2019年10月17日

見えなくても、何時でも楽しめる美術館に

見えなくても、何時でも楽しめる美術館に

過日、地元の国立美術館の職員から、当美術館内のカフェでも、2年ほど前より
点字メニューを置いています。ユニーズのHPでも紹介していただきたいと思いご
連絡させていただきました。
また、これは宣伝になりますが、「感覚をひらく」というプロジェクトの中 で、
視覚障害の
ある方もお気軽にご参加を頂けるような作品鑑賞プログラムを定 期的に実施し
ております。
とのメールをいただいた。

そこで、2か月ほど前に、以下のようなメールを、その職員あてに送信した。
貴館におかれましては、「触れるコレクション」といった取り組みを通して視覚
障がい者にも楽しめる企画を考えていただいていると聞いております。
しかし、それらは一定の期間限定であり、視覚障がい者個々の都合の良いときに
出かけていったときには、どのような対応をしていただけるでしょうか?
視覚障がい者にとっては、「触れる」ということが何よりの情報となります。
大阪の国立民族博物館や、盛岡市にある「手でみる博物館」(個人的に収集され
たもの)など見学して、触れることによって初めて気づき学習できたことが多く
あります。
手でみる博物館の館長によりますと、「百聞は一見にしかず」を英訳すると「se
eing is
believing」となります。手でみる博物館では「touching is believing」、触
ることは信じることです。まさに触察は視覚の代用ではないということに気が付
きました。
視覚を補うものであっても、触ることは見ること以上の可能性があると感じてい
ます。
残念ながら、ほとんどの美術館や博物館では「触れさせてもらえるもの」はごく
ごく少なく限定されています。もとより「触れる」ことによるリスクは考えられ
ますが、「見えない者」にとって「触れる」ということは何よりの見聞になりま
す。見る者・受け入れる側の一定の理解とマナーがあれば、そうしたバリアはも
っともっと低くなるのではと思います。
その段階にいたるまでの一定の経過処置ともいえるかもしれませんが、音声ガイ
ドによる各貯蔵物の説明をしてもらえたらどうかと考えています。所によっては
録音したものをイヤホーンで聴きながら鑑賞するというシステムをとっていると
ころがあります。
私個人としては、あまりイメージがわいて来ないのですが、関心のある人にとっ
ては、よりどころとなるのではないでしょうか?
貴館職員が録音してくださる説明が何よりかとも思いますが、各貯蔵物について、
説明文を作成していただいたら、本会にも拙い読み方ではありますが、音訳メン
バーが数人おりますので、そうした者で良ければご協力させていただけるかと思
います。
耳から聞くことによっても想像を拡げていける作品から、少しずつでもご紹介し
ていただけたらどうでしょうか?
他府県から来られる視覚障がい者にも楽しんでもらえる美術館になることを願っ
ています。
実態を把握していない者の申し出、ご無礼があればご容赦ください。として、送
信した。

しかし、いまだに何の音さたもない。見えない者には、それなりの企画を考え提
供するというのが一般的な考え方である。この事は、当美術館だけではない。
視覚障がい者である前に、一来館者として都合の良い時に出かけて行ったさい、
その人が見えない状態の人であったとしたら、どのように対応できるのか?
だれもが楽しめる美術館であって欲しい!
これまでの特定に準備されたサービスを受けることから、1歩踏み出して、日常
的に、どの場所であっても個々のニーズに対応できる環境を考えあっていけたら、
そうした思いからの問いかけメールであったのだが。
posted by よろてん at 11:54| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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