2017年11月21日

生徒からの質問

生徒からの質問 その1 「暇ではないですか?」



 12月初旬に、某小学校の4年生に視覚障がい者のことや盲導犬のことについて話をするために出かける。一昨年にも出かけたことがあるが、そのときに担当されていた先生が今年また4年生担当となって実現したものだ。



事前に、先生との間でいろいろ相談させてもらっている。私への申し出があったさいに「盲導犬のことについて」という題名であったので、私の方から「見えない・見えにくい人に対する学習」というテーマに変えてもらった。



 まず、生徒たちから「私に尋ねてみたいこと」をまとめてもらい、それを送ってもらった。その問いの一つひとつは子供たちの率直な疑問であるとともに、おそらく多くの大人たちも同じように感じられているのではなかろうか?

その内容は、私個人への質問、視覚障がい者のこと、盲導犬について、いろんな問いかけがある。



 私個人への質問の中から幾つかを紹介する。

※ 一人で歩いたことはありますか?



ここでの回答としては、白杖や盲導犬を使えば屋外での一人歩きができること。慣れた場所なら、自由に移動できることも伝えられるだろう。



※ 目が見えないと、視界は黒ですか?



説明として、私の場合は左右とも全盲なのだが、右目は、白も黒も全くその感覚がない。いわば0の状態である。左目は、ベージュのような瞼を閉じたような感覚が存在している。少なくとも、黒の状態ではない。これは、先天盲と途中失明者によっても違うかもしれない。少なくとも光を感じる人は真っ暗ではない。

「見えない」といっても一人ひとりみんな違った状態であることを説明したい。



※ 眼が見えないと暇ではないですか?



これは率直な問いで、思わず苦笑してしまったが、見えなかったら何もできず、何もすることがないので、「ひまではないか」と考えたのであろう。

たしかに、視覚障がい者は情報を目から得ることができないという不自由さは伝えていかねばならないけれど、毎日をパワフルに過ごしている人が多いことも紹介していきたい。私の日常についても少し触れてみたい。
posted by よろてん at 11:43| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

視覚障がい者と囲碁

視覚障がい者と囲碁  「点や線と面」

 囲碁の話の続きになるが、私が視覚障がい者の囲碁の集まりに参加させてもらったのは2年半前になる。

視覚障がい者用の碁盤は何十年も前から持っていたが、五目並べをした記憶がある程度で、囲碁は「あたり!」といって囲むことくらいしか知らない状態だった。

 始め出してみたものの月数回のみの集まりでは初心者として学んでいくにはしんどいものがある。点字図書館から囲碁に関する点字書や録音図書を借りようと検索してみるが、本当に数少ない参考書しかない。

そこで、自分にあった程度の参考書を対面朗読してもらおうと考え、点字図書館の担当の方に、「碁の本を読んでもらいたい」と申し出た。「今のところ、そうした物に対応してもらえそうなボランティアはおられません」という返答だった。「どんなジャンルにも対応できるのが情報提供者としてあるべき姿ではないのか」と、踏ん張ってみた。

結果、館内に「囲碁の本を読んでくださる方」という募集チラシを貼りだして呼びかけてくださった。図書館のボランティアをしておられる方が、そのチラシをみてご主人に「囲碁をやっているのだから、本を読んであげたら」と声かけしてくださって、その後、その方が関わってくださることになり、今日までほぼ月2回、詰碁の本を読んでもらい、ときには碁盤に石をおいて説明してもらっている。

 併せて、やはり対局をしないと上達はしないだろうと、上手の人に御願いしメールのやり取りで対戦を御願いしている。メールでのメリットは、石の場所をしっかり把握できること。実際に向かい合っての対戦では、相手が打ってきた場所に指をもっていって、その周りを重点的に見ることになる。しかし、目で碁盤全体が見えている人は、白黒の配置の状況が一目で分かる。我々視覚障がい者が「点や線」として見ているのに対し、見えている人は「面」として見ることができる。この差は、囲碁のみなあらず生活場面全体を通して日常的に感じるところである。



