2009年06月05日

盲福研の歩み その2「晴・盲一体」

 青年部の研修会を終えて、帰路の汽車の中の数時間。
 視覚障害者と晴眼者が対等な関係で活動できるグループ作りができないものか。発足するとすれば具体的にどのような人たちにまず声かけしていったら仲間に入ってもらえるだろうか?などの話を数人で熱く語り合っている内に下車駅に着いた。
 青年部から数名、既存のボランティアグループから数名、我々が声かけした人達が市内の喫茶店に集まった。
 複数の視覚障害者と晴眼者が、このようにフリーな立場で施設を離れて集まるということは従来あまり見られなかったと思う。みんなが談笑しながら囲むテーブルの上に誰かが買ってきたあつあつの焼き芋が差し入れられていたことを今も記憶している。
 こうした集まりを数回持つ中で、「今年のライトハウスのクリスマス会は我々で企画してみようではないか」ということになった。
そこで、早速ライトハウスと、これまで主催の中心適役割を果たして来られた友の会の代表者に、その意向を申し出た。ライトハウスの方は「やってみたら!」という感触で、「こちらとしても支援するよ」という言葉はもらえなかった。
 私とAさんの対面朗読の時間は、それから2ヶ月ほど。学習のための本は机の片隅に置かれ、もっぱらクリスマス会の企画会議に埋まった。何としても成功させなければならない!
 クリスマスの会当日は我々が呼びかけたボランティアグループの人たちの参加もあって会場はいっぱいになった。
 ライトハウス主事からは「青年部とボランティアで企画したクリスマス会です」という紹介があったが、「青年部としてやる訳ではない!」と心の中で叫んでいた。
 それまで多くの人が集まっている前で話をするということなど経験したこともないし得意でもなかった。
 それが今回行きがかり上もあるが、私とAさんが司会役となった。他のスタッフのサポートにも助けられ無事宴を修了したときには何ともいえぬ達成感があった。この集まりにNグループの数名が参加していた。
 片づけをしながら我々が考えているグループ作りの話をしたところ、彼らもぜひ一緒に関わっていきたいと心強い反応が返ってきた。
なかでも、Sさんの社会の中の障害者への見方は、私のこれまで見えていなかった視点にたっての見方も持っておられ、こうした人たちも含めてグループ作りをしていきたいという気持ちはなおのこと強くなった。
 年が変わり、昨夏出会ったJくんにも声をかけてグループ作りの準備会をもった。
我々のグループは、晴眼者と盲人が対等な関係で仲間となり、「障害」というものに向かい合い、考え合う・行動していく、ということから、スローガンを「晴・盲一体」とした。
そして、会の名前を京都盲人福祉研究会と、なんとも厳めしい名をつけたものである。
メンバーとしては視覚障害者・晴眼者合わせて10数名の少数で出発した。
 活動の手始めは「ボランティア活動につにて」というアンケート調査を実施した。調査票作り、当時はガリ版印刷。しかし、こうした手作業を力を合わせてやるということが、これまでは別のグループで活動していた者同士の仲間意識を高める良い機会ともなった。
 返ってきた600近い回答を手分けして整理・分析して、数ヶ月後にようやくまとまったものを叩き台にして「ボランティアのあり方」という集会をもった。
 参加者はD大学やN女子大の点訳サークル、私の勤務する病院の看護学生で作る点訳サークル「白百合会」も参加していた。他に長年に渡って施設の奉仕活動をされている方も数名。
 その内容は「与える側」と「与えられる側」という一報通行的な奉仕活動に徹していて良いのか?という我々の考え方を前面に出して、これまでの奉仕活動を批判するような雰囲気があったように思われる。
 今でも印象に残っているのは、施設で熱心に活動され、この集会にも参加してくださった人が、「出て来る所を間違えた」と堅い表情で退出されたことだ。
posted by よろてん at 22:10| 京都 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | ユニーズの歩み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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