2020年02月25日

ツアーへ申し込んだ盲導犬ユーザーの一コマ

ツアーへ申し込んだ盲導犬ユーザーの一コマ

 地元の新聞社のツアー旅行の案内があり、それに申し込んだ。
先方が受け付けたので、「盲導犬も一緒」と告げると、案の定「ホテルに問い合
わせてみますので」と、その返答を待つことになる。
その回答は、「ツアー客とは別に離れに泊まってもらうことになります」という。
「盲導犬と一緒だと、どうして皆と一緒の所に泊まれないのか、その理由を聞か
せてほしい」と問うと、盲導犬のことは分かっていますが、そのホテルでは、盲
導犬もペットも離れだと一緒にお風呂にも入ってもらえます」と、驚くべき答え
が返ってきた。
 ペットと一緒にお風呂に入りたいという人もあるのだろう。しかし、わが盲導
犬は視覚障がい者の歩行手段のサポートとして社会に認知されているものであり、
風呂に一緒に入るというようなことは考えたこともない。
 盲導犬とペットを同一化していることが、このことからもみてとれる。
そして、最初に「離れで」といったさいには「レベルが高いので金額も上がりま
す」とまで付け加えていた。ここまで言われると、「それならやめておきます」
という人が多いのだろう。

 別のツアーを使い始めたときも、同じような対応をされた。しかし、同ツアー
を一度使ってみて、添乗員にもしっかり知り、理解してもらってからは、会社の
方で関係施設に「問題ありません」と説得?してくれて、何ら問題なくツアーを
楽しんでいる。

 今回の場合、「一緒にお風呂にも入ってもらえますので」という好意的な考え
であるのなら、「そういうところもありますが、どうされますか?」と問うてく
るのが順当である。

ツアーの責任者に、盲導犬を使う視覚障がい者を、このような形で離れへはじき
出すのなら、白杖を使っている視覚障がい者にも同じ扱いをするのか?
 車いす使用者が申し込んできたらどうしたのか?
 おそらく、そうした人たちが申し込んでくるなど想定外だったのではないか?
 正確な案内を出すのなら、ツアーで受け止められない人たちのことはお断りと
して申し添えておくのが本筋ではないのか?

 こうしたやり取りは本当に疲れる。「一般」と言われる世間から想定外に押し
やられている者が、「当たり前」に行動しようとしたときに、常に「障壁」が立
ちはだかり、多くの場合、それをあえて超えようとする気力を失ってしまうのだ
ろう。

 このやり取りで、どれほど理解してもらえたかどうかは分からないが、最終的
な回答は、「まったく問題ありません、一般の方と一緒の所で」というものであ
った。

3月半ばのツアーであったが、新型コロナウイルス感染のこともあり、啓発を目
的とした旅行の半分の目的も果たせたことから、今回はキャンセルすることにし
た。


posted by よろてん at 08:47| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月11日

京都国立近代美術館から、視覚障がい来館者に対する対応についての回答

昨秋、美術館の視覚障がい者に対する関わり方について、問い合わせた回答がい
ただけていないとの内容をこのブログに書いたが、手違いで見ておられなかった
とのことで、改めてご回答をいただいたので紹介する。


当館の現状の対応について、ご回答させていただきます。

現状では、視覚障害のある方がいらっしゃった場合、言葉による作品鑑賞をス
タッフがご一緒するというかたちで対応をさせていただいています。
見えない方が、触ることによって主体的に情報を得ていただけるというのは、
我々もこれまでの取り組みでお会いした視覚障害のある方から教えていただいて

おります。ただ、美術館は作品を保存し後世に同じ状態で伝えていくという使命

も持っている社会施設です。そして当館は、(見える・見えないにかかわらず)

