視覚に障害のある私から生徒たちに伝えたかったこと
先日、某小学校6年の担任の先生から「今、「ともに生きる」というテーマで
生徒たちと話し合っているのですが、障害当事者のお話を聞いてみたいというこ
とになって、「学校支援ボランティア」の登録リストをみて連絡させてもらいま
したとのこと。日ごろから子供たちにこそいろいろ伝えておきたいこと・話した
い事があり、そうした機会があればと願っていたときでもあり、喜んで依頼をお
受けした。
授業は、見えないことを体験する実習も含め、2こま・90分をとってもらうこ
とにした。出かける前に、生徒たちに二つの問いかけをし、個々がどのように受
け止めたかを聞いておいて、当日、それらの解答も踏まえて話をすることにした。
問いかけの内容と、個々の生徒たちからの幾つかの解答は、
@ 電車・バスを待つ行列の半ばに立っている時、その列に並ぼうと盲導犬使用
者が近づいてきました。あなたならどうしますか?
・自分の前に並んでもらう。
・背中を支えて電車に一緒に乗る。
・どうすればいいのか分からないから無視をする。
A ちらほら空席のある車内、白杖を所持した視覚障がい者が乗車してきました。
貴方ならどう対応しますか?
・困っている様子がなければ見守る
・手を出して怪我をさせてしまったら大変なので何もしない。
・まず,自分が立って「ここに座っていいですよ」と言い,他の空いている
ところに移る。
当日、話の流れは時間枠を決めて考えていたが、話し出すとあっという間に時
間が立ち、結局アイマスクを装着しての体験学習は時間がなくできなかったが、
「何かお手伝いしましょうか?」のDVDをみてもらうことで、横断歩道を渡ろう
とする視覚障がい者・バス停で待つ視覚障がい者に行き先を知らせることなど、
「私でも出来そう!と思ってもらえたことも大きい。
事前に出しておいた問いかけについての説明としては、とにかく「目の提供」で
あって、それ以上の関わりは不要であること。
@ 行列に並ぼうと近づいてきた視覚障がい者にとっては、列の最後尾が何処
であるのかが分からない、また列が動き出したときに自分の前にいる人が前進し
ていることがわからないことがある。「ここが最後尾です、前へ進みます」と教
えてもらえたら助かる。
A ちらほら空席のある車内。空席があること、座られるかどうかの確認、も
し、自分の 席を譲る場合は「私は他に空いている処に座ります」と言ってもら
うことで視覚障がい者は気持ちの上でも楽になる。相手の意向を尋ねることの必
要性。「してあげる」ではなく、相手が何を必要としているのかを感じ取る。日
常場面の中でもよくあること。
盲導犬と一緒に出掛けたので階段を上り下りするところなど実際にやってみ
ることも考えていたがこれもスライドを見せることで終わった。
最後に、生徒たちからの質問に答える時間をとった。そのいくつかを。
Q.もし目が見えるとしたら何をしたいですか?
A.声で判断していますが、あっている人たちの顔や姿。自然界の美しい風景、飲
食するときも「目で楽しむ」ことができたら、よりおいしいかも。生徒には言っ
ていませんが、相手の目を見ながら会話ができたら!
Q.夢はみますか?
A.見ます。特に目で見ているというのではなく、日常の生活の延長線上としてい
ろんな場面が現れます。
Q.悲しくなったとき涙は出ますか?
A.目で見るときに使うのはレンズ役の眼球と視神経。涙が出るのは涙腺です。ネ
ットで調べてみてください。と付け加えました。
授業を終えて、その後に、担任二人と生徒たちから感想文を送ってもらった。
その感想も読ませてもらって、最後に以下のまとめを学校に送り、生徒たちにも
伝えてもらった。
○自らに引き寄せて考えてもらえたか?
「担任の立場を忘れ、一人の人間としてお話を聞いていました」と受け止めてく
ださったことはうれしいことでした。
生徒の感想文の中にも、「何か役に立てることがあれば」というのと、「してあ
げたい」というものがありました。
障害のある者を一つの対象として考える場合「なにかしてあげたい」という自分
の思いを与えてしまいがちです。それが「ここに座ってください」ということに
なります。
「役にたつ」ということは見えない部分を補強するということになります。これ
が「お手伝いしましょうか?」「何か困っておられますか?」という声かけにな
ります。
このことに気づいてくれた子供たちが多かったことは心強いことでした。
行動として実践していきたいと書いてくれている人も多くいてよかったと思いま
す。
○多くの人に啓発していくきっかけに
・今日で知ったことなどを周りの人に伝えてあげたりもして視覚障害の人たちに
も役に立ってほしいです
・話を聞いて障害について家族にも話してみようかと思います。というような生
徒からの感想。
もう一人の担任から「今回教えてもらったことを、まずは子どもたちの家族や兄
弟、そして他の学年に広めていくことができるのではないかと思います」と書い
ておられます。
○障害は個人の問題か?
・目が見えない人に障害を作ってるのは周りのひとたちだと気づいたので、今日
学んだ事をこれからにしっかり生かしていこうと思いました。
・本当は、なれた場所は辛くなく目も見える人もいて普通に暮らしている人だな
と思いました。
・もっと障害者も普通の人と同じように、不便なく暮らせる社会になればいいの
になと改めて思いました。今までは、障害を持った人と聞けば、「自分たちとは
少し違う」「どうしたらいいかわからない」「自分たちにはあまり関係ない話」
と思うことが多かったですが、とても身近な存在で、自分たちのちょっとした声
かけで、安心して信号を渡れたり、電車やバスに乗れたりするとわかりました。
・「目が見えないことが不自由ではなく、その生き方で不便な社会が障害」とい
う話がとても心に残っています。私は障害は一人一人が人生で一生苦しみ続ける
ものと考えていたので、そう考えていない人たちが幸せに暮らすことができるの
は私達次第だと気付くことができたからです。
・私は、どこかで障害のことを「私には関係ない」と思い、関わろうとしてこな
かったのですが、お話を聞いて、だんだん目が見えなくなってしまうことがある
ことや、ちょっとした声掛けで、買い物をしたり、バスや電車に乗ったりするこ
ともできると知り、私達と大きく変わらない、とても身近な存在だと感じました。
また、私はいままで、視覚障害を持った方を見ても、「迷惑だったらどうしよう」
などと考えていまい、自分から話しかけることはできないでいました。しかし、
今回、「お座りになってください」ではなく、「お座りになりますか?」と聞く
など、ちょっとした話し方の違いで、相手の感じ方は全然違うことを教えていた
だき、「迷惑だったら?」なんてことではなく、相手がどのように感じるかを一
番に考え、話しかけることができたらなと思うことができました。
「点字ブロック」や「音声信号機」が、視覚障害を持った方にとっては、とても
大きなものであるのに、障害を持っていない人には、必要のないもの、邪魔なも
のであることを悔しく思いました。
もっと、すべての人が不便なく、幸せに暮らせる社会になってほしいです。