけの人しか乗らないのはもったいないくらい。ひょっとしたらユニスもいるのでワゴン車では窮屈と考えてくれたのであれば申し訳ないかぎりである。
 何時から出来た高速道なのか知らないが飛騨から上高地までトンネルを造って車20分程度で貫通している。こうして車道を作ることで多量の土砂を掘り出し山の水はけが変わったり土中に吸収される水量が減って、近頃各地で発生している土石流などの一つの要因にもなっていないだろうか、などと考えを巡らしている内にトンネルを抜けた。
 トンネルを出ると、そこは晴れ間の広がる上高地!
 夫婦それぞれに背負っているリュックサックを預かってもらうが、何と一つ400円。人材雇用の面でもコインロッカーよりは良いと思うが、そこまで取らなくても十分日当分は稼げるのではないか。旅行に行くたびに思うが、あまりに旅行客の足元を見て容易に高額を色々な面で取りすぎる。
 上高地を歩くのは二度目。前回は二代目盲導犬・ハピネスと歩いたのだが、晩年のハピネスは土道を歩く時、傍らの草木をよく臭い取りして、そのたびにリードを引き寄せた覚えがある。そのてん、ユニスはしっかり前を見て行き交う人に褒められながら歩いてくれる。
 まず、河童橋から田代池によって大正池まで下がる。途中昨日まで降った雨のせいもあってか泥濘のある所もあったが木板で歩きやすくしてある部分が何カ所もあった。数年前はこんなだったかなあ。大正池から今度は田代橋を渡って梓川を右に見ながら河童橋へ戻る。ユニスに梓川や田代池で足を付けたり水を飲んだりしないか促してみるが全く興味を示さない。ハピネスのときは浅瀬ではあるが切れるような冷たい水の中をジャブジャブ入ったものだ。
 二時間足らずで往復し、河童橋近くで昼食。食堂に入ろうとすると係の者が「盲導犬は?」と言いかける。「補助犬法で盲導犬は何処の店でも入って良いことになってますよ」とあっさり言うと相手も「ああそうですか」と簡単に引き下がる。
 食後は明神橋の方へ向かって歩く。ここからは木道があるのだが横幅の狭い所を歩くのはとても無理と言うことで梓川の右岸を上がることにする。帰りのバスの時間もあるので今回は明神橋に行く手前の所で折り返す。
 さすがユニスも暑い中、2万歩を越える歩きをして疲れたのだろう、我々が用をすべく立ち止まるとすぐさまダウンする。
 私の方は数ヶ月前からプランは立てていたものの果たして体力的に足腰の健康を保ったままで今日の日を迎えられるかちょっと心配もしていたが、ほとんど足のもつれや疲労感もなく無事に歩き終えることができた。
 松本駅の近くのホテルに泊まった。ユニスの排泄については小便は袋をくくりつけて部屋のトイレでも何とかしてくれたが、大便は狭い場所でやることに抵抗も感じているのか出ない。ホテルに車椅子用のトイレはないか問い合わせると2Fのロビー近くに広いトイレはあるけれど車椅子トイレはないという。こんなホテルで無いというのはおかしいと思いつつ2Fへ降りてみるとちゃんとした多目的トイレがある。
 しかし、緊張していることもあるのか夕方から夜翌朝も袋を付けてチャレンジするがどうしても大便は出ない。
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2009年08月04日

ユニス君との夏旅行 その1(飛騨・高山)