来場者の方がさわって鑑賞することを前提とした作品というものを、これまで、

収蔵したことがありませんでした。
ですが、「誰もが楽しめる美術館にする」という思いのもとで2017年から「感覚

をひらく」というプロジェクトをスタートしまして、イベントという単発の取組

みではありますが、本物の所蔵作品をさわってもらう機会を設け始めました。
その準備の段階で、「安全にさわることができて、触ることでより一層理解が深

まる作品はどれか」という観点から、収蔵品を別の角度からとらえてみるとい
う、新しい視点を学芸課スタッフの間で持つようになってきています。「これは

大丈夫」と学芸課内で判断がなされた作品については、イベントの中で自由にさ

わって体験していただいています。このプロセスを今後も続けていくことで、
触って体験していただける作品が増え、また、そうした作品に対するケアの仕方

や来場者の方のナビゲートの仕方についても、我々のなかでノウハウが徐々に蓄

積されていくものと感じております。
ここからは美術館としてではなく個人的な意見ですが、将来的には、常設的にさ

わることができる作品が展示されていて、要請に応じて専門のスタッフが対応す

るという状況になれば理想的だなと思い、プロジェクトに携わっています。

また音声ガイドについてですが、当館は、企画展と常設展で、5〜10作品につ

いて、音声ガイドを毎回作成しております。文章は当館の学芸スタッフが執筆し

ています。
企画展の場合は、会場内で音声ガイドの機器を有料で貸し出しています。聴覚障

害のある方には、文字に起こしたものをお貸出しできることもございます。
また常設展では、スマートフォンのアプリで「カタログポケット」というものを

導入しており、こちらをダウンロードいただくと会場だけでなくご自宅でも、作

品解説が自動音声でお聞きいただくことができます。ただ、こちらの「カタログ

ポケット」、視覚障害のある方には操作が複雑で難しいようでして、まだまだ改

善の必要があるなと私どもも感じているところです。
また一般的に音声ガイドは、視覚で作品を見ている方にむけて付属的に情報を伝

えるツールという前提のもと、文章が書かれています。そのため「視覚障害のあ

る方が楽しめる音声ガイド」という観点からみれば、不親切で不十分な表現が
多々あるように感じております。見える・見えないにかかわらず楽しめ、想像が

膨らむような、ユニバーサルな音声ガイド、あると良いですね。


ここまで。


心強いご回答をいただいて、今後の取り組みに期待したい。
posted by よろてん at 10:52| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バス乗務員へのお願い

年末、以下の内容を地元新分の投稿欄に送信しておいたが、没になったかとあき
らめかけた今日11日に掲載された。


バス乗務員さんへのお願い

 私は盲導犬ユーザーです。犬と一緒にバスに乗降することもしばしばあります
が、先日、バスを降りた所で転倒してしまいました。足を下ろした所が歩道でな
く車道で、急いで歩道へ上がろうとしたときに右足が歩道にひっかかってしまい、
あえなく転んでしまいました。今回は、コートの汚れを払う程度ですみましたが、
打ちどころが悪かったら骨折していたかもしれません。
 日ごろバスに乗車するさいにも、歩道からすんなりバスへ乗り込むことができ
ず、いったん車道へ降りてからバスへ乗り込まねばならないことがあります。
 降車時、乗務員によっては、歩道に寄せられなかったことを伝え、その状況を
説明してくれる人もありますが、そうした断りをする乗務員はほとんどありませ
ん。
 歩道にぴったり寄せて止まってくれるバスから降りるときは救われた気持ちに
さえなります。足腰の弱りつつある高齢者にとっても同様なことがいえるのでは
ないでしょうか。
 低床バスなど物理的な環境は整えられても、実現場で関わる乗務員のソフト面
の対応がなければ真の安全は確保できません。よろしくお願いします。

posted by よろてん at 10:52| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月24日

タンデム自転車で走ってみませんか!


タンデム自転車で走ってみませんか!?
 タンデム自転車(tandem bicycle)というのをご存じでしょうか?
 今回取り上げる自転車は、前後に並んで乗り同時に駆動する二人乗りのもので
す。前部に乗車する人はキャプテンまたはパイロット、それ以外の後部に乗車す
る人はストーカー(Stoker)またはコパイロット(co-pilot)と呼ばれます。
2人乗りのタンデム自転車は、2人で漕ぐことにより出力が2倍になる一方で空気
抵抗はあまり増えないので、1人乗り自転車と比較して高速での走行が可能とな
ります。

 見えない・見えにくい人はサイクリングを楽しむことはできません。そこで見
えている人が前・視覚障がい者が後ろに乗車して走れるタンデム自転車が各地で
数年前から利用されるようになってきました。

