2022年10月17日

視覚に障害のある私から生徒たちに伝えたかったこと


視覚に障害のある私から生徒たちに伝えたかったこと

 先日、某小学校6年の担任の先生から「今、「ともに生きる」というテーマで
生徒たちと話し合っているのですが、障害当事者のお話を聞いてみたいというこ
とになって、「学校支援ボランティア」の登録リストをみて連絡させてもらいま
したとのこと。日ごろから子供たちにこそいろいろ伝えておきたいこと・話した
い事があり、そうした機会があればと願っていたときでもあり、喜んで依頼をお
受けした。
 授業は、見えないことを体験する実習も含め、2こま・90分をとってもらうこ
とにした。出かける前に、生徒たちに二つの問いかけをし、個々がどのように受
け止めたかを聞いておいて、当日、それらの解答も踏まえて話をすることにした。
 問いかけの内容と、個々の生徒たちからの幾つかの解答は、
@ 電車・バスを待つ行列の半ばに立っている時、その列に並ぼうと盲導犬使用
者が近づいてきました。あなたならどうしますか?
・自分の前に並んでもらう。
  ・背中を支えて電車に一緒に乗る。
  ・どうすればいいのか分からないから無視をする。
A ちらほら空席のある車内、白杖を所持した視覚障がい者が乗車してきました。
貴方ならどう対応しますか?
  ・困っている様子がなければ見守る
・手を出して怪我をさせてしまったら大変なので何もしない。
  ・まず,自分が立って「ここに座っていいですよ」と言い,他の空いている
ところに移る。
 当日、話の流れは時間枠を決めて考えていたが、話し出すとあっという間に時
間が立ち、結局アイマスクを装着しての体験学習は時間がなくできなかったが、
「何かお手伝いしましょうか?」のDVDをみてもらうことで、横断歩道を渡ろう
とする視覚障がい者・バス停で待つ視覚障がい者に行き先を知らせることなど、
「私でも出来そう!と思ってもらえたことも大きい。
事前に出しておいた問いかけについての説明としては、とにかく「目の提供」で
あって、それ以上の関わりは不要であること。
@ 行列に並ぼうと近づいてきた視覚障がい者にとっては、列の最後尾が何処
であるのかが分からない、また列が動き出したときに自分の前にいる人が前進し
ていることがわからないことがある。「ここが最後尾です、前へ進みます」と教
えてもらえたら助かる。
A ちらほら空席のある車内。空席があること、座られるかどうかの確認、も
し、自分の 席を譲る場合は「私は他に空いている処に座ります」と言ってもら
うことで視覚障がい者は気持ちの上でも楽になる。相手の意向を尋ねることの必
要性。「してあげる」ではなく、相手が何を必要としているのかを感じ取る。日
常場面の中でもよくあること。
  盲導犬と一緒に出掛けたので階段を上り下りするところなど実際にやってみ
ることも考えていたがこれもスライドを見せることで終わった。

 最後に、生徒たちからの質問に答える時間をとった。そのいくつかを。
Q.もし目が見えるとしたら何をしたいですか?
A.声で判断していますが、あっている人たちの顔や姿。自然界の美しい風景、飲
食するときも「目で楽しむ」ことができたら、よりおいしいかも。生徒には言っ
ていませんが、相手の目を見ながら会話ができたら!
Q.夢はみますか?
A.見ます。特に目で見ているというのではなく、日常の生活の延長線上としてい
ろんな場面が現れます。
Q.悲しくなったとき涙は出ますか?
A.目で見るときに使うのはレンズ役の眼球と視神経。涙が出るのは涙腺です。ネ
ットで調べてみてください。と付け加えました。
  授業を終えて、その後に、担任二人と生徒たちから感想文を送ってもらった。
その感想も読ませてもらって、最後に以下のまとめを学校に送り、生徒たちにも
伝えてもらった。

○自らに引き寄せて考えてもらえたか?
「担任の立場を忘れ、一人の人間としてお話を聞いていました」と受け止めてく
ださったことはうれしいことでした。
生徒の感想文の中にも、「何か役に立てることがあれば」というのと、「してあ
げたい」というものがありました。
障害のある者を一つの対象として考える場合「なにかしてあげたい」という自分
の思いを与えてしまいがちです。それが「ここに座ってください」ということに
なります。
「役にたつ」ということは見えない部分を補強するということになります。これ
が「お手伝いしましょうか?」「何か困っておられますか?」という声かけにな
ります。
このことに気づいてくれた子供たちが多かったことは心強いことでした。
行動として実践していきたいと書いてくれている人も多くいてよかったと思いま
す。
○多くの人に啓発していくきっかけに
・今日で知ったことなどを周りの人に伝えてあげたりもして視覚障害の人たちに
も役に立ってほしいです
・話を聞いて障害について家族にも話してみようかと思います。というような生
徒からの感想。
もう一人の担任から「今回教えてもらったことを、まずは子どもたちの家族や兄
弟、そして他の学年に広めていくことができるのではないかと思います」と書い
ておられます。
○障害は個人の問題か?
・目が見えない人に障害を作ってるのは周りのひとたちだと気づいたので、今日
学んだ事をこれからにしっかり生かしていこうと思いました。
・本当は、なれた場所は辛くなく目も見える人もいて普通に暮らしている人だな
と思いました。
・もっと障害者も普通の人と同じように、不便なく暮らせる社会になればいいの
になと改めて思いました。今までは、障害を持った人と聞けば、「自分たちとは
少し違う」「どうしたらいいかわからない」「自分たちにはあまり関係ない話」
と思うことが多かったですが、とても身近な存在で、自分たちのちょっとした声
かけで、安心して信号を渡れたり、電車やバスに乗れたりするとわかりました。
・「目が見えないことが不自由ではなく、その生き方で不便な社会が障害」とい
う話がとても心に残っています。私は障害は一人一人が人生で一生苦しみ続ける
ものと考えていたので、そう考えていない人たちが幸せに暮らすことができるの
は私達次第だと気付くことができたからです。
・私は、どこかで障害のことを「私には関係ない」と思い、関わろうとしてこな
かったのですが、お話を聞いて、だんだん目が見えなくなってしまうことがある
ことや、ちょっとした声掛けで、買い物をしたり、バスや電車に乗ったりするこ
ともできると知り、私達と大きく変わらない、とても身近な存在だと感じました。
また、私はいままで、視覚障害を持った方を見ても、「迷惑だったらどうしよう」
などと考えていまい、自分から話しかけることはできないでいました。しかし、
今回、「お座りになってください」ではなく、「お座りになりますか?」と聞く
など、ちょっとした話し方の違いで、相手の感じ方は全然違うことを教えていた
だき、「迷惑だったら?」なんてことではなく、相手がどのように感じるかを一
番に考え、話しかけることができたらなと思うことができました。
「点字ブロック」や「音声信号機」が、視覚障害を持った方にとっては、とても
大きなものであるのに、障害を持っていない人には、必要のないもの、邪魔なも
のであることを悔しく思いました。
もっと、すべての人が不便なく、幸せに暮らせる社会になってほしいです。
posted by よろてん at 12:03| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月19日