 CIMG0352.JPGユニスと旅行に出かけるときは朝夕のドッグフードの他にホテルの床に敷くシート、着替えのダスターコート、今回は天候が怪しいのでレインコートを2着。それに、床に落ちた毛を取るためのガムテープを巻いたコロコロなどを背負っての出発となる。
 常なら梅雨明け十日という真夏の陽光が輝く時期なのに天気予報は雨量70から90%を予測している。
 当日は何とか傘をささずに家を出る。それでもユニスには最初からレインコートを着せる。4時間近く座席の下で伏せているのは窮屈で暑いかもしれぬがやむをえない。我々もユニスが占領した間の床面の狭い空間に何とか足を落ち着ける。
 車中、窓越しに日差しを感じる時もあったが、目的地に近づくにしたがって雲行きは案の定怪しくなり、高山に降りたころにはしっかり雨模様。前回来た時もここでは降られた覚えがある。
 高山祭屋台会館まで歩く。会館内は何も触れて見るものはなく、女性職員のロボットにまけないほどの抑揚のない説明を聞きながら回る。ふと足元に気をやると靴裏にべろりとへばりついているものがある。何とトレッキングシューズの底が雨道を歩いてきたこともあってかめくれてしまっている。職員にお願いして瞬間吸着剤をもらって張り付けてみるが使い物になりそうにない。
近くに靴屋があって運動靴を買うことができて良かったものの明日・明後日の歩きの中だったらそんなこともできないし、まあ不幸中の幸というところ。
 飛騨の宿舎は数年前利用した系列の所だが新たに立て直したもので、木組みを用いて、いたるところに用いた天然木や、珪藻土の壁材など、自然素材にこだわっているところが感じられた。
 補助犬法がなくて理解の乏しい宿であれば「犬の爪先などで木傷がつかぬともかぎりませんので」などと言って断られたかも。
 この宿では、靴からスリッパに履き替える所で、私がやるより先に職員二人がユニスの前足と後ろ足を拭いてくれた。ここまでやってくれずとも良いのにという思いもあったが、とにかくユニスはしっかり尻尾を振ってありがとう!を表現する。が後ろ足を拭く職員の方は頭や顔を尻尾でばたばた叩かれて苦笑い!
 温泉は、豊富な湯を、源泉掛け流しの大浴場露天風呂、そして「姫子松」の露天風呂・貸切露天風呂でお楽しみください。いずれのお風呂からも北アルプスの山なみや星空を眺められるようできるだけ目隠しをなくしています。とキャッチフレーズにあるように確かに自然の中で湯につかっているという実感はあったけれど、残念ながら厚い雲に覆われ星くずならぬ雨の滴が天空から舞い落ちて来る。
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2009年04月17日

ユニスくんとの石垣島旅行 その3(グラスボート・お墓)

 三日目。天気予報はなにやら怪しい。ユニスには一応レインコートを着せる。
 最後のプランはグラスボート。
 潮の満ち引きや天候などにより刻々とその色を変える川平湾。湾の入口をふさぐように横たわる小島をはじめ、小さな島々が湾内に点在し、石垣島を代表する景勝地となっている。その美しい海の中をグラスボートで観賞するというもの。
 群生する造礁珊瑚や色とりどりの熱帯魚が手に取るように見ることができる、まさに自然の中の水族館。
 船の中央に枠組みを作って、その中にグラスがはめ込まれている。その枠組みを取り囲んだ10数名。グラスの下の海底をのぞき込みながら「すごい!」 「きれい!」とあちこちから歓声が上がる。
 一応、言葉による説明もしてもらうが、こういう情景はやっぱり目で実際に見なければ値打ちはない。
 それにしても、バス・水牛車・仲間川の船・グラスボードそれぞれの運転手兼ガイドさんの陽気なこと。サービス精神旺盛である。
 最後に乗車したバスの運転手は極めつけ。バスを駐車場にしばし止めて、自ら三線をひき、添乗員に三板を奏でさせながら歌い出す。一曲・二曲・添乗員が時間を気にしかけて「おしまいです」と言わなければまだまだ続いたかも!
 運転を始めてからも、その饒舌は止まらず、バスの後方からは「安全運転やで」と声がとぶほど。窓の外には大きなお墓が幾つも並んでいる。
 運転手の説明、ご先祖様を大事にするところで、毎年1月26日には家族みんなでお参りをする。お墓参りの日には学校も半日になって家族みんなでお墓の前で酒宴を開くとか。
 運転手さん、沖縄の方言を幾つか出して「これはどういう意味だとおもいますか?」と。そのうち、「大阪の人がお墓を作っている人に『もうかりますか?』と訊ねたそうです。問われた人は何といったでしょう?」と質問してきた。これは、と思わず「ぼちぼちですなあ」と、自分でもちょっとびっくりするくらい大きな声で答えていた。
 結局、雨にも降られることなく空港に到着した。搭乗すると「点字の安全のしおりを持ってきましょうか?」と声がかかる。実は、伊丹から飛び立つときも安全のしおりを手にしたのだが、英語で書いてあるもので要領を得なかった。そのようにいうと「日本語で書いてあります」という。なるほど手渡されたものは日本語。救命胴衣の付け方を以前に集まりを持ってやったことがあるが、実際にそうした場面に出くわすことになったら、対処できそうにはない。
 伊丹に降り立つと夕刻近かったが八重山地方よりも暑いくらい。
 家人もユニスもお疲れさまでした。

以下に運転手さんの歌声を!
沖縄民謡.MP3
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2009年04月13日

ユニスくんとの石垣島旅行 その2(竹富島・西表島)

 二日目。雨は降っておらずまずは一安心。
 竹富島観光はオプション。2時間足らずにしては参加費が高いので見合わせようかとも思ったが、他の人はみんな参加ということで我々も加わる。
 朝食を早めに終えて7時半には迎えのバスに乗り込む。ユニスのダウンする場所のこともあって常に最前列に座らせてもらう。みんなが乗り込んだことを確かめてから添乗員の「どうぞ!」という声あってステップに足をかける。
 石垣島から10分ちょっと船に乗って竹富島。この島は昭和62年国の重要伝統的建造物に。海岸線長 9.12km 最高標高 24m。
島の中央部にある集落全体が、木造赤瓦の民家と白砂を敷詰めた道という沖縄古来の姿を保っている。村落の家並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 この集落を水牛車で観光する。20名近くが乗った車を1頭の牛がゆっくりと引っ張る。牛にもいろいろな性格があるようで、我々が乗った水牛車の雌牛は前を行くのんびりした雄牛の後ろからじれったさそうに着いているとか。それでも牛たちは狭い道角でもうまく引っ張って、車を塀にぶつけないように目的地まで歩むという。
 このブログに添付している音声は水牛車でガイドが「パパイヤは食膳にものる」などと説明をしているもの。水牛車のつい横を集落のバイクが走り去る。
 こののんびり君の雄牛「まんきち」に触れさせてもらう。ずんぐりした体感、触ったのは胴体も後ろの方で首筋まで見ることはしなかったが、けなげに仕事をしている牛の背中を撫でながらユニスとだぶらせてしまうものがある。
 この島には、星砂(太陽の砂)で有名な、皆治(カイジ)浜などもある。ここにも立ち寄りガイド兼用の運転手の指示どおり砂と岩の間に手のひらを押しつけるが容易いに回収できるものではない。
 次に、西表島へ向かう。この島は、台湾まで約200km、北回帰線まではわずか100kmの距離で、沖縄本島よりも台湾の方がはるかに近い。島の面積は、佐渡島の約3分の1、淡路島の約2分の1。島の面積の90%以上が亜熱帯の原生林(ジャングル)で覆われている。
 川口の川岸にはマングローブ樹林が発達し、特に船で観光した仲間川流域のマングローブは日本最大規模を誇っているとか。
 川といっても、淡水と海水が混じり合っていて、樹木も海水から我が身を守るために、一部の枝葉だけに塩分を吸収し、その黄色くなった葉だけが犠牲になっているとか。自然の摂理とは面白くも厳しいものだ。
 この船、かなり川幅も広く、一定の観光地点に移動するさいはスピードを上げる。最初はなんともなさそうに寝そべっていたユニスも台風なみの風が時として襲ってくるのに驚いたのか、最後の方になると助けを求めるように体をすり寄せてくる。膝の上に前足を持ってくると、一昨年の熊の古道を思い出してしまう。
 それにしても、ガイドする運転手のあまりの熱の入れようにあわや予定の石垣島へ帰る船に乗り継げなくなるところだった。
 そのガイドぶりも音声添付する。
 それにしてもユニスくん、今日は乗り物ばかりでちょっとうんざりしたかもしれない。マイクロバス・海の上の船、河を上り下りした風の強い船、そして水牛車にも2回乗る。
この2回目に乗った水牛車のガイドのおっさん、調子に任せて、牛をぴしゃぴしゃと最後の方で叩くものだから歩みを早め仲間の牛を次々とぬいて前にでる。
 私は、「かわいそうやなあ!」と言いながらユニスの頭を撫でる。
仲間川観光.MP3
水牛車.MP3
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2009年04月09日

ユニスくんとの石垣島旅行 その1(リス猿との対面)

yaimamuratosansin.JPG 体か動く内にということで、今回は石垣島へ出かける。H社を使ってのツアー参加は数回目とあって盲導犬同伴で申し込んださいの受け入れはスムーズであった。
 しかし、旅行が終わって伊丹空港で出て来る荷物を待ちながら三日間ご一緒だった人たちと言葉を交わす中で、H社がツアー参加者お一人ひとりに予め「盲導犬が一緒に行きますのでご理解を」という連絡を入れていたことが分かる。H社にして、まだ、こうした対応をしざるを得ないという現実を前に、盲導犬受け入れの厳しさを感じる。
 飛行機も、私の座席の横を一つ空席としてとってくれている。しかし、家人と私が座ればユニスはその座席幅の間で伏せていることはできる。配慮は嬉しいが、その一方で、盲導犬の傍らに空席を設けることで、客からのクレームを回避しようとする会社の思いもあるとすれば、この点からみても盲導犬の市民権は確立されたとは言い難い。
 出かけた三日間、本州は北から南まで春うららの晴天。だが、八重山諸島は曇天続き。それでも添乗員に言わせれば「日ざしが強くなくて観光にはちょうど良かったですよ」という。
 石垣島へ降り立ってまず立ち寄ったのが、石垣やいま村(八重山の家並みを再現したテーマパーク)。石垣島の民族文化を手軽に知ることができるとある。入り口で「ここにはリス猿を開放しているモンキーガーデンがありますが、盲導犬とはいえ犬猿の仲ですので、そこだけは入ってもらわないように」と早速のお声がけをちょうだいする。
 園内のスピーカーからは三線の音が聞こえて来る。実際に演じている人があって、「ちょっと見せてください」と触れさせてもらう。竿の部分は細い。
 ある場所に来ると電線が風になっているような音が聞こえてくる。何かと思いきや、これがリス猿。モンキーガーデンのフェンスの上からユニスを見て警戒し泣いているのだという。
 次に、鍾乳洞へ向かう。無数の鍾乳石群に彩られた巨大な地底空間。洞窟内には、シャコ貝などの化石があり、かつて海底であったことを思わせる。鍾乳洞とあってひんやりしているのかと予想していたが、常に20度を超えているとか。

以上ですが、
録音したもの二つ
リス猿、これは録音の都合で二つに別れてしまっています。
三線.MP3
りす猿.MP3
2りす猿.MP3

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2008年11月04日

ユニスくんとの東北旅行 その5  (なによりの褒め言葉)

 CIMG0227.JPG旅行の最後の日は蔵王の[おかま]へ。関西地方では雨が降っているようで何時雲行きが変わってくるかを気にしつつ日に一度しか走らないという在来バスを待つ。
 40分も乗らねばならぬということで混んでいたらどうしようかとちょっとは心配をしていたが、実際に乗り込んでみると乗客はまばら。最後尾の座席に座る。
 麓はまだ紅葉もしていなかったが、途上半ばになると色付きかけているという。
その内に霧かガスが立ちこめて見通しが全くなくなってきたという。カーブの多い山道運転は大丈夫か。そんないらぬ心配をしている内に山頂に着く。
 「おかまは見えますかね?」の問いに運転手さん「さあ、こんなにガスが出ていると難しいね」とあっさりおっしゃる。せっかく上がって来たのに、それではあんまりな!
 とにもかくにも「おかま」がある方向を目指す。
 何処から上がって来ているのか、ツアー客など多くの人たちも見えぬ「おかま」を眺めながら残念がっている。
 すり鉢型になっている足下を、ユニスのハーネスを握りながらそろそろと「おかま」のある方向へ下がる。が、足腰の弱りもあり、「もう、これ以上は止めておこう!」と声がかかる。
 その内、「わあー!晴れてきた、見えた・みえた!」とあちこちから歓声が上がる。良かった・良かった!
 ほどなく霧か小雨か水滴が降りかかってくる。観光も全て終わったところで「もう良かろう!」と天気も崩れかけてきたのかもしれない。
 待合室で帰りのバスを待っていると、「私も知り合いの盲導犬ユーザーの方がおられて、その犬はももちゃんというのですよ。それにしても、このわんちゃんは「やさしい・穏やかな顔」をしていますね」とおっしゃってくださる。
 近頃、ユニスを見て多くの方が同様なことをおっしゃってくださる。
 先代のハピネスへの声かけは「かわいい!」であった。ユニスは日を追うごとに「優しくて穏やかな」というお声をちょうだいすることが多くなった。これは嬉しいことだ。日々、ゆったり過ごしているということなのだろう。
 帰りのバスは2時間近く、それから2時間近く新幹線に乗って東京駅に着く。
 朝に2食分のフードを食べていたので排泄のコントロールがちょっと心配ではあったが、ション袋をつけて処理することもできて一安心。
 最後の新幹線に乗り込んで市内の地下鉄を乗り継いで地上に上がってくるとしっかり雨が降っていた。
 天気に恵まれてラッキーな旅行だった。家人もユニスもお疲れ様でした。 
posted by よろてん at 21:27| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

ユニスくんとの東北旅行 その4 (温泉に入っている間に)

 今回の旅行のメインともいえるD宿へついたのは午後3時過ぎ。この宿は盲導犬受け入れについて一度は断ってきたところである。
我々がチェックインの手続きのために腰かけると、まだ若い支配人が「盲導犬の受け入れは初めてで何かと行き届かぬこともあろうかと思いますがよろしく御願いします」と挨拶に来る。見渡せば、この宿のスタッフは若く都会的な雰囲気の人が多い。
 各お部屋は全て離れ形式にいて、広い庭には散歩道もあり、貸し切り風呂も四つある。借りたお部屋にも檜の露天風呂がついている。
 温泉は源泉80数度ということで、しばらく水を足してやらないとかけ湯もできないくらい熱い 。外気はけっこう冷たいが不思議と裸になっても寒くない。ナトリウム塩化物・炭酸水素塩・硫酸塩泉・低拡張性中性高温泉ということだが、湯から上がってタオルで拭き取る間もなく、皮膚はさらっと乾いてくる。
 ユニスとともに夕食に出かける。減塩食をはじめていることから、その味付けが気になっていたのだが、野菜中心で素材を生かす薄味ということと、一品ずつ運んでくれるので一皿ずつ味わいながら食べられるので満足感も味わえた。
 よく「これだけのごちそうですよ!」とテーブルいっぱいに並べられる食事もあるが、何かしら一つずつ味わうというよりは量の多さにうんざりとしてしまうことがある。面として確認しづらいということもあるのだろう。
ユニスくんは1時間ちょっとじっと待ち続けていてスタッフの顔も綻んでいた。
 翌朝、まだ夜が明け切らぬ時間、ユニスには朝食のドックフードを与えて「ちょっと待っててね」と声をかけて、他の人が入らぬ先にとせせらぎの聞こえるという露天風呂へ向かう。なるほど自然の中の風呂で薪と竹で囲いがしてある露天風呂らしい空間である。
 人それぞれの幸せ感や満足感はあるのだろうが、今の自分にとっては贅沢な一時だなあ、と感じつつ部屋へ戻る。
 「ユニス、これなにしたんや!」と家人の声。また、ゴミ箱でもひっくり返していたのかと思っていたが、折り畳み傘が足下に引っかかる。「あれ!鞄から出した覚えはないし」と、その傘を鞄に入れ直して気がついた。先ほどドッグフードを与えるために鞄から出したものの、うっかり鞄の入り口をしっかり締めておかなかった。予備のために鞄の底の方に、あと1食分のドッグフードをビニール
袋の中に入れてしまいこんでおいたのだが、それがない。しまった!留守の間に袋を引っぱり出してぺろりとたいらげたものと思われる。

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2008年11月01日

ユ ニスくんとの東北旅行 その3 (車椅子用トイレの無い宿)

 東山温泉の宿は滝が近かった。
 ユニスと一緒にお部屋へ案内してもらったが、座敷の一郭にシートを敷き、犬の足の裏をふいて、ユニスがそのシートの上にダウンするまでしっかり目止めてから「ごゆっくりどうぞ!」と、その案内者の姿が消えた。この部屋は、全て畳となっていることから、それなりに心配するのも分かる。ユニスには窮屈でちょっと可愛そうでもあるがコートを着せたまま寝かせることになる。
 狭いトイレの中では便はおろか排尿もしにくそうなので5階から地上までいちいち降りねばならない。外へ出なくても車椅子用トイレがあれば袋をつけて出すことには慣れているので、5階で「身障用のトイレはありますか?」と近くにいた従業員に訊ねてみるが「ここには無い」という。下まで降りていってフロントで同様な質問をしてみるが「どの階にもありません」との返答が返ってくる。思わず「へえ、車椅子用トイレが一つもない!そりゃあちょっと問題ですね」と言ってしまう。
 この宿、そうでなくてもフロントから各エレベーターを使おうとするときも階段を6段上がったり下がったりしなければならない。最初から車椅子など想定外である。
 こうした温泉場の施設を使ってみると階段の多いことに今更気づかされる。
 ユニスは、数回エレベーターを使い排尿・排便の往復をすると、だいたい自分の入るべき部屋が分かってくる。エレベーターを降りて「ドア・ドア」と声をかけると、そのドアの前までいって止まる。
 翌朝も早めに目が覚める。気になるのは天気予報、テレビのリモコンに手をやるが、何時も難儀するのは何処がスイッチで、どこがチャンネル操作をする所か分からない。おまけにチャンネルの振り分けが違うのでそこらじゅうプッシュしてみることになる。
 今日も「晴れるでしょう!」といっている。まずはほっとする。
 宿からバス停まで下り坂を散歩がてら歩く。途中、竹久夢二の碑が道ばたにある。
 会津若松から郡山までの車中、栃木盲導犬協会のキャリアチェンジ犬(盲導犬には適していないと判断されて一般の家庭で買われている犬)を預かっておられるボランティアさんと一緒になった。「わあー!盲導犬と出会えて、今日1日幸せ!」と言ってくださる。終点までの1時間あれやこれやと話し続ける。
 その人の家には、その犬とペット犬、それに猫3匹がいるという。「犬猫がいて、その中に一緒に人間が住んでいるようなものですよ」とあっけらかんとおっしゃる。
 盲導犬を育成していく上には、ある意味、パピーウォーカーなどのように目につきやすいボランティアさんがおられる一方で、リタイア犬を暖かく介護してくださったり、一線うから離れた犬を飼ってくださるボランティアが存在することも忘れてはならない。
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2008年10月29日

ユニスくんとの東北旅行 その2 (盲導犬と乗り物)

 当日、東京で30分ほどの乗り換え時間を挟んで4時間ちょっとユニスは座席の足下で寝転がっていた。ユニスの場合は、家人と私の二人分の座席の足下で、ときには横臥位となったりパピーポジションをとったり、好きに動けるが、ユーザー一人で新幹線を使う人は自分の足下の下に犬を伏せさせておかねばならないので気遣いも大変だろうし、盲導犬もエコノミック症候群にならないものかと…。
 単線のローカル線に乗り継いで会津若松に着いたのが午後3時。
 2年前まで同僚だったIさん、郷里から2時間以上かけて我々に遭いに出向いてくれる。職場ではあんなに可愛がってもらい喜んでいたユニスも、思ったほどの反応はせず、Iさんもちょっとがっかりされたのではなかろうか。しかし、ユニスくん、それだけ盲導犬としてのけじめをしっかり踏まえているということにもなる。
 宿に5時過ぎにチェックインするという予定にしてしまっていたので、1時間ちょっとの慌ただしい時間、一緒に鶴ヶ城の見学に出かける。
 まずはタクシーを使ってと、駅前に並んでいる1台に近づくと「犬はだめ!」と叫ぶ運転手。盲導犬であることを告げても「とにかくだめ!」。これ以上の問答は無用と、次のタクシーに、この人は、快く乗せてくれる。
 旅先で面白い一つに地元の人との会話がある。タクシーの運転手さんと言葉を交わす中で、「ああ、やっぱりあの人と話し方似てるは」と、福島出身の数人の知人の話しぶりが思い出される。
 鶴ヶ城にはガイドボランティアさんが待機されておられて、その内のお一人に御願いして城外を回る。ここは石垣が有名だということ。高さ36mもあるそうな。「何処か触ってみられるところはありますか?」と訊ねて、その石垣や黒金門(鉄板の張られた門)を触れる。花崗岩でできた石垣には縦の線が感じ取れる。「雨露に耐えるために溝状になっているのです」とガイドさんの説明。
 天守閣にも上がってみたい所だったが、限られた時間の中では断念せざるを得なかったことと、「上がるとしても犬は?」とガイドさんの言葉からすると、「もし上がろうとしたら、また、一口上述べねばならぬ」というしんどさもあって、あっさり「今回は見合わせておきます」と引き下がる。
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2008年10月28日

ユニスくんとの東北旅行 その1(宿の受け入れ)

 東北への旅行を考えたが、ツアーでは温泉に行っても露天風呂などには入れずに部屋のユニットバスに甘んじなければならないことにもなる。
 そこで、今回は個人的にプランを立て出かけることにした。
 旅行会社へ出かけ、貸し切り風呂のある宿舎を選び、そこを基点に行きたい観光地と大まかな日程を考えることにした。
 旅行会社の担当者と打ち合わせをしている間ユニスは常のようにおとなしく足下で伏せていた。
 そんなこともあってか、相談にのってくれたKさんからは「犬と一緒で大丈夫ですかねえ」というような問いかけは全くなかった。
 ところが明くる日、Kさんから経過報告の電話が入った。「一応盲導犬同伴のことを宿舎に伝えたのですが、1の宿はオーケーだったのですが、2の宿はパブリックゾーンには同伴してもらっても良いけれど座敷のある部屋までは困る、と言っておられ、私が直接聞いた訳ではありませんが3の宿は受け入れられないと言っていますが」と、またまた何時もと同じような返答を聴かねばならないことになる。
 2の宿舎は事情を聞くことなく利用を取りやめた。
 3の宿舎については、行ってみたいと思っているところでもあり、Kさんも「私からもう一度打診してみます」と言ってくれたので「もし、それでも断るようなことを言ったら補助犬法のこともあり、私の方から話してみる」といって電話を切った。
 さて、どのような返答がかえってくるか。旅行一つ行くにも一喜一憂しなければならない。利用したい宿であっても、安易に使えないという現状!
 Kさんとの電話連絡は数日間続いた。結果は3の宿もオーケーということで、まずまずの計画がまとまって出発できることになる。
 「新幹線の座席はトイレにも近いので良いと思い、入り口近くに取っておきましたとKさん。それなりの気遣いをしてくれているのが分かる。
 それにしても、補助犬法が成立したとはいえ、現実の社会の中ではまだまだ認識されていないということが痛感されるこの頃である。

posted by よろてん at 13:55| 京都 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする