数日前に撮ったCTの結果は案の定、頸の靱帯が骨化しているとのこと。近頃は左の肩の関節の動きが制限され上着の袖を通すときに顔を顰めることがある。
ドクターにそうしたことを告げると「そりゃあそうだと思う。この写真を見たらもっと状態が悪いと言われても納得する」とあっさり言われてしまった。
私などは多少でもこうした疾患についての予備知識やインターネットでそれなりに調べているので、そうした返答にびっくりはしないが、一般の人が聴いたらどうだろう。
この病気は神経が圧迫されて徐々に麻痺が進む。だから外科的に圧迫を除去してやらないと一端衰えてしまった神経は回復しない。
といって、皮膚にできた出来物を容易に切り取るのとはちょっと事情が違う。
何時も、診察室に入ってドクターと向かい合っての話は「何時、思い切って手術に踏み切るか?」という話になる。
この春から外来担当が変わり、今まで診てもらっていた医師の上司とのやり取りとなっているが、このドクターえらくリスクのことばかり言い、「何時するかどうかは患者が決めることであり私から申すことではない」という。
前回の診察時その言葉を聞いて「さてどうしたものか」と考えた。
近頃、セカンドオピニオン(他のドクターに意見を求め、それらの情報の中からより良い選択しをする)というシステムがあることを聞いている。
今、自分の置かれている状態からしても「これだ!」と考え、思い切ってドクターに切り出してみた。「それは良いと思いますよ。ただセカンドオピニオンというのはあくまで今、診ているドクターが参考意見を求めるために他ドクターを紹介するもので、その診療費は実費であることを承知しておいて欲しい」という。
また、私が今度診察をしてもらいたいと考えているドクターは、今かかっているドクターとは大学が異なり「手術法にしても対極におられる人ですね。写真は貸し出しすることに問題はないが、診療費のこともあり、紹介状を書くというよりは新規で行かれた方がよいのではないか」と、やはり何処か大学派閥の雰囲気も感じ取れる。
病院からの帰り道、地下鉄の階段を下る足取りは何時も重い。組織構造上・機能的に良くなることはないにしても、診察室を出た患者に何時も重荷だけを背負わせる診療はいかがなものだろう。少なくともその病状に寄り添ってより専門的な見地から具体的な説明と心の支えになる助言があってしかるべきではないか。
より確かな多くの情報の中から安心して選べる医療制度が望まれる。