今のユニーズの前身京都盲人福祉研究会(盲福研)が発足して来年で40年になる。
私が社会へ出て数年後。それから職場と並行して続いている活動である。
そろそろ何事についても「まとめ」をしておかねばならぬ岐路にさしかかっている。
この活動についても、その辿ってきた道筋を今一度振り返ってみることにした。
当時、日本でもようやくリハビリテーションという考え方が医療の中にも取り入れられ、整形外科が主な対象であったが、治療するだけでなく、社会復帰に結びつけていけるアプローチが求められるようになってきた。
私も院内で理学療法士という立場で患者さんと向かい合っていた。
歩行困難だった人が足に筋力を付け杖を使って自由に移動できるようになり、退院される。それから幾日かを経て外来へ来られたとき、「どうですか?」と訊ねてみると「外へは出ていない」と言われる。
こうしたケースの場合、ご本人が以前とは違った姿を知り合いに見せたくないというようなこともあるが、家族の人が「杖を使ってまで外出しないでくれ。恥ずかしいし危ない」と停止がかかる場合もあると聴いた。
その人をどれだけ励まし機能的にも向上させる手伝いをしても、個人や社会の「正常でなくなったらお終い!」という価値観が変わらないかぎり、真のリハビリはないし、我々のアプローチも無為に終わってしまうのではないかと考えた。
そうした思いもあって、通信大学で福祉や障害について角度を変えて学んでみることにしたのもこのころである。
同時期、視覚障害者の当事者団体である盲人協会(今の視覚障害者協会)の青年部の役員をしていた。
見えないがゆえに職業選択の自由がない問題、教育や生活場面においてもバリアの多い実体など。それらをどう打破していかねばならないかを若い仲間同士盛んに話し合ったものである。
その夏、隣県で全国の盲青年大会が開催され我々も協力スタッフとして参加した。
キャンプファイヤーを囲んで参加者一同、歌い踊ったものである。
この企画の手伝いをしてくれたYMCAのJくんと、その夜、1奉仕者というよりも同じ若者として話が弾んだ。
同年輩の若者同士であっても、見える者と見えない者の間には「サービスをする人」と「サービスを受ける人」という立場があり、どうしても取り去れない垣根が存在している。そんなことを常々感じていただけに彼との出会いは一つのきっかけ作りとなった。
理学療法士として仕事をしていくための点字の参考書はほとんど無いに近く、通信大学の教科書もしかり。
そこでライトハウスに週2回の対面朗読ボランティアの依頼をしていた。
対面朗読とは、毎週決まった時間に、利用者とボランティらがライトハウスで、視覚障害者が読んで欲しい本を持ち込んで、それを読んでもらいながら必要箇所に応じて点字で移し書きしたりテープ録音したり斜め読みしてもらったりする。
私の持ち込んだ本が医学関係のもので日頃使わない漢字などが諸処に出て来て、その文字調べで朗読事態は思ったほど進まなかった。
2時間の後半はお互いちょっと疲れ気味で本をおいておしゃべりすることが多くなった。ここでも先のJくん同様、聞き手と読み手の立場を離れて「ボランティア」などについて、それぞれの考えを話し合うことが多くなった。
この話し合いの中で読み手のAさんに「この秋、青年部で泊まり込みで研修会があるのだけれど、もし良かったらお友達と一緒に参加してみませんか?」と誘ってみた。
視覚障害者のことについても興味をもっていたAさん、その申し出を承諾した。
ところがライトハウスの職員から「内のボランティアをかってに引っぱり出してもらっては困る!」ときつい反応が返ってきた。
この場合、我々としては、1青年部員がAさんという個人を誘ったという意識だったが、役員をしている私が奉仕団の一人であるAさんにボランティアをお願いするということと受け取られ、道理を通していないということで反発をくらった。
こうしたすれ違いが以後の活動でも幾たびか生じている。これは大局的に考えれば私の足らざる所となっており、今日的課題ともなっている。
しかし、当時の我々の思いとしては、個人と個人のやり取りにどうして枠組みをはめようとするのか、と苛立ったものである。
2009年06月02日
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