次に我々が考えたのは「視覚障害者福祉センター」の運営の有るべき姿を施設職員と視覚障害者当事者それにボランティアも加わって、より良いセンター作りを考えていくような集まりが持てないかということであった。
他のライトハウスの実体はどのようなものであるのか、まず、それを知るために私と同じ青年部のKくんとAさんの3人で名古屋へ出かけた。
点字図書館長であったIさんにお会いして、点字図書館のこと、奉仕団のこと、盲人協会との協力関係などについてお話を伺った。
いろいろ刺激を受ける内容もあったが、そのことよりも名古屋ライトハウスが出版していた「やまびこ」という月刊誌に興味を引かれ、Kくんなどは帰りの汽車の中ずっとその点字物に指を走らせていた。というのも、この雑誌は週刊誌から記事を抜粋したもので当時としてはかなり柔らかな性の問題や芸能関係の記事を満載していた。
当時、点訳に携わってくださるボランティアは奥様族が多く、やはり正当な文学書を手がけられることがほとんどで、違ったニーズを見出して積極的に取り組んでおられる名古屋の取り組みに共感したものだった。
数ヶ月後、今度はSさんら7名で大阪のライトハウスに出かけた。ここでも職員とボランティアの関係などについていろいろ伺うことができた。
視覚障害者にとって従来の3療(鍼・灸・あんま)に加えて新職業として電話交換手などの職業訓練の実践の場を見学させてもらうこともできた。
その後、地元で当事者・施設職員・ボランティアが集まって「福祉センターを考える」という集会を数回持ったような記録はあるが、その話し合いの具体的な内容まで記載されておらず、記憶にも残っていない。
ただ、このころは施設職員の数も少なく、世代的にも若い人が多かったことから比較的自由に意見交換ができる雰囲気があった。
このころの福祉における流行言葉を引用するならば、 「of the」(障害者の)、「for the」(障害者のための)でもなく、「with」な意識とスタンスで福祉を考えていける、そんな施設運営があるべきだと盲福研として主調していた。
2009年06月09日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/121173569
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/121173569
この記事へのトラックバック