京都でもオンラインによる対面朗読始まる


京都でもオンラインによる対面朗読始まる
 私は、3年前から地元の図書館で対面朗読サービスを利用している。
 この対面朗読とは、朗読者が「目の代わり」となって指定された資料を読むサ
ービスで、読み手はボランティア。点字資料や録音資料に訳されていない資料を
即座に利用できるという利点がある。
 図書館に利用を申し出たときは、初めての取り組みでもあり、視覚障がい者に
どのように接したら良いか分からず職員の方は戸惑われたことだろう。
しかし、盲導犬と一緒に来館を重ね、時間の経過とともに、スタッフの方々から
「○○です。お部屋まで誘導します」とさりげなく声をかけられ、腕をかしても
らえるようになってきた。
 地域の図書館でサービスを利用する目的は、もちろん情報を得ることもあるが、
読み手をしてくださる方、職員、そして、図書館を利用しておられる人たちに視
覚障がい者や盲導犬について自然な形で知り理解してもらえるのではないかと考
えたからである。
 実際に読み手として関わってくださった方からは、「わざわざライトハウス
(視覚障がい者施設)まで足を運ばなくても、生活圏の中で日常の時間枠の中に
導入して関われるし、日ごろは読まないジャンルの本を読める機会にもなって」
と受け入れてもらっている。
 昨秋、職員に「オンラインでこうした対面朗読がしてもらえたら一人で外出の
難しい人もサービスが受けられて良いだろうなあ」とつぶやいたものである。そ
のことが強い要望と聞こえてしまったのかどうかは定かでないが、数週間後、館
長から「朗報があります。新春からオンラインによる対面朗読が始まります」と
伝えられ、一瞬「えっ!?」とあまりの速さにびっくり!これまでいろんな場面
で関係者に、視覚障がい者当事者としての思いを語り、具体的な提案もしてきた。
しかし、その多くは実現せぬままに消えてしまっている。それだけに驚きと感激!
 年が変わり、早速オンライン対面朗読を申し込んだ。zoomを使って2時間。読
み手の方には中央図書館まで出向いてもらう必要があるが、私の方は自室のパソ
コンの前でサービスを受けることができる。
 今回、私がお願いしたのは、学習中の囲碁の参考書。図書館の蔵書の中から5
冊を準備してもらって、書店で立ち読みするように1冊ずつそれぞれの概要を読
んでもらい、点字書として使いたいもの、対面朗読の中で対処していくものなど、
自分の必要度に合わせて決めることができる。こうしたことは今までできなかっ
たことだ。
 近年、サピエ(視覚障害者及び視覚による表現の認識に障害のある者に対して
点字、デイジーデータによって暮らしに密着した地域・生活情報などさまざまな
情報を提供するネットワーク)などを使って、以前には考えられないほどの大量
そしてタイムリーな情報が提供されるようになってきたが、法律やインターネッ
ト、各種の趣味など専門的なものについては、少数者の利用ということもあって
訳されていないものもある。
 今回、囲碁の参考書を読んでもらうことになった方も全く囲碁の知識はない方。
予め少し出て来そうな言葉については調べておいてくださったとのこと。専門的
な内容になればなるほど、読み手にとっては大変さも増してくるだろう。将来、
図書館の蔵書を使って専門的な知識を求める利用者が増えて来るとしたら、そう
したニーズに対応できる読み手が現れるよう。今後のボランティアの在り方につ
いて図書館としても考えてもらえたらと願っている。
posted by よろてん at 14:04| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月26日

盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (5) 犬を通して知ることから理解を


盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (5)

犬を通して知ることから理解を

 白杖を所持していても、街中・バス停・待合場所などで一般市民から声をかけ
られることはあまりない。その点、盲導犬と一緒にいると、多くは犬の話題を通
してではあるが話しかけられることがしばしばある。時と場合、ご近所や会合な
どで顔合わせのある人など、その関わり方によって、盲導犬そのものの話題で終
わることもあるが、できるだけ盲導犬の使用者である視覚障がい者の実情などを
知ってもらえるような話題作りに心掛けている。
 盲導犬啓発活動の一つの事例として、歩道に乗り上げて放置されている車があ
る。盲導犬は犬と使用者二人分の幅がないときには、通れないことを見極めてそ
の障害物を避けようとして車道へいったん出てからまた歩道へ戻るようにする。
ここまでの説明で終わると、その内容を聞いた人たちは、「何と盲導犬は賢いな
あ」ということで終わってしまいがちである。
 このとき、犬も視覚障がい者も危険な場所へ出なければならない状況を作った
のは誰!という問いかけをすることで、自らのこととしても引き寄せて考えても
らえるような、そうした場になればと願っている。

 盲導犬が視覚障がい者と一緒に歩き・生活するためには、多くのボランティア
の皆さんが関わってくださっている。
 しかし残念ながら、それらのボランティアさんと使用者である視覚障がい者と
の接点は少ない。それぞれの犬には個々の生活歴があり、飼い主が変わっても過
去の生き方について情報を提供しあっていくことは必要ではないかと考える。盲
導犬事業運営者が双方の連絡を取り合うことに消極的なのはそれなりの理由もあ
るだろう。しかし、そのリスクよりもせっかく盲導犬のボランティアを志してく
ださった人たちには、より積極的に視覚障がい者のことを知ってもらえるチャン
スを提供してもらいたい。
 一定の知識をもってもらえることで視覚障がい者と生活する犬との関わり方は
どうすれば良いか?犬とのかかわりを外れても視覚障がい者へのサポートの在り
方など、いろいろ知ってもらうことができるだろう。
環境のゆるすかぎり、盲導犬を介して、情報を共有しあえる場を提供していける
よう事業者には働きかけていってもらいたい。
posted by よろてん at 09:10| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (4) 目の代わり


盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (4)

目の代わり

  バス停やポストなど「面」上に有るものを探すのも盲導犬にとっては大切な
作業だが、視覚障がい者としてやって欲しいことがある。それは落とした物を拾
って見えない者に渡してもらうこと。

 盲導犬と一緒に歩くとき、できるだけ左の道端によって歩くようにしている。
一定の高さまでの障害物については犬が避けてくれるが、路上駐車している大型
の車のミラーや垣根越しに突き出した枝葉までは目が届かず、ようしゃなく顔面
を直撃する。それで外出時は前つばのしっかりした帽子と眼鏡を着用するように
している。ところがうっかり木の枝に眼鏡がひっかかり路上に飛んでしまったり、
犬のブラッシング中にブラシがうっかり手から離れてしまったことや、囲碁をや
っていて碁石が床に転がってしまったことなど、そのつど「拾う」ということの
難儀さを思い知らされる。
 「目の代わり」として盲導犬に「拾う」という作業を習得してもらえたらどん
なに助かるか!聴覚や下肢の障害のある者への介助犬が活躍しているが、視覚障
がい者にとっても介助犬的な役割を果たすことで盲導犬の存在はなおのこと高ま
るだろう。
 共同訓練の中で、この作業ができるよう訓練士に申し出たことはある。うまく
できそうな気配もあったが、結果として実用化にはいたっていない。
 この「拾う」というプロセスの中で、見逃してはいけないことは、単に拾うと
いうことで終わらず、その目的物を視覚障がい者の掌の上に乗せるということが
重要である。同様に、「カム!」と呼び寄せたとき、視覚障がい者の身体にしっ
かり触れるように接近すること。近くまできていても、そのあたりをうろうろし
ているだけでは来たことに気づかず何度も呼ぶようなことにもなる。「近くにい
る」という距離感ではなく「触覚」による確認が必要。

 盲導犬になる犬には子犬のうちから視覚障がい者への関わり方を日常の中で学
習させておいてもらいたい。呼んだら体当たりするくらいに接してくる。ボール
遊びなどしたときも、必ず手元にもってくる。こうした楽しみながら学習したこ
とがその後の視覚障がい者との生活の中で生かされてくる。
 移動のサポートプラス「目を提供する視覚障がい者介助犬」としてグレードア
ップすることで、使用者が増えていくことを期待している。
posted by よろてん at 09:10| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月18日

盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (2)  面・線・点

盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (2)

面・線・点

 晴眼者が「目」からの情報として得るものが「面」であるならば視覚障がい者
が得る情報は「線」であり「点」である。周辺を把握するために耳から得る情報
はある意味「面」ともいえるが、移動においての最終確認は「線と点」である。

 盲導犬の仕事は、側面にそって歩くこと(線)、曲がり角や段差のチェック
(点)、障害物の回避(点)の三つが基本であろう。
 この3点が確実にクリアできれば頭の地図を使えば概ね何処へでも行けると言
っても過言ではないかもしれない。

 5頭の盲導犬との共同訓練を通して感じたことは、「寄り」(線) 「コーナ
ーチェック」(点)の課題を5頭の犬それぞれに一定の条件下では見事にクリア
して「グッド」なのだが、共同訓練を終えて、さてユーザーとの歩行が始まると
環境の変化や指示するタイミングなどもあろうが、その動きがアバウトになって
しまうのも全ての犬について感じている。
 道路沿いに歩いているつもりでも、駐車などがあって、それを避けようと道路
の中央へ出て、そのまま道の真ん中を歩いていたり、角・辻があっても、そこで
止まらず素通りしてしまうことがある。こうなると頭の地図は役立たず、「面」
の状態の中に放り出されてしまったようなもので周囲との距離感覚が分からなく
なり、どの方向を向いているのかも定かでなくなる。早朝の散歩では道路を通る
車量も少なく朝日もまだうっすらとしているようなときなど、耳からの情報や日
差しを感じる触覚などが働かず迷ってしまうことになり、音声方位系(1万円以
上する)のようなものを手掛かりとしなければならなくなる。
 盲導犬は「目の代わり」をしてくれる存在である。しかし、犬自身は、何時も
寄り添っている人が「目の不自由な人」と認識している分けではなかろう。様々
な行動の中で、こうしたときはこのようにすれば褒めてもらえるとか、こんなこ
とをしたら叱られる、という経験の積み重ねが盲導犬としての動きとなっている
のだろう。
 基本中の基本練習。「線」で確実に傍らに寄る、「点」角・辻のチェック。そ
して、「ストレート」真っすぐ渡り切る、十字路やY字路に差し掛かったところ
では、しっかり止まり、「レフト・ゴー」左へ曲がるあるいは左の方の道を行く、
「ライト・ゴー」右へ行く。これらの指示を受けてできうるかぎり正確に言われ
た方向に足を向ける。
新パートナーと歩き始めてしばらくは、訓練を受けた環境でないこともあって、
犬によって差はあるが、ユーザーとしてはかなり苦労する。慣れてくれば、その
犬の得意・不得意も何となく分かってきて対処するが、知らぬ間に歩道から車道
へ出てしまっているなど後から振り返るとひやりとすることもある。
 諸事情もあって難しい点はあろうが、盲導犬になる犬全てに統一してトレーニ
ングすべきは前述の基本。その基本も多様なバリエーションを取り入れてどのユ
ーザーにとっても使用しやすいレベルを目指す。そのためにはトレーニングの半
分くらいは費やしてもらわねばならないだろう。
posted by よろてん at 15:39| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (3)   視覚障がい者個々それぞれのニーズにそった対応を 


盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (3)

視覚障がい者個々それぞれのニーズにそった対応を

 視覚障がい者といっても見え方・生活のパ ターンなどから盲導犬使用者と
してのニーズも様々である。
 5回の共同訓練を終え実際に37年間、盲導犬との行動を通して感じたこと。
以下は、今後のトレーニングの在り方についての私見である。

 基本トレーニング(線と点)が終わった段階で、候補ユーザーとなるべき視覚
障がい者とのペアを設定し、その視覚障がい者の生活・行動基盤に基づいたプラ
ンをユーザー・担当訓練士間で計画し、まずは担当訓練士の下、盲導犬に一定程
度の学習をさせた上で、その目的を達成できそうなことを踏まえた上で、ユーザ
ーとなるべき視覚障がい者との共同訓練を開始。各項目についてユーザー・盲導
犬ペアにおいて各項目がクリアできたかを確認して、全てをクリアできた段階で
最終ゴールとする。
 この工程は、「与えられる犬」から「コンシューマー」(使い手モデル)の考
えである。

 私のばあいは、横断歩道を渡るときは原則として点字ブロック(点ブロック)
の上に立ちたい。以前横断歩道の白線を目安にトレーニングされた犬と訓練に入
って、犬は横断歩道をチェックしていてもブロック状でなかったので横断歩道を
見過ごしたということがあった。在住地域によって必ずしもブロックが何処にも
敷設されていないところもあり、白線を目安としたチェックを求めるユーザーも
出て来るかもしれない。エレベータを使うユーザーもあろうが私の場合は見える
同行者がいない場合はエレベータを使わず階段やエスカレーターを使う。駅の改
札口を通るときも私の場合は、身障手帳を有人改札口で見せるが、ICカードを使
っている人の場合は、その改札口へ誘導することを求めるだろう。
 犬にとっても基本学習の中で将来使わないであろうテーマを一定時間教え込ま
れるよりも必須であるべきテーマに重点をおいて教えてもらった方が効果的であ
る。途中で違う事柄を導入されることで混乱するケースは多く体験してきたとこ
ろである。
 盲導犬歩行において、「寄る」 「止まる」 「方向を変える」という動的な
要素の他に、盲導犬には「目の提供」も期待している。
 点字ブロックや改札口・エスカレーターの場所などへの誘導。電車・バスなど
に乗車したさいの空席チェックなど。これらは身近におられる人の声掛けがあれ
ば解決することではあるが。

 訓練を終えてユーザー(視覚障がい者)が盲導犬とともに生活圏で行動し始め
たとき、不慣れからくる細かなトラブルはいろいろ生じてくる。慣れるまでは安
心とまではいかぬまでも安全を確保できることは必須である。そのためにも盲導
犬に託せることとユーザーがしっかり管理していくべきことを見極めていかねば
ならない。
posted by よろてん at 15:32| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (1)  触地図の効果


盲導犬の役割として視覚障がい者が求めるもの (1)

 私はあと数年で80歳の大台にのる。
 ここまで4頭の盲導犬と37年間歩いてきた。4頭目の盲導犬も10歳の定年を迎え
ることになった。さてこれからどうするか?今後、何時どのような環境の変化が
生じて盲導犬との生活が困難になることも考えられる。
 そうしたことも踏まえて盲導犬協会に、5頭目の盲導犬貸与について相談した。
結果、ユーザーとして犬を管理できる間は貸与するということになり、それこそ
最後の盲導犬との再出発となった。
 新パートナーの盲導犬は体重22s。これまでの4頭が30kg前後あったこと
からすると二回りほど小さい。盲導犬はユーザーの半分くらいの体重がないと何
らかの事情で踏みとどまらねばならないときのブレーキ役になれないと言われて
きた。ところが最近の盲導犬は総じて小さくなってきているという。乗り物や飲
食店を使うとき、足元に伏せさせておくには小さな方が良いが、実際に行動して
みたらどうだろうか?そうした課題もかかえながら、盲導犬・ユーザーそして盲
導犬歩行訓練士との共同訓練に入った。

触地図の効果
  私がまず訓練士にお願いしたのが触地図である。
日常的に盲導犬と一緒に散歩として使っているルートが7・8箇所ある。歩数で
いえば
4000から8000歩くらい。これらのルートを共同訓練の実施場所とするにあたり、
自分の頭の中にある地図を今一度確認しておくことにした。慣れた盲導犬との移
動では常にユーザーが支持しなくても経験的に盲導犬が「連れていく」というこ
とがある。本来はユーザーの支持にしたがって歩くのが盲導犬歩行。
 触地図というのは、鉄道・バス通り・枝道・川や駅などを指先で触って分かる
よう点や線をザラツキなども変えて作成する。距離感や曲がり具合などをより正
確に表現する。
 幾つかの工程を経て作成してもらったものを見せてもらって感激と驚き!
 これまで真っすぐ歩いていたように思っていたところがかなり曲がっていたり、
横断歩道の白線が引いていなかったところを平気で渡っていたり。全体的な配置
がよく分かる。
 事前に情報を得ておくことで、どのポイントで盲導犬に支持を出したり、より
慎重に歩かねばならない箇所などが確認できる。また、訓練を終えてから触地図
を見ながら具体的に反省点を振り返ることもできた。
 作成は大変な労力であったろう。関わってくださった人たちへ感謝!
posted by よろてん at 15:05| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月25日

ツアーへ申し込んだ盲導犬ユーザーの一コマ

ツアーへ申し込んだ盲導犬ユーザーの一コマ

 地元の新聞社のツアー旅行の案内があり、それに申し込んだ。
先方が受け付けたので、「盲導犬も一緒」と告げると、案の定「ホテルに問い合
わせてみますので」と、その返答を待つことになる。
その回答は、「ツアー客とは別に離れに泊まってもらうことになります」という。
「盲導犬と一緒だと、どうして皆と一緒の所に泊まれないのか、その理由を聞か
せてほしい」と問うと、盲導犬のことは分かっていますが、そのホテルでは、盲
導犬もペットも離れだと一緒にお風呂にも入ってもらえます」と、驚くべき答え
が返ってきた。
 ペットと一緒にお風呂に入りたいという人もあるのだろう。しかし、わが盲導
犬は視覚障がい者の歩行手段のサポートとして社会に認知されているものであり、
風呂に一緒に入るというようなことは考えたこともない。
 盲導犬とペットを同一化していることが、このことからもみてとれる。
そして、最初に「離れで」といったさいには「レベルが高いので金額も上がりま
す」とまで付け加えていた。ここまで言われると、「それならやめておきます」
という人が多いのだろう。

 別のツアーを使い始めたときも、同じような対応をされた。しかし、同ツアー
を一度使ってみて、添乗員にもしっかり知り、理解してもらってからは、会社の
方で関係施設に「問題ありません」と説得?してくれて、何ら問題なくツアーを
楽しんでいる。

 今回の場合、「一緒にお風呂にも入ってもらえますので」という好意的な考え
であるのなら、「そういうところもありますが、どうされますか?」と問うてく
るのが順当である。

ツアーの責任者に、盲導犬を使う視覚障がい者を、このような形で離れへはじき
出すのなら、白杖を使っている視覚障がい者にも同じ扱いをするのか?
 車いす使用者が申し込んできたらどうしたのか?
 おそらく、そうした人たちが申し込んでくるなど想定外だったのではないか?
 正確な案内を出すのなら、ツアーで受け止められない人たちのことはお断りと
して申し添えておくのが本筋ではないのか?

 こうしたやり取りは本当に疲れる。「一般」と言われる世間から想定外に押し
やられている者が、「当たり前」に行動しようとしたときに、常に「障壁」が立
ちはだかり、多くの場合、それをあえて超えようとする気力を失ってしまうのだ
ろう。

 このやり取りで、どれほど理解してもらえたかどうかは分からないが、最終的
な回答は、「まったく問題ありません、一般の方と一緒の所で」というものであ
った。

3月半ばのツアーであったが、新型コロナウイルス感染のこともあり、啓発を目
的とした旅行の半分の目的も果たせたことから、今回はキャンセルすることにし
た。
posted by よろてん at 08:47| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月11日

京都国立近代美術館から、視覚障がい来館者に対する対応についての回答

昨秋、美術館の視覚障がい者に対する関わり方について、問い合わせた回答がい
ただけていないとの内容をこのブログに書いたが、手違いで見ておられなかった
とのことで、改めてご回答をいただいたので紹介する。


当館の現状の対応について、ご回答させていただきます。

現状では、視覚障害のある方がいらっしゃった場合、言葉による作品鑑賞をス
タッフがご一緒するというかたちで対応をさせていただいています。
見えない方が、触ることによって主体的に情報を得ていただけるというのは、
我々もこれまでの取り組みでお会いした視覚障害のある方から教えていただいて

おります。ただ、美術館は作品を保存し後世に同じ状態で伝えていくという使命

も持っている社会施設です。そして当館は、(見える・見えないにかかわらず)

来場者の方がさわって鑑賞することを前提とした作品というものを、これまで、

収蔵したことがありませんでした。
ですが、「誰もが楽しめる美術館にする」という思いのもとで2017年から「感覚

をひらく」というプロジェクトをスタートしまして、イベントという単発の取組

みではありますが、本物の所蔵作品をさわってもらう機会を設け始めました。
その準備の段階で、「安全にさわることができて、触ることでより一層理解が深

まる作品はどれか」という観点から、収蔵品を別の角度からとらえてみるとい
う、新しい視点を学芸課スタッフの間で持つようになってきています。「これは

大丈夫」と学芸課内で判断がなされた作品については、イベントの中で自由にさ

わって体験していただいています。このプロセスを今後も続けていくことで、
触って体験していただける作品が増え、また、そうした作品に対するケアの仕方

や来場者の方のナビゲートの仕方についても、我々のなかでノウハウが徐々に蓄

積されていくものと感じております。
ここからは美術館としてではなく個人的な意見ですが、将来的には、常設的にさ

わることができる作品が展示されていて、要請に応じて専門のスタッフが対応す

るという状況になれば理想的だなと思い、プロジェクトに携わっています。

また音声ガイドについてですが、当館は、企画展と常設展で、5〜10作品につ

いて、音声ガイドを毎回作成しております。文章は当館の学芸スタッフが執筆し

ています。
企画展の場合は、会場内で音声ガイドの機器を有料で貸し出しています。聴覚障

害のある方には、文字に起こしたものをお貸出しできることもございます。
また常設展では、スマートフォンのアプリで「カタログポケット」というものを

導入しており、こちらをダウンロードいただくと会場だけでなくご自宅でも、作

品解説が自動音声でお聞きいただくことができます。ただ、こちらの「カタログ

ポケット」、視覚障害のある方には操作が複雑で難しいようでして、まだまだ改

善の必要があるなと私どもも感じているところです。
また一般的に音声ガイドは、視覚で作品を見ている方にむけて付属的に情報を伝

えるツールという前提のもと、文章が書かれています。そのため「視覚障害のあ

る方が楽しめる音声ガイド」という観点からみれば、不親切で不十分な表現が
多々あるように感じております。見える・見えないにかかわらず楽しめ、想像が

膨らむような、ユニバーサルな音声ガイド、あると良いですね。


ここまで。


心強いご回答をいただいて、今後の取り組みに期待したい。
posted by よろてん at 10:52| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バス乗務員へのお願い

年末、以下の内容を地元新分の投稿欄に送信しておいたが、没になったかとあき
らめかけた今日11日に掲載された。


バス乗務員さんへのお願い

 私は盲導犬ユーザーです。犬と一緒にバスに乗降することもしばしばあります
が、先日、バスを降りた所で転倒してしまいました。足を下ろした所が歩道でな
く車道で、急いで歩道へ上がろうとしたときに右足が歩道にひっかかってしまい、
あえなく転んでしまいました。今回は、コートの汚れを払う程度ですみましたが、
打ちどころが悪かったら骨折していたかもしれません。
 日ごろバスに乗車するさいにも、歩道からすんなりバスへ乗り込むことができ
ず、いったん車道へ降りてからバスへ乗り込まねばならないことがあります。
 降車時、乗務員によっては、歩道に寄せられなかったことを伝え、その状況を
説明してくれる人もありますが、そうした断りをする乗務員はほとんどありませ
ん。
 歩道にぴったり寄せて止まってくれるバスから降りるときは救われた気持ちに
さえなります。足腰の弱りつつある高齢者にとっても同様なことがいえるのでは
ないでしょうか。
 低床バスなど物理的な環境は整えられても、実現場で関わる乗務員のソフト面
の対応がなければ真の安全は確保できません。よろしくお願いします。

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2019年12月24日

タンデム自転車で走ってみませんか!


タンデム自転車で走ってみませんか!?
 タンデム自転車(tandem bicycle)というのをご存じでしょうか?
 今回取り上げる自転車は、前後に並んで乗り同時に駆動する二人乗りのもので
す。前部に乗車する人はキャプテンまたはパイロット、それ以外の後部に乗車す
る人はストーカー(Stoker)またはコパイロット(co-pilot)と呼ばれます。
2人乗りのタンデム自転車は、2人で漕ぐことにより出力が2倍になる一方で空気
抵抗はあまり増えないので、1人乗り自転車と比較して高速での走行が可能とな
ります。

 見えない・見えにくい人はサイクリングを楽しむことはできません。そこで見
えている人が前・視覚障がい者が後ろに乗車して走れるタンデム自転車が各地で
数年前から利用されるようになってきました。

京都でも、ぜひタンデム自転車で楽しめる環境を整えていきたいと考え、201
3年に京都サイクリング協会(KCA)と私の所属するユニーズ京都で話し合い、2
014年に、京都府警に出向き「公道を走れることを京都でも認めて欲しい」と
要望書を提出しました。

同年の5月、宝ヶ池においてタンデム自転車の体験会を実施しました。10数名
の視覚障がい者とパイロットをする晴眼者(見える人)会員が力を合わせて池の
周りを走りました。風をきって走行する爽快感を、初めて感じた人、再び自転車
に乗れたことに感激した人。二人で力を合わせてペダルを漕ぎながら、楽しい会
話も弾みました。

一方で、府警との話し合いはすんなりとは進みませんでした。もとより一般の者
も乗れる自転車であることから乱暴な乗り方をする人も出て来るのではないか?
など、リスクに対する懸念が許可を阻んできました。

しかし、全国10県で公道を走れるようになってきたこともあり、2015年11月、京
都においても公道での走行が認められました。現在では半数を超える府県で走行
が可能となってきています。

京都市障がい者スポーツセンターにおいては以前からKCAの協力も得てタンデム
自転車の体験会を開催してきていましたが、一定の周回路を回るというもので、
公道を走れることができるようになった今、もっとタンデム自転車を通して一般
市民と障害のある者が時間を共有できる場の設定を考えていかないか、と担当職
員に申し出ました。が、その反応は弱く、その後の発展にはいたっていません。

2018年、当初の目標であった京都八幡木津自転車道線(桂川サイクリングロ
ードおよび木津川サイクリングロード)におけるタンデム自転車体験会を実施す
ることができました。KCAの皆さんには10数台のタンデム自転車をスポーツセ
ンターから会場まで運ぶこと、パイロット役も引き受けていただくなどお世話に
なりました。
10kmを自転車で走る体験は応募して来られた視覚障がい者にとっては心地よ
くうれしい一時であったことがその後の感想からも感じ取れます。

翌年には、他府県の視覚障がい者にも呼びかけ、神奈川・静岡からも体験会に参
加する人がありました。

 一定の成果は得られたものの、公道を走れるようになったことを、もっと積極
的に生かしていけたら!公的機関に働きかけてもなかなか具体化しないのが実態
です。

地域の中でタンデム自転車を通して住民と地元の障害のある者が時間を共有し、
理解の輪を広げていけないだろうか?そう私は考えています

自力で考えられることとしては、自らがタンデム自転車を所有し、パイロットを
引き受けてくださる人を募り、その方と日程調整をして、安全確保できるルート
を一緒に楽しみながら、ときには買い物をしたり、新たなポイント地点を探求し
たりする。

 この事例が現実のものになるとすれば、交通事情が不便な所に住んでおられる
人にとっても、楽しみながら、その時々の目的を果たすことも可能になるのでは
なかろうか?

 もとより、実施するにあたっては、クリアしなければならない課題は幾つも現
れてくるでしょう。それらを一つずつ解決していくエネルギーは必要となります。

共感してくださる人を増やし、その人たちの協力もあってこそ実現するものです。

パイロットとして走ってみよう!と手を挙げてくださる人が何名も現れたら、私
もタンデム自転車を買うことも考えようかな!
タンデム自転車2014.05宝ヶ池にて .jpg
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2019年10月17日

見えなくても、何時でも楽しめる美術館に

見えなくても、何時でも楽しめる美術館に

過日、地元の国立美術館の職員から、当美術館内のカフェでも、2年ほど前より
点字メニューを置いています。ユニーズのHPでも紹介していただきたいと思いご
連絡させていただきました。
また、これは宣伝になりますが、「感覚をひらく」というプロジェクトの中 で、
視覚障害の
ある方もお気軽にご参加を頂けるような作品鑑賞プログラムを定 期的に実施し
ております。
とのメールをいただいた。

そこで、2か月ほど前に、以下のようなメールを、その職員あてに送信した。
貴館におかれましては、「触れるコレクション」といった取り組みを通して視覚
障がい者にも楽しめる企画を考えていただいていると聞いております。
しかし、それらは一定の期間限定であり、視覚障がい者個々の都合の良いときに
出かけていったときには、どのような対応をしていただけるでしょうか?
視覚障がい者にとっては、「触れる」ということが何よりの情報となります。
大阪の国立民族博物館や、盛岡市にある「手でみる博物館」(個人的に収集され
たもの)など見学して、触れることによって初めて気づき学習できたことが多く
あります。
手でみる博物館の館長によりますと、「百聞は一見にしかず」を英訳すると「se
eing is
believing」となります。手でみる博物館では「touching is believing」、触
ることは信じることです。まさに触察は視覚の代用ではないということに気が付
きました。
視覚を補うものであっても、触ることは見ること以上の可能性があると感じてい
ます。
残念ながら、ほとんどの美術館や博物館では「触れさせてもらえるもの」はごく
ごく少なく限定されています。もとより「触れる」ことによるリスクは考えられ
ますが、「見えない者」にとって「触れる」ということは何よりの見聞になりま
す。見る者・受け入れる側の一定の理解とマナーがあれば、そうしたバリアはも
っともっと低くなるのではと思います。
その段階にいたるまでの一定の経過処置ともいえるかもしれませんが、音声ガイ
ドによる各貯蔵物の説明をしてもらえたらどうかと考えています。所によっては
録音したものをイヤホーンで聴きながら鑑賞するというシステムをとっていると
ころがあります。
私個人としては、あまりイメージがわいて来ないのですが、関心のある人にとっ
ては、よりどころとなるのではないでしょうか?
貴館職員が録音してくださる説明が何よりかとも思いますが、各貯蔵物について、
説明文を作成していただいたら、本会にも拙い読み方ではありますが、音訳メン
バーが数人おりますので、そうした者で良ければご協力させていただけるかと思
います。
耳から聞くことによっても想像を拡げていける作品から、少しずつでもご紹介し
ていただけたらどうでしょうか?
他府県から来られる視覚障がい者にも楽しんでもらえる美術館になることを願っ
ています。
実態を把握していない者の申し出、ご無礼があればご容赦ください。として、送
信した。

しかし、いまだに何の音さたもない。見えない者には、それなりの企画を考え提
供するというのが一般的な考え方である。この事は、当美術館だけではない。
視覚障がい者である前に、一来館者として都合の良い時に出かけて行ったさい、
その人が見えない状態の人であったとしたら、どのように対応できるのか?
だれもが楽しめる美術館であって欲しい!
これまでの特定に準備されたサービスを受けることから、1歩踏み出して、日常
的に、どの場所であっても個々のニーズに対応できる環境を考えあっていけたら、
そうした思いからの問いかけメールであったのだが。
posted by よろてん at 11:54| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月28日

自立のための独り歩き

自立のための独り歩き

 他府県から入洛される視覚障がい者を「目の提供」によってサポートするアイ
ヘルパー
活動を続けているが、数か月前、「毎週、決まった場所への手引きしてもらえな
いか」という依頼が窓口受付にあった。数回関わることによって、その後は独り
歩きしてもらえるものと考えて引き受けることにした。
初回の待ち合わせ場所には母親と本人が現れた。成人になったとはいえ、ほとん
ど家人の手引きばかりで行動してきたという。当初考えたこととはいささか異な
るが、とにかく「独り歩き」が可能になるかどうか、一定回数アイヘルパーが代
わりあって関わることにした。見えている者であれば15分程度で歩ける距離で
ある。
 アイヘルパーには「独り歩き」ができやすいルートを選んで欲しい旨伝えてお
いた。アイヘルパーからは、「もっとも歩く距離が短いルート」が提案され、そ
れで数回の活動を終えた。しかし、独り歩きの兆しは報告からは感じ取れなかっ
た。
そこで、私自身で盲導犬と一緒に、そのコースを歩いてみることにした。
幾つか問題点はあったが、もっとも危険を感じさせたのは車が常時通らない交差
点があることだ。車の流れが途絶えないところであれば、横断歩道の手前で車が
止まったことを確認して横断歩道を渡ることができる。しかし、ときどき車が通
るところでは、その判断ができない。そこで音の信号機があり、点字ブロックが
敷設されたルートがないか他の道を探してみた。短距離がもっとも効率的と考え
る晴眼者と耳からの情報や足裏の感覚を頼り
にする視覚障がい者との価値観の違いの一例である。
 ルートを変えてサポートを続けたが、やはり基本ができていない。「きちんと
歩行訓練を受けられた方が良い」と伝えた。しかし、「新たな環境下の中で資格
を取るための勉強を始めたばかりであり、まずは、そちらの方に力を注ぎたい」
と親御さんの申し出がある。
ユニーズ例会の場に依頼者とその親を招いて今後の関わり方について話し合った。
 「本会としては、『独り歩き』することを前提に『目の提供』をしているもの
であり、私としては、何よりも生活能力を優先した取り組みをしていくべきでは
ないか。『手引き』状態で関わることは自立にも繋がらないので今後の関わりに
ついては見直していきたい」と述べた。しかし、実際に関わっているアイヘルパ
ーの中からは「依頼者が求めていることを受け止めることが必要」という、いわ
ば「してあげる」ボランティアの気持ちの現れもあった。
そもそも「手引きをしてもらいたい」と申し出たのに、実際に関わってもらうと
「独り歩き」という課題をボランティアの方から提示されてしまい困惑してしま
った、というのが実情のようだった。
 ここにいたるまでの時間の中で学校や施設の教諭や職員が関わってきたのに、
どうして「自立」するための基本的な考え方や対処の仕方について助言して来な
かったのだろう。
手伝いをお願いしたところが突如として「自立」という問題を提示されて困惑し
ている。そもそもスタート地点からボタンの掛け違いがあった、と両親のつぶや
き。
 それでも、私から強く訴えたこともあって、父親が即刻歩行訓練の手続きをと
り、早速歩行訓練士に対応してもらっている。
 今後、両親・本人それぞれが「自立」を課題としてどのように歩んでいかれる
か?
必要に応じて会としても関わりながら経過を見守っていきたい。
posted by よろてん at 09:13| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月18日

地元図書館で対面朗読

地元の図書館で対面朗読
 地元の図書館に対面朗読室があるのをネットで知り、昨年の夏、実情はどんな
ものか、使えるものなら利用したいと思って出かけた。実際に対面朗読室はあっ
たが、読み手のボランティアが確保できている訳ではなく、これまでに使用され
たことはないという。公的機関において、一応ハード面は整えたが、それを実際
に機能させるソフト面が対応できていないという実情がここにもあった。その場
で、利用してみたいという意思表示をして帰ってきた。
 それから数カ月たった11月末。盲導犬を使って安全に自宅から図書館の間を
往復できるかを確かめるため、盲導犬協会の訓練士に同行してもらって30分で
行けるルートを確認した。
 図書館にボランティアが見つかったか尋ねてみると、音訳できるボランティア
をライトハウスに問い合わせ中だという。前回にも言ったつもりだったが、講習
を受けた方でなくても、地元地域の中で、こうした活動に関わってみようと思わ
れる人に読んでもらえることを願っていることを再度伝え、館内にボランティア
募集の案内を表示してもらえるよう御願いして帰ってきた。
それから年も変わり2月になって、図書館館長から「ボランティア希望者が現れ
た」という電話が入る。そのさい、「図書館貯蔵の本から読んでもらうことにな
ることをご了解ください」と念押しされる。
 さて、どんな本を読んでもらおうか!手元にある取説や趣味で使う参考書など
を本当は読んで欲しいところだが、とにかく今は図書館にありそうな本から選ば
ねばならない。ネットでノンフィクションの本を幾つか抽出し、その本がサピエ
で既に登録されているかを確認して、まだ登録されていない数冊をリストアップ
して印刷し、それを当日持っていくことにする。この作業をしている中で、多く
の本がサピエに登録されていることを再認識し、全国の多くのボランティアの皆
さんに支えられていることを実感する。
 当日、定刻より少し早く図書館へ付いたが、読み手をしてくださるUさんは既
に来ておられた。希望書を並べた印刷物を図書館職員に渡して借りられる本があ
るか調べてもらうが、上位に上げておいたものは貸し出されているか、本図書館
にはなく、下位に書き入れておいたプロ野球関係の本を読んでもらうことになる。
上位に上げておいたものは、読み手にとっても比較的興味をもって読んでもらえ
るものではないかと選んだが、全く知らない野球選手の固有名詞が並ぶ本を読ん
でもらうのは気の毒な感じもしたが、区切りの来るところまで読んでもらう。初
回ということもあって館長も同席して分からない漢字が出てきたら補佐するとい
う環境下、最初のことでもあり、1時間ちょっとで終わってもらったが、疲れら
れたのではなかろうか?今後続けてもらえるか、テストケースとしての時間でも
あったが、「やります」とのことで、次回の日程も決まる。次回は、上位に上げ
た本が読んでもらえたら、その内容なども踏まえた話題などで話し合えるのでは
ないかと願っている。
 帰り道、ちょっと方向を失ってしまうが、線ブロックがあることが分かり、図
書館に戻っていることに気づき、再出発して無事に帰宅する。
posted by よろてん at 17:43| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

地域公共図書館における視覚障がい者の文字情報提供に思う


 自宅から盲導犬と歩いて30分程度の所に地域の公共図書館がある。
HPで見てみると対面朗読室がある。
 視覚障がい者のサービス提供として有るものを利用することが第1歩と出かけ
てみた。
通された対面朗読室は、思ったより大きなスペースのものだが、物置のようにな
っている。これまでに利用された人があったかを尋ねてみると、今回が初めてと
のこと。読み手のボランティアは、現状ではおられないとのこと。
それでは、ボランティア捜しをしてもらった上で、利用させてもらいたいと申し
出、図書館登録をする。
 
数か月後、その後の状況を聴くために図書館へ出かける。音訳講習会を終えられ
たボランティアで、この図書館で活動していただけそうな人がおられないかライ
トハウスへ問い合わせているとのこと。私としては、特にきれいに読んでもらい
たいとは思っていないし、地元の方で、こうした活動に関わってもらうことで視
覚障がい者のことを知ってもらう一助にもなると思うので、資料を読んでいただ
ける方がおられないか、館内に呼びかけ文を掲示してもらいたい、と申し出て帰
ってきた。

 あくる日、その館長から電話をいただいた「ボランティア募集の掲示はします
が、対面朗読室の利用は、図書館の資料の中のものであることをご理解ください」
と言われて、「え! 私としては、手元にある資料を読んでもらえるものと思っ
ていたので」と戸惑いの声を返してしまった。

 確かに、図書館の案内では、対面朗読室を設けて図書館資料の対面朗読を行っ
ています、とある。活字が読めない人にも図書館に有る本を利用してもらおうと
いうものである。図書館としては補完的なサービスとして必要なことだ。

 一方で、視覚障がい者にとっては、行動の自由とともに不自由を感じているの
は「文字情報」で、それは図書館に有る本や資料に留まらない。近年、インター
ネットによる視覚障害者情報総合ネットワーク「サピエ」があり、点字・録音図
書目録の検索をはじめ、点字データ、デイジーデータなどのダウンロードなども
できる。そのため図書館にある本の多くはタイムリーに提供されるようになって
きた。

むしろ、視覚障がい者にとっては、手元にある個人として必用な情報を読むこと
ができない不自由さというものを日常てきに感じている。
 各地の図書館の状況や、公共図書館としての役割について、ライトハウスの担
当職員に問い合わせてみた。
 「地域の図書館にある対面朗読室は、図書館の本を読むだけの空間に限定され
てしまうのでしょうか?視覚障がい者の「文字情報をサポートする」ための空間
にはならないのでしょうか?」

職員からの回答は素早い物だった。
「各図書館の対面読書のサービス内容には以下の通り書かれています。主に視覚
障害の方へのサービスです。視覚障害の方が知りたい(読みたい)活字の情報を、
音訳協力者の協力で得ることができるサービスです。
活字の情報とは、本や雑誌、新聞、パンフレット、家電などの取扱説明書等々、
活字による印刷物のことです。読む資料は図書館所蔵の図書または雑誌、および
それに準じる持込み資料です。
上記のことから図書館所蔵のみに限定していない図書館もあり、これは市によっ
て異なっているようです持ち込みもOKですが、要相談ということはあると思い
ます。」

 ライトハウスでは、「読み書きサービス」や、対面朗読にしても視覚障がい者
が持参した本を読んでもらうサービスがある。
 視覚障がい者の「文字情報」をサポートする、こうした活動が各地域の図書館
で行われれば、遠くからライトハウスまで出かけていかなくてもタイムリーに情
報を得ることができる。

声を出していきながら、動きを見守っていきたい。
posted by よろてん at 09:19| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月05日

1人の手


1人の手

 ユニーズ京都では、他府県から京都へ出て来られる視覚障がい者に「目の提供」をする活動を行っています。

 あるケースです。
その視覚障がい者は、京都へ出て来るにあたって、新幹線で京都に着いたさい、降り口から改札口までのサポートを
京都駅の職員にしてもらえるよう、乗車する駅職員に御願いしておいたとのこと。

ところが、当日、担当のアイヘルパーが待ち合せ場所の改札口で待っていたところ、当の視覚障がい者が一人で白杖を使いながら現れたそうです。事情を聞いてみると、職員が出迎えてくれなかったので、周囲の人に聞きながら改札口まで辿りついたとのこと。

その視覚障がい者が帰郷されてから、こちらから、その方に「今後のこともあるので、地元の駅には、きちんと京都駅へ連絡をしてくれたのか?連絡済みであったとしたら、京都駅に、実情を訴えたらどうだろうか。何より当事者の生の声を届けることが力になるのだから」と伝えました。

昨今の駅ホームからの転落事故は、当事者のみならず、鉄道関係者、周囲の一般市民にとっても、見逃してはおけない課題です。

その視覚障がい者からは、「そのようなことに労力を使ってまで問い合わせようとは思わない。視覚障がい者もさまざまでしょうが、これまでも、こうしたことに抗議や申したてはしていないし、今後もしようとは思っていない」との返答がありました。

障害の有る無しに関係なく、「抗議する」というようなアクションをすること自体に抵抗感のある人も多いのかもしれません。

しかし、一つひとつのケースを見過ごしてしまうのではなく、たとえそれが小さな声であっても、丁寧に積み上げていくことによって、新たな問題点がみえ、それに向けての改善策がこうじられていくことでしょう。

 本田路津子の歌に、一人の手というのがあります。
一人の小さな声 何も言えないけど
それでも みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える

市民活動の原点ではないでしょうか?
posted by よろてん at 14:03| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

どうしてメガネかけてるの?

どうしてメガネかけてるの?

 盲導犬を伴って 地下鉄のコンコースを歩いていると、傍を通り過ぎたのであろうお母さんと低学年の子供の話す声が後ろから聞こえてきた。

「あの人目が見えないのにどうしてメガネかけてるの?」。距離がだんだん離れていくのでお母さんの応える内容は聞こえなかったが、振り向いて「それはね」と声をかけたい衝動にかられた。素朴な疑問であろう。お母さんは、どのように答えたのだろう。

 川柳のラジオ番組で「メガネかけ、賢く見せても、あほはあほ」というような傑作があったが、多少はそうした思いもあるにせよ、主たる目的は、顔面強打に対する防御策なのである。メガネに加えて、私にとっては、庇がしっかりした野球帽のような帽子も外出時には必須である。

 盲導犬と一緒に歩いていると、足元の段差や障害物については、しっかり知らせてくれる。しかし、胸より上の空間にまでは犬のチェック機能はなかなか働かない。

圧迫感を感じるほどの障害物については、避けることもできるが、道路の外まで伸びてきている庭木の枝や看板、トラックのミラーなど、想定外の所にあるものについては無防備となる。そうすると顔面に衝撃を受ける。顔面というのは出欠しやすくキス後も目立つ。

そこで、その防御策として帽子やメガネが必要となる。

 近頃は、全盲だけでなく、多少見えている弱視の人でも盲導犬と歩く人がいる。その人たちは、まぶしさに弱かったり、残された視力をメガネによって少しでも引き出すための補助具として使っている場合もある。

 人の行動や装着しているものについて、「おかしいな?」と思うことはいろいろあるのではなかろうか?しかし、それらは「知らない」から疑問に感じるもので、理由が分れば、納得もし、違和感なく受け止められるものが多いのではなかろうか。
posted by よろてん at 23:38| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見えない者にエレベーターはすすめないでください

見えない者にエレベーターはすすめないでください

 地下鉄に乗車するさい、降りたときのことを考えて、決まったドアから乗り込むようにしている。そのドアから下車したら、数歩のところに昇りのエスカレーターの乗り口があるからだ。

 その日は、乗り込む駅のホームへいくと、既に電車が停止しており、手近なドアから乗り込んだ。盲導犬に「チェア」と声をかけて空席探しをさせるのだが、近くに適当な所がなかったのかどうか。その車両の奥の方まで歩いていってから、座席を鼻先で知らせた。

そして、近くのドアから下車した。何時もの感覚ではないので、犬も私もちょっととまどった。行きつ戻りつしかけると、「何処へ行かれるのですか?」と声がかかった。「改札口に出ようと思っているのですが」、「近くにエレベーターがありますよ」と言われて、何時もなら「階段かエスカレーターがあれば」と御願いするのであるが、このときは、その人も改札口へ行かれるものと思ってしまっていたこともあって、「御願いします」と返した。私と犬はエレベーターの奥の方に入り、その人は「どのボタンかな」と独り言をいっておられたように思ったが、ドアが閉まり、入り口の方におられるであろう人に「いつもは階段かエスカレーターを使うのですけどね」と話しかけた。が、何の返答もない。そこで初めて自分だけが箱の中にいることに気付いた。入り口の壁際にボタンがあるか確認すると「あけ」と点字表記がある。そこを圧すとドアが開いた。外へ出ると先ほどのホームと同じ場所だ。エレベーターに案内してくれた人は、結局ドアを閉めるボタンだけを圧して外へ出られたようだ。

 ボタンに点字表記があったので、何とか脱出することはできたが、そうしたものがなかったら混乱してしまったことだろう。

 こんなこともあった。旅行先で7・8階建てのホテル内で、家人と一緒に食事を取るためにエスカレーターに乗り込んだが、何時の間にか私と犬だけが箱の中に取り残されてしまった。家人は後ろからついてくるものと思って目的の階で降りたという。音声の案内も点字の案内もない中で、とにかくドアが開いたところで降りるしかない。外へ出て、誰かいないか気配を確認し、近づいた人に「ここは何階ですか?」と聞くしかない。携帯を所持していたから連絡を取り合えたものの不自由このうえない。

 自らの足で確認しながら移動できる階段・エスカレーターに勝るものはない。

大西明絵
aki-o@kyoto.zaq.ne.jp
posted by よろてん at 23:20| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

ある依頼者のケース


  ある依頼者のケース
 他府県から入洛される視覚障がい者を「目の提供」でサポートするユニーズ京都のおこしやすの活動。依頼者の中には、車いすユーザーの視覚障がいのある方もおられる。
 その方からの依頼が数週間前にあり、再び、依頼の申し出があった。
 前回は、駅から宿舎への移動。ホテルから受診先の病院までタクシーで移動というものであって、今回も同じような申し込みであった。
 依頼者は、申し込みのさいに、新幹線の改札口で待ち合せなど具体的な場所を窓口担当に申し出る。窓口担当は、担当のアイヘルパーが決まった段階で、その場所を伝え、実際に待ち合せ場所へ出かける数日前に、依頼者と担当アイヘルパーは直接電話などで待ち合せ場所の確認をする。
 ところが、当日、窓口担当から私のところへ「依頼者さんから、待ち合せ場所にアイヘルパーが来ていないとの怒った電話が入りました」との連絡。聞いてみれば、JRの改札口ではなく、市営地下鉄のK駅で待っているとのこと。そんな変更は事前に窓口としては聞いていないとのこと。担当アイヘルパーに電話をしても通じないので、窓口担当は雨模様の中、自転車でK駅へ向かった。だが、既にそこには依頼者はおらず、ただただ連絡を待つしかない状態におちいる。待ち合せ時刻から3時間が経過し、不安が広がりを増すころ、「連絡が取れました」との窓口からの電話が入る。まずはほっとする。
 聞いてみれば、担当アイヘルが、その日にかぎって携帯を所持せず出かけてしまった。どうして連絡をしてくれなかったのかと、思っていたが、その後のアイヘルパーからの報告書をみてみると、それどころではなかったのではないかと推察される。
 発端は、待ち合せ場所の問題。一方的に依頼者はK駅で待ち合わせの約束をしたというが、担当アイヘルパーは全く聞いておらず、JRの改札口で待ったけれど、出て来られないので、もしかと地下鉄の改札に聞くと、車いすユーザーの方がK駅に向かったという。後追いするように情報を得ながら、やっとのことで依頼者と遭うことができた。待合場所の件について、「変わったようなことは聞いていない」と持ち出しても押し問答になるだけなので、「すみませんでした」と誤ったという。
 それから、買い物に付き合い、その日の宿舎になっているホテルへ向かう。このホテルは従業員も少なく、従来はフロントでバトンタッチすることになっているが、手を貸す人も見当たらなかったことから部屋までサポートすることになる。依頼者は、「ビールとつまみも買って」と言い、それに応じたという。
 会の活動に対して依頼者からは協力金というのをもらっているが、この日、アイヘルパーは誤ったこともあり、協力金については申し出ず、依頼者からも、そのことには触れなかったという。

 この話は、この日だけに留まらない。
 翌日、受診のためにタクシーで病院へ向かう。この依頼者の場合、少し見えており、どちらかというと車いす移動にさいして手伝ってもらうことが主であったようだ。
 その依頼者から隣接の都市のボランティアグループを紹介して欲しいという申し出があると窓口から連絡があったので、JBOS(全国視覚障がい者外出支援連絡会)加入の2団体の連絡先を紹介した。
その情報を受け取って直ぐに電話をしたようだが、グループによっては曜日や時間の枠組みを決めて受け付けている。留守役をしている人は、その旨を伝えたが、一方的に怒って電話を切ったという(後日に知った)。
そこで、横にいるアイヘルパーに「FAXを送ってくれ」と頼んだが、これは枠外だと断ると、今度は隣接の都市まで同行してくれ、と言ったという。もとより各地域で関わっていると説明したと思うが。

 こうした人を紹介してしまったことに、後から報告書をみて後悔する。
そもそもボランティアというのをどのように考えているのか?
協力金も、二日目には給金を払うような感じで手渡したという。
初回のときは男性アイヘルパーが関わったこともあって、それほど目立った問題はなかったようだが、女性アイヘルパーとなると何かと頼みやすくなるのだろうか。
こうしたケースを通して、「目の提供」というのはどこまでを意味するのか?
無償ボランティアを「使う」という感覚を持っている依頼者は、あんがいに多いのではないか。

会としての一定のルールと、その時々に対処しなければならないアイヘルパー個々の立ち居について、どの辺りまでを各人の裁量とみなすのか?
継続課題である。
posted by よろてん at 17:08| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

生徒からの感想

生徒からの感想

 年末に、視覚障がい者のこと、盲導犬のことを中心にお話をするために某小学校へ出かけてきましたが、生徒たちの感想が送られてきました。

・僕は目が不自由だったらつらいことばかりだと思っていたけれど,目の不自由な人のために色々な工夫があり,つらいことばかりではないことを知りました。
・目が不自由な人でも卓球や野球などいろいろなスポーツができるということがとても意外でした。
・目が見えないのに自分で盲導犬のお世話をしているのですごいと思いました。
・目の不自由な人は白杖を使って2歩前の場所をかくにんできることを知りました。
・音の出る信号が,目の不自由な人のために,方角や,青や赤になったことを知らせていることが優しくて心に残りました。
・友達がアイマスクをして一緒に歩いた時,本当に何もわかってなかったので目の不自由な人が道を覚えて歩くことが大変だとわかりました。
・アイマスクをして歩いているときに,いすに当たったりしてすごくこわかったので目の不自由な人もそんな気持ちなのかなと思いました。
・目の不自由な中,ふつうに生活しているところがすごいと思いました。
・盲導犬は階段とか細い道でも通れるところを探して目の不自由な人を案内したり,階段だとわかると先に一段上って合図したりするのがすごいと思いました。
・いつも何もないところに車がとめてあったり自転車がとめてあったり,置いてあったものが突然違う場所にあったりするととても困ることがわかりました。
・もし目の不自由な人に出会ったら電車の駅で券売機の場所が分からず困っていたら案内します。
・電車のホームではホームから落ちないように声をかけたいです。
・スーパーでは欲しい商品を聞いてその商品を手渡します。
・バス停では乗りたいバスを聞き,来たら「来ましたよ」と伝えます。
・信号機の前では信号の色が変わったら知らせます。信号では「今はわたれますよ。」と伝えます。
音が鳴らない信号で,もし,赤なのにわたろうとしていたら「まだ赤ですよ」と声をかけます。
・スーパーで「買いたいものは何ですか」と声をかけて,一緒に商品を探したいです。
・自転車に乗っている人や,歩きスマホをしている人に「気をつけてください」と呼びかけます。
・つえに自転車がぶつかって,つえが折れてしまうことがあるそうなのでつえに当たらないよう気をつけます。
・階段では「そこに階段がありますよ」と声をかけます。
・エレベーターに乗るときは「エレベーターがきましたよ」と声をかけます。
エレベーターでは「何回に行きますか」と聞きます。
エレベーターで何回に行きたいのかが分かったらボタンをおします。
・点字ブロックに物が置いてあるときは前に早く行って物をどかします。
・どこに何があるかわからないときは,ある場所を教えたいです。
・電車の中では,空いている席を教えます。
・列の最後が分からなかったら,列の最後や列の位置などを教えます。

posted by よろてん at 21:37| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする