周囲の方とコミュニケーションを取る手段として、時と場合に応じて「筆談」を使われた方が間違わず誤解を招くこともないのではと私など考える。
ところが、他のスタッフによれば、「この方は筆談はしたくないと強く拒否されておられる。ご当人の自尊心を傷つけない意味でも筆談をあえて勧めたくない」という。
他の事例であるが、杖無しでは屋外歩行はちょっと不安定であるが、杖を使えば楽に歩ける人がおられる。
しかし、この人「杖なんか持ったらかっこ悪い!」と杖使用には消極的。
筆談をすることが「聴覚障害」に結びつき、杖を持つことは「もはや正常ではない」という概念に結びついていることはないだろうか?
「自分たちはそうした枠組みの中にはいない」というのが心の何処かに沈んでいて、
これが「自尊心」とい形で有形無形に現れているのではないか?
もとより生活歴の中から育ってきたこの「自尊心」なるものを頭から否定する
ことはできないし、それはそれとして受け止めることが必要なのかもしれない。
しかし、個々の持つ自尊心は、見方を変えれば他の人の「人間としての尊厳」を否定しかねない。
私たちが尊重すべきは、「自尊心」である前に「人間としての尊厳」でありたい。
耳が聞こえなくとも、足が不自由でも人間としてしっかりコミュニケーションが成立し、自由に行動ができることが、社会的にも個々人にとっても最も大切であろう。
しかし、「まずは利用者さん個人の自尊心を守りたい!」という現実的な言葉の前に埋没してしまう。
1利用者さんとスタッフの関わりの中では「個人の価値観」を重んずることは必要だろう。それで止めておいて良い話かもしれないが、私の中では払拭しきれぬものが残っているのも現実である。