この日、アテネパラリンピックで視覚障害者部門で優勝したTさんも参加するというので、マスコミがどのような取り扱いをするか注目していた。
記録的には2時間40分程度で、この大会の上位に来るというのはちょっと難しいかもしれないが、こうした公式レースのスタートラインに同じ立場でエントリーされるというのは、「有るべき姿」として何となくうれしい!
テレビ中継でも第3自動車がTさんの傍について実況する場面があった。
あいにく私は40分程度見たところで外出しなければならなかったので、その後の経過については知らない。足立選手が優勝したことは、夜のスポーツニュースで知ったが、Tさんのことについては何も触れていなかった。
そこで、翌朝の新聞をインターネットで検索してみたが、マラソンのことは各紙取り上げているが、Tさんのことについては1行もない。
ならば毎日新聞主催でもあり、視覚障害者の新聞「点字毎日」にはと、木曜日に配達されてきた点毎を手にとり、載ってそうな所を開いてみたが、足立選手の優勝は報じているが、Tさんの文字は一言もない。
マラソン報道というのは、誰が勝ったという結果報告か、有名選手の動向を伝えるだけのものなのか?
むしろ、参加した選手の中に、いろいろなドラマをもっているはずだ。結果は報告せねばならないが、42.195kmという距離と時間の中に凝縮された人生模様というものも伝えていく報道があっていい。
その一つとして、一流選手と一緒に肩を並べて走る視覚障害者と、そのサポートをする人のことを淡々と紹介するスペースくらいあって良いのではないか?
健常な人も障害の有る人も、同じレースで競い合うというのが本来はあって良いのではないかと思う。
いつも、オリンピックが終わってからパラリンピック、国体があってから後に、秋も深まり寒ささえ感じる季節に身障国体という、なにやら付録のような運営が成されている。
競技の運営で考えねばならぬことは沢山あろうが、それらを一つずつクリアしていくことで、スポーツを介しても「障害の有る・無し」を越えて共存していけるのではないだろうか。
そうした足がかりとしても、パラリンピックで入賞するくらいの選手にもスポットライトを当てる報道が欲しかった。
まして、点字毎日が一言も触れなかったのはどうしたことだろう?