 メールでやり取りしていると、次の手をゆっくり考えることができるが、どうかすると、夜間目が覚めてしまったときなど、次に打つ手を頭に浮かべてしまって眠れなくなってしまうこともある。過去に対戦したやり取りがメールで残っているので「よくこんな悪手を打っていたものだ」と自己反省することもできる。

 囲碁を通して、いろいろな楽しみ方を考えたり、自分の思い込みの考えと、それに対応する他者の受け止め方など、人生観にも通じるものを感じさせられている。
posted by よろてん at 11:00| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月10日

声かけ

声かけ
 ご近所の方との囲碁の話の続きになるが、ぽかぽか茶屋へ来られている方々とも声を掛け合うようになり、その時々に、盲導犬のことについて問われるままに説明したり、視覚障がい者も、いろいろ工夫しながら日常生活を送ったり、ゲームなども楽しんでいることを紹介していう。

 Nさんの他に、Sさんにも詰碁などで丁寧に説明してもらっている。
どうしても、有段者になると、「これくらいは分かるだろう」という前提で「こう撃つと次にこう受けて」と、ポンポンと石を置いて行かれるので、そのときは分ったつもりになって聴いているが、後ではんすうしてみると、「どうだったかなあ」と想ってしまうこともしばしば。その点、Sさんは、分かるまで手順を振り返りながら石の並びを確認させてくださるので分かりやすく心強い。

 ある日、バスに乗車したさい、ぽんと肩を叩かれて、一瞬びくりとする。「囲碁のんSです」と声がかかる。なにかしらうれしい気持ちになる。
後日談として、Sさんから、これまでにも何度か見かけたことはあるが、今回は、思わず声をかけてしまったとのこと。
 ぽかぽか茶屋でお会いした他の人たちからも、散歩しているときなどに声をかけてもらうようになった。これまでは見かけていたけれど、どう声をかけて良い物か分からず、見ているだけだったと言われる。

 そんな話の中で、一言加える。
 視覚障がい者としてご近所の方から声をかけてもらう場合、一番有難いのは・まず、私の名前を呼んでから、ご自分のお名前を告げてもらえると助かる。
 こんなこともある。「おはようございます」という声かあったので応じようとしたが、どうも雰囲気がおかしい。私の近くにおられる人に話しかけておられるようにも感じるが、よく分からないので中途半端な会釈を返すことになる。あるときには、スマホに向かって挨拶されている人に反応しかけたこともある。

 近頃は、街中で声掛けしてくださる人も増えてきた。
この場合、「大丈夫ですか?」と声掛けしてもらう事が多いが、こんなとき、思わず「大丈夫です」と反応してしまいがちだ。
「何かお手伝いすることがありますか?」と言ってもらえると、必要がある場合には、その内容を申し伝えることができる。

 「地域の中で一緒にくらす」、ぽかぽか茶屋の目的を実感として味わさせてもらっているこの頃である。
posted by よろてん at 22:47| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月08日

ご近所の方と囲碁を楽しむ

ご近所の方と囲碁を楽しむ



今年の5月からご近所の方と囲碁を楽しむようになる。

自宅から歩いて数分の所に「町の縁側・ぽかぽか茶屋」(https://www.facebook.com/まちの縁側-ぽかぽか茶屋-1041788412564724/)という地域の方々が自由に集える茶屋ができた。

 お近くに囲碁をされるNさんがおられるとは知っていたが、まだお声も聞いたことのない人で、こちらは視覚障がい者用の9路盤を使い、やり始めて年月も浅い状態。なかなか「お手合わせを御願いできますか?」とも申し出られずにいた。

 Nさんは、コーヒーがお好きで度々茶屋へ出かけておられるとのこと。また学区の子供たちに囲碁や将棋も教えておられるということで、茶屋の主Mさんに、囲碁の相手になってもらえるか打診してもらった。「良いですよ」ということで、視覚障がい者用の碁盤と石を背負って盲導犬と一緒に出掛ける。茶屋は、それまで住宅として使われていたところをリニューアルして使っておられるので靴を脱いで上がる必要がある。犬の足を拭いて上がり、隅の方にマットをひかせてもらって、そこにダウンさせる。いくらおとなしくしているにせよ、家では、「うわー!すごい抜け毛」と見えているものからすれば思わず声が出てしまう状況。何時もお世話をかけてしまっていることだろう。

 Nさんも最初はどのようにすれば良いのかと多少戸惑われたようでもあったが、「左から右の方へ縦線を1・2・3と言ってもらい、上から下へ横線を1・2・3と言ってもらって、例えば6・3というように言ってもらうことで石を打たれた場所が分かる」と説明させてもらうと、直ぐに声を出して対応していただき、ライトハウスなどで行っているのと変わらぬ流れで手順を進めていくことができた。

 視覚障がい者の囲碁は、石が動かぬように碁盤に穴をあけて、そこへ差し込むものや、石が動かぬように凹ませた盤上に白黒の石をはめ込んでいくというようなものもある。

白黒の区別は、つるつるやざらざら・ポツなどの触覚の違いで見極められるようになっている。

 Nさんとは、「9路盤はちょっと従来のものとは感覚が違う」ということで、13路盤でお相手してもらっている。19路盤の穴の開いた盤は持っていたので、13路盤になるよう、家人に、ボール紙や幅広のゴムバンドを使って13路盤移行との境が分かるようなものを作ってもらった。左手にハーネスを右手に碁盤を抱えて週1回お手合わせしてもらっている。
posted by よろてん at 17:08| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

盲導犬には声をかけないで、ユーザーには声をかけて!

盲導犬には声をかけないで、ユーザーには声をかけて!



毎年10月最後の日曜日に、ライトハウス祭りが京都ライトハウス全館を使って開催されている。

 各コーナーで様々な催しがある中、京都ハーネスの会も毎年来館者に、直接に盲導犬ユーザーに日ごろ聞きたいことを質問してもらったり、視覚障がい者には盲導犬体験歩行をしてもらうようにしている。

 今年も、視覚障がい者・晴眼者を含め、成人49名・高校生7名・中学生4名・小学生8名・幼児

10名が訪れた。

 小学生を含め、学生たちには「これまでに盲導犬や視覚障がい者に関するお話を聞いたことがありますか?」と尋ねてみると、「有る」という返答が多く、「どんなことが印象的ですか?」と尋ねると「盲導犬には触ってはいけない」 「盲導犬に声をかけてはいけない」というのがほとんど。実際に盲導犬ユーザーがお話をするときにも、そのことを最も伝えたかったのかどうかは分からないが、聞いている側にしてみたら「触ってはいけないんだ」という残念さが心に残るのではなかろうか。

 仕事中の盲導犬に声をかけたり触ったりすると、集中力がなくなるから、という説明を覚えている人もいる。

 我々盲導犬ユーザーと聞き手の来館者の間で、盲導犬たちはおとなしくダウンしている。

「触ったらいけないのですよね」とおそるおそる聞かれて、「今はリラックスしているから少しくらい良いですよ。でも、他のユーザーの方はどうか分りませんから黙って触るようなことはしないように、今日は特別ということで」というと、うれしそうに遠慮がちに手を出してくる。本当のところ、犬自信はあまり歓迎していないだろうと推察する。家に帰ってから何となく疲れたような様子を感じる。

我々ユーザーとしては、日ごろ街中で困っているときに声をかけてもらえたら、どんなにか助かる、というようなことを訴えるのだが、訪れた人たちは「盲導犬に触れることができた!」ということだけを印象として持ち帰られるのかもしれない。

 盲導犬ユニットに対する啓発活動の難しさを常々感じる。

 盲導犬のハーネスバッグには「お仕事中」という表示がある。犬が集中して仕事をしているから声をかけてはいけない!と、一般の人は理解している。盲導犬ユニットにとって周囲の人たちの目は、そして、主役はと言えば、「盲導犬」である。「声をかけてはいけない」というフレーズが、あまりにも強く一人歩きしている中で、「視覚障がい者には声をかけてください」という本来の強い訴えが、一般の人たちの中に発想の転換として伝わっていくだろうか?
お出かけ.JPG
posted by よろてん at 23:10| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

日常用具での経済的損失

  日常用具での経済的損失

 前日の続きになるが、電子電磁は、結局部品の一部に不具合があり取り替えねばならないということで幾らかかるかと問うと2万円ほどかかるという。ならば新しい物に買い替えようということで、そのメーカーに「音声ガイドするものはあるか?」と尋ねると「新機種にはそのようなものはない」という。調べてみると他者の物の中には「音声ガイド付」のものはあるが、値が高い。

 そもそも我々が使う音声対応のものは一般に販売されているものよりも高い。

 私の1日の生活の中で、音声ガイドで使っているものとして、電波時計・体重計・血圧計・ガスストーブ・エアコン用リモコン・気温湿度計・パソコン用読み上げソフト・ガス給湯器などがある。他にも生活用品は様々あるが、音声ガイドなどないものが多い。見えない・見えにくいことから、音声付だけでなく、使い勝手の良いものを選ぼうとすると、値段にこだわることができなくなるものがある。

 「見えないことから来る経済的損失」というのが、こうした場面にも生じている。

 一部のものについては、日常生活用具給付等事業として給付対象となっているものもあるが、限られた範囲内である。

iPhoneは、その点、VoiceOverという読み上げ機能を最初から搭載しており、誰にでも使えるようにと最初から考えられている。

 企業には、こうした誰にでも使いやすいいわゆる「ユニバーサル」な商品作りに取り組んでもらいたいものだ。
posted by よろてん at 22:09| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイムリーな目の提供

タイムリーな目の提供



 毎朝、起き抜けには、血液が濃くならないためにとカップ1杯の水を飲むことにしている。数日前からは、レンジで暖めているが、1・2・3と数えだして10秒くらいで、「表示をメモしてください」という音声とともに、保温中に聞こえている音も消えてしまう。このレンジには、表示されている内容までは読み上げる機能は持ち合わせていない。

同居人に見えている者がいる場合は、タイムリーに、表示文字を読んでもらうこともできるが、そうでない場合は何が書いてあるのかと不安な気持ちになってしまうこともあるだろう。

 文字やその場の状況など、テレビ電話を使って見えている人にサポートを御願いするという制度があると聞いている。スマホや携帯電話でカメラ機能を使って、見てもらいたい所に合わせて文字や状況を写して、先方のサポーターに、そこに写ったものを言葉として解説してもらう。

 ネットで見るかぎり、テレサポートは、日中の一定時間内の対応であって、早朝から受け止めてもらえるような体制ではないようだ。



ユニーズ京都の「目の提供」が、このようなことにも対応できたら心強いのではなかろうか。

アイヘルスタッフの中で、自宅にいながら早朝仕事に出るまでの7時までなら対応できる人。夜間、9時から12時までなら対応OKという人など。その人なりの生活パターンに応じて利用してもらえる人があるならば、そうしたリストを整理し、窓口の受付番号やアドレスから担当者の方へ一定時間内は転送できるというような形態をとることができたら、タイムリーに目を必要とする人にとっては助けとなるのではないだろうか?など、視覚障がい者としての立場で自分なりには考えているが、まだ、会の中で話題にはしていない。ニーズとしてはどのようなものだろうか?

そうした日常的な活動が細やかになされていくことを願っている。

そして、そうしたサポートなら関わっても良いという「見えている」ボランティアが現れることも願っている。
posted by よろてん at 00:13| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする