2018年11月16日

どうしてメガネかけてるの?

どうしてメガネかけてるの?

 盲導犬を伴って 地下鉄のコンコースを歩いていると、傍を通り過ぎたのであろうお母さんと低学年の子供の話す声が後ろから聞こえてきた。

「あの人目が見えないのにどうしてメガネかけてるの?」。距離がだんだん離れていくのでお母さんの応える内容は聞こえなかったが、振り向いて「それはね」と声をかけたい衝動にかられた。素朴な疑問であろう。お母さんは、どのように答えたのだろう。

 川柳のラジオ番組で「メガネかけ、賢く見せても、あほはあほ」というような傑作があったが、多少はそうした思いもあるにせよ、主たる目的は、顔面強打に対する防御策なのである。メガネに加えて、私にとっては、庇がしっかりした野球帽のような帽子も外出時には必須である。

 盲導犬と一緒に歩いていると、足元の段差や障害物については、しっかり知らせてくれる。しかし、胸より上の空間にまでは犬のチェック機能はなかなか働かない。

圧迫感を感じるほどの障害物については、避けることもできるが、道路の外まで伸びてきている庭木の枝や看板、トラックのミラーなど、想定外の所にあるものについては無防備となる。そうすると顔面に衝撃を受ける。顔面というのは出欠しやすくキス後も目立つ。

そこで、その防御策として帽子やメガネが必要となる。

 近頃は、全盲だけでなく、多少見えている弱視の人でも盲導犬と歩く人がいる。その人たちは、まぶしさに弱かったり、残された視力をメガネによって少しでも引き出すための補助具として使っている場合もある。

 人の行動や装着しているものについて、「おかしいな?」と思うことはいろいろあるのではなかろうか?しかし、それらは「知らない」から疑問に感じるもので、理由が分れば、納得もし、違和感なく受け止められるものが多いのではなかろうか。
posted by よろてん at 23:38| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見えない者にエレベーターはすすめないでください

見えない者にエレベーターはすすめないでください

 地下鉄に乗車するさい、降りたときのことを考えて、決まったドアから乗り込むようにしている。そのドアから下車したら、数歩のところに昇りのエスカレーターの乗り口があるからだ。

 その日は、乗り込む駅のホームへいくと、既に電車が停止しており、手近なドアから乗り込んだ。盲導犬に「チェア」と声をかけて空席探しをさせるのだが、近くに適当な所がなかったのかどうか。その車両の奥の方まで歩いていってから、座席を鼻先で知らせた。

そして、近くのドアから下車した。何時もの感覚ではないので、犬も私もちょっととまどった。行きつ戻りつしかけると、「何処へ行かれるのですか?」と声がかかった。「改札口に出ようと思っているのですが」、「近くにエレベーターがありますよ」と言われて、何時もなら「階段かエスカレーターがあれば」と御願いするのであるが、このときは、その人も改札口へ行かれるものと思ってしまっていたこともあって、「御願いします」と返した。私と犬はエレベーターの奥の方に入り、その人は「どのボタンかな」と独り言をいっておられたように思ったが、ドアが閉まり、入り口の方におられるであろう人に「いつもは階段かエスカレーターを使うのですけどね」と話しかけた。が、何の返答もない。そこで初めて自分だけが箱の中にいることに気付いた。入り口の壁際にボタンがあるか確認すると「あけ」と点字表記がある。そこを圧すとドアが開いた。外へ出ると先ほどのホームと同じ場所だ。エレベーターに案内してくれた人は、結局ドアを閉めるボタンだけを圧して外へ出られたようだ。

 ボタンに点字表記があったので、何とか脱出することはできたが、そうしたものがなかったら混乱してしまったことだろう。

 こんなこともあった。旅行先で7・8階建てのホテル内で、家人と一緒に食事を取るためにエスカレーターに乗り込んだが、何時の間にか私と犬だけが箱の中に取り残されてしまった。家人は後ろからついてくるものと思って目的の階で降りたという。音声の案内も点字の案内もない中で、とにかくドアが開いたところで降りるしかない。外へ出て、誰かいないか気配を確認し、近づいた人に「ここは何階ですか?」と聞くしかない。携帯を所持していたから連絡を取り合えたものの不自由このうえない。

 自らの足で確認しながら移動できる階段・エスカレーターに勝るものはない。

大西明絵
aki-o@kyoto.zaq.ne.jp
posted by よろてん at 23:20| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする