秋になって、母は酸素吸入をする日が多くなってくる。
こうなってくると、何時何がおこるか分からない日々となる。
これからの1日1日の積み重ねは、母を見舞うことで生活の支えとなっている父のために、母の生命力がどれほど続いてくれるかということになる。
以前よりは脈も浅くなり、今までになかった所にも浮腫が目立ってくる。
口を半開きにしてやっている呼吸が、こちらに何か言おうとして伝えきれない。もどかしさのようにも見えてしまう。
10月になって、IVH(高カロリー輸液)を使い出す。
父はベットサイドに立っても母の衰弱状態をみて声もなく立ちつくすことが多くなる。
12月になり、意識朦朧状態が続いているが、どうしたときか、ちょっと笑い声を出した時がある。こちらがいったことに反応して声を出したのかどうかは分からないが、それでもちょっとほっとする時間である。
年が変わる。
病室に入り声をかけると、「ああ」と言い目を開ける。声の調子から痰が貯まっている様子が伺われる。
「おかあさん」と母の耳元で呼びかけると、隣のベッドの患者さんが「おかあちゃん」と大きな声で呼び続ける。
こうした状態の中で、今、私は母にどう向かい合い手をさしのべるのが良いのか?それが見えないもどかしさがある。
2月。病室へ向かう階段半ばで院長と出会う。「血圧も下降しており、透析も半ばで中止した。お父さんにも言ったが、これ以上の処置はせず自然の状態で見守りたい」と、死の宣告間近であることを告げる言葉としては、あまりにたんたんとした重みを感じない声かけであるように家族としては受け取った。
母の手を取る。布団の中にあることもあろうが暖かい。小さくなった顔や腕に触れながら「いよいよか」と思うと寂しさが…。
2009年05月12日
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