京都でも、ぜひタンデム自転車で楽しめる環境を整えていきたいと考え、201
3年に京都サイクリング協会(KCA)と私の所属するユニーズ京都で話し合い、2
014年に、京都府警に出向き「公道を走れることを京都でも認めて欲しい」と
要望書を提出しました。

同年の5月、宝ヶ池においてタンデム自転車の体験会を実施しました。10数名
の視覚障がい者とパイロットをする晴眼者(見える人)会員が力を合わせて池の
周りを走りました。風をきって走行する爽快感を、初めて感じた人、再び自転車
に乗れたことに感激した人。二人で力を合わせてペダルを漕ぎながら、楽しい会
話も弾みました。

一方で、府警との話し合いはすんなりとは進みませんでした。もとより一般の者
も乗れる自転車であることから乱暴な乗り方をする人も出て来るのではないか?
など、リスクに対する懸念が許可を阻んできました。

しかし、全国10県で公道を走れるようになってきたこともあり、2015年11月、京
都においても公道での走行が認められました。現在では半数を超える府県で走行
が可能となってきています。

京都市障がい者スポーツセンターにおいては以前からKCAの協力も得てタンデム
自転車の体験会を開催してきていましたが、一定の周回路を回るというもので、
公道を走れることができるようになった今、もっとタンデム自転車を通して一般
市民と障害のある者が時間を共有できる場の設定を考えていかないか、と担当職
員に申し出ました。が、その反応は弱く、その後の発展にはいたっていません。

2018年、当初の目標であった京都八幡木津自転車道線(桂川サイクリングロ
ードおよび木津川サイクリングロード)におけるタンデム自転車体験会を実施す
ることができました。KCAの皆さんには10数台のタンデム自転車をスポーツセ
ンターから会場まで運ぶこと、パイロット役も引き受けていただくなどお世話に
なりました。
10kmを自転車で走る体験は応募して来られた視覚障がい者にとっては心地よ
くうれしい一時であったことがその後の感想からも感じ取れます。

翌年には、他府県の視覚障がい者にも呼びかけ、神奈川・静岡からも体験会に参
加する人がありました。

 一定の成果は得られたものの、公道を走れるようになったことを、もっと積極
的に生かしていけたら!公的機関に働きかけてもなかなか具体化しないのが実態
です。

地域の中でタンデム自転車を通して住民と地元の障害のある者が時間を共有し、
理解の輪を広げていけないだろうか?そう私は考えています

自力で考えられることとしては、自らがタンデム自転車を所有し、パイロットを
引き受けてくださる人を募り、その方と日程調整をして、安全確保できるルート
を一緒に楽しみながら、ときには買い物をしたり、新たなポイント地点を探求し
たりする。

 この事例が現実のものになるとすれば、交通事情が不便な所に住んでおられる
人にとっても、楽しみながら、その時々の目的を果たすことも可能になるのでは
なかろうか?

 もとより、実施するにあたっては、クリアしなければならない課題は幾つも現
れてくるでしょう。それらを一つずつ解決していくエネルギーは必要となります。

共感してくださる人を増やし、その人たちの協力もあってこそ実現するものです。

パイロットとして走ってみよう!と手を挙げてくださる人が何名も現れたら、私
もタンデム自転車を買うことも考えようかな!
タンデム自転車2014.05宝ヶ池にて .jpg
posted by よろてん at 10:44| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月17日

見えなくても、何時でも楽しめる美術館に

見えなくても、何時でも楽しめる美術館に

過日、地元の国立美術館の職員から、当美術館内のカフェでも、2年ほど前より
点字メニューを置いています。ユニーズのHPでも紹介していただきたいと思いご
連絡させていただきました。
また、これは宣伝になりますが、「感覚をひらく」というプロジェクトの中 で、
視覚障害の
ある方もお気軽にご参加を頂けるような作品鑑賞プログラムを定 期的に実施し
ております。
とのメールをいただいた。

そこで、2か月ほど前に、以下のようなメールを、その職員あてに送信した。
貴館におかれましては、「触れるコレクション」といった取り組みを通して視覚
障がい者にも楽しめる企画を考えていただいていると聞いております。
しかし、それらは一定の期間限定であり、視覚障がい者個々の都合の良いときに
出かけていったときには、どのような対応をしていただけるでしょうか?
視覚障がい者にとっては、「触れる」ということが何よりの情報となります。
大阪の国立民族博物館や、盛岡市にある「手でみる博物館」(個人的に収集され
たもの)など見学して、触れることによって初めて気づき学習できたことが多く
あります。
手でみる博物館の館長によりますと、「百聞は一見にしかず」を英訳すると「se
eing is
believing」となります。手でみる博物館では「touching is believing」、触
ることは信じることです。まさに触察は視覚の代用ではないということに気が付
きました。
視覚を補うものであっても、触ることは見ること以上の可能性があると感じてい
ます。
残念ながら、ほとんどの美術館や博物館では「触れさせてもらえるもの」はごく
ごく少なく限定されています。もとより「触れる」ことによるリスクは考えられ
ますが、「見えない者」にとって「触れる」ということは何よりの見聞になりま
す。見る者・受け入れる側の一定の理解とマナーがあれば、そうしたバリアはも
っともっと低くなるのではと思います。
その段階にいたるまでの一定の経過処置ともいえるかもしれませんが、音声ガイ
ドによる各貯蔵物の説明をしてもらえたらどうかと考えています。所によっては
録音したものをイヤホーンで聴きながら鑑賞するというシステムをとっていると
ころがあります。
私個人としては、あまりイメージがわいて来ないのですが、関心のある人にとっ
ては、よりどころとなるのではないでしょうか?
貴館職員が録音してくださる説明が何よりかとも思いますが、各貯蔵物について、
説明文を作成していただいたら、本会にも拙い読み方ではありますが、音訳メン
バーが数人おりますので、そうした者で良ければご協力させていただけるかと思
います。
耳から聞くことによっても想像を拡げていける作品から、少しずつでもご紹介し
ていただけたらどうでしょうか?
他府県から来られる視覚障がい者にも楽しんでもらえる美術館になることを願っ
ています。
実態を把握していない者の申し出、ご無礼があればご容赦ください。として、送
信した。

しかし、いまだに何の音さたもない。見えない者には、それなりの企画を考え提
供するというのが一般的な考え方である。この事は、当美術館だけではない。
視覚障がい者である前に、一来館者として都合の良い時に出かけて行ったさい、
その人が見えない状態の人であったとしたら、どのように対応できるのか?
だれもが楽しめる美術館であって欲しい!
これまでの特定に準備されたサービスを受けることから、1歩踏み出して、日常
的に、どの場所であっても個々のニーズに対応できる環境を考えあっていけたら、
そうした思いからの問いかけメールであったのだが。
posted by よろてん at 11:54| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月28日

自立のための独り歩き

自立のための独り歩き

 他府県から入洛される視覚障がい者を「目の提供」によってサポートするアイ
ヘルパー
活動を続けているが、数か月前、「毎週、決まった場所への手引きしてもらえな
いか」という依頼が窓口受付にあった。数回関わることによって、その後は独り
歩きしてもらえるものと考えて引き受けることにした。
初回の待ち合わせ場所には母親と本人が現れた。成人になったとはいえ、ほとん
ど家人の手引きばかりで行動してきたという。当初考えたこととはいささか異な
るが、とにかく「独り歩き」が可能になるかどうか、一定回数アイヘルパーが代
わりあって関わることにした。見えている者であれば15分程度で歩ける距離で
ある。
 アイヘルパーには「独り歩き」ができやすいルートを選んで欲しい旨伝えてお
いた。アイヘルパーからは、「もっとも歩く距離が短いルート」が提案され、そ
れで数回の活動を終えた。しかし、独り歩きの兆しは報告からは感じ取れなかっ
た。
そこで、私自身で盲導犬と一緒に、そのコースを歩いてみることにした。
幾つか問題点はあったが、もっとも危険を感じさせたのは車が常時通らない交差
点があることだ。車の流れが途絶えないところであれば、横断歩道の手前で車が
止まったことを確認して横断歩道を渡ることができる。しかし、ときどき車が通
るところでは、その判断ができない。そこで音の信号機があり、点字ブロックが
敷設されたルートがないか他の道を探してみた。短距離がもっとも効率的と考え
る晴眼者と耳からの情報や足裏の感覚を頼り
にする視覚障がい者との価値観の違いの一例である。
 ルートを変えてサポートを続けたが、やはり基本ができていない。「きちんと
歩行訓練を受けられた方が良い」と伝えた。しかし、「新たな環境下の中で資格
を取るための勉強を始めたばかりであり、まずは、そちらの方に力を注ぎたい」
と親御さんの申し出がある。
ユニーズ例会の場に依頼者とその親を招いて今後の関わり方について話し合った。
 「本会としては、『独り歩き』することを前提に『目の提供』をしているもの
であり、私としては、何よりも生活能力を優先した取り組みをしていくべきでは
ないか。『手引き』状態で関わることは自立にも繋がらないので今後の関わりに
ついては見直していきたい」と述べた。しかし、実際に関わっているアイヘルパ
ーの中からは「依頼者が求めていることを受け止めることが必要」という、いわ
ば「してあげる」ボランティアの気持ちの現れもあった。
そもそも「手引きをしてもらいたい」と申し出たのに、実際に関わってもらうと
「独り歩き」という課題をボランティアの方から提示されてしまい困惑してしま
った、というのが実情のようだった。
 ここにいたるまでの時間の中で学校や施設の教諭や職員が関わってきたのに、
どうして「自立」するための基本的な考え方や対処の仕方について助言して来な
かったのだろう。
手伝いをお願いしたところが突如として「自立」という問題を提示されて困惑し
ている。そもそもスタート地点からボタンの掛け違いがあった、と両親のつぶや
き。
 それでも、私から強く訴えたこともあって、父親が即刻歩行訓練の手続きをと
り、早速歩行訓練士に対応してもらっている。
 今後、両親・本人それぞれが「自立」を課題としてどのように歩んでいかれる
か?
必要に応じて会としても関わりながら経過を見守っていきたい。
posted by よろてん at 09:13| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月18日

地元図書館で対面朗読

地元の図書館で対面朗読
 地元の図書館に対面朗読室があるのをネットで知り、昨年の夏、実情はどんな
ものか、使えるものなら利用したいと思って出かけた。実際に対面朗読室はあっ
たが、読み手のボランティアが確保できている訳ではなく、これまでに使用され
たことはないという。公的機関において、一応ハード面は整えたが、それを実際
に機能させるソフト面が対応できていないという実情がここにもあった。その場
で、利用してみたいという意思表示をして帰ってきた。
 それから数カ月たった11月末。盲導犬を使って安全に自宅から図書館の間を
往復できるかを確かめるため、盲導犬協会の訓練士に同行してもらって30分で
行けるルートを確認した。
 図書館にボランティアが見つかったか尋ねてみると、音訳できるボランティア
をライトハウスに問い合わせ中だという。前回にも言ったつもりだったが、講習
を受けた方でなくても、地元地域の中で、こうした活動に関わってみようと思わ
れる人に読んでもらえることを願っていることを再度伝え、館内にボランティア
募集の案内を表示してもらえるよう御願いして帰ってきた。
それから年も変わり2月になって、図書館館長から「ボランティア希望者が現れ
た」という電話が入る。そのさい、「図書館貯蔵の本から読んでもらうことにな
ることをご了解ください」と念押しされる。
 さて、どんな本を読んでもらおうか!手元にある取説や趣味で使う参考書など
を本当は読んで欲しいところだが、とにかく今は図書館にありそうな本から選ば
ねばならない。ネットでノンフィクションの本を幾つか抽出し、その本がサピエ
で既に登録されているかを確認して、まだ登録されていない数冊をリストアップ
して印刷し、それを当日持っていくことにする。この作業をしている中で、多く
の本がサピエに登録されていることを再認識し、全国の多くのボランティアの皆
さんに支えられていることを実感する。
 当日、定刻より少し早く図書館へ付いたが、読み手をしてくださるUさんは既
に来ておられた。希望書を並べた印刷物を図書館職員に渡して借りられる本があ
るか調べてもらうが、上位に上げておいたものは貸し出されているか、本図書館
にはなく、下位に書き入れておいたプロ野球関係の本を読んでもらうことになる。
上位に上げておいたものは、読み手にとっても比較的興味をもって読んでもらえ
るものではないかと選んだが、全く知らない野球選手の固有名詞が並ぶ本を読ん
でもらうのは気の毒な感じもしたが、区切りの来るところまで読んでもらう。初
回ということもあって館長も同席して分からない漢字が出てきたら補佐するとい
う環境下、最初のことでもあり、1時間ちょっとで終わってもらったが、疲れら
れたのではなかろうか?今後続けてもらえるか、テストケースとしての時間でも
あったが、「やります」とのことで、次回の日程も決まる。次回は、上位に上げ
た本が読んでもらえたら、その内容なども踏まえた話題などで話し合えるのでは
ないかと願っている。
 帰り道、ちょっと方向を失ってしまうが、線ブロックがあることが分かり、図
書館に戻っていることに気づき、再出発して無事に帰宅する。
posted by よろてん at 17:43| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

地域公共図書館における視覚障がい者の文字情報提供に思う


 自宅から盲導犬と歩いて30分程度の所に地域の公共図書館がある。
HPで見てみると対面朗読室がある。
 視覚障がい者のサービス提供として有るものを利用することが第1歩と出かけ
てみた。
通された対面朗読室は、思ったより大きなスペースのものだが、物置のようにな
っている。これまでに利用された人があったかを尋ねてみると、今回が初めてと
のこと。読み手のボランティアは、現状ではおられないとのこと。
それでは、ボランティア捜しをしてもらった上で、利用させてもらいたいと申し
出、図書館登録をする。
 
数か月後、その後の状況を聴くために図書館へ出かける。音訳講習会を終えられ
たボランティアで、この図書館で活動していただけそうな人がおられないかライ
トハウスへ問い合わせているとのこと。私としては、特にきれいに読んでもらい
たいとは思っていないし、地元の方で、こうした活動に関わってもらうことで視
覚障がい者のことを知ってもらう一助にもなると思うので、資料を読んでいただ
ける方がおられないか、館内に呼びかけ文を掲示してもらいたい、と申し出て帰
ってきた。

 あくる日、その館長から電話をいただいた「ボランティア募集の掲示はします
が、対面朗読室の利用は、図書館の資料の中のものであることをご理解ください」
と言われて、「え! 私としては、手元にある資料を読んでもらえるものと思っ
ていたので」と戸惑いの声を返してしまった。

 確かに、図書館の案内では、対面朗読室を設けて図書館資料の対面朗読を行っ
ています、とある。活字が読めない人にも図書館に有る本を利用してもらおうと
いうものである。図書館としては補完的なサービスとして必要なことだ。

 一方で、視覚障がい者にとっては、行動の自由とともに不自由を感じているの
は「文字情報」で、それは図書館に有る本や資料に留まらない。近年、インター
ネットによる視覚障害者情報総合ネットワーク「サピエ」があり、点字・録音図
書目録の検索をはじめ、点字データ、デイジーデータなどのダウンロードなども
できる。そのため図書館にある本の多くはタイムリーに提供されるようになって
きた。

むしろ、視覚障がい者にとっては、手元にある個人として必用な情報を読むこと
ができない不自由さというものを日常てきに感じている。
 各地の図書館の状況や、公共図書館としての役割について、ライトハウスの担
当職員に問い合わせてみた。
 「地域の図書館にある対面朗読室は、図書館の本を読むだけの空間に限定され
てしまうのでしょうか?視覚障がい者の「文字情報をサポートする」ための空間
にはならないのでしょうか?」

職員からの回答は素早い物だった。
「各図書館の対面読書のサービス内容には以下の通り書かれています。主に視覚
障害の方へのサービスです。視覚障害の方が知りたい(読みたい)活字の情報を、
音訳協力者の協力で得ることができるサービスです。
活字の情報とは、本や雑誌、新聞、パンフレット、家電などの取扱説明書等々、
活字による印刷物のことです。読む資料は図書館所蔵の図書または雑誌、および
それに準じる持込み資料です。
上記のことから図書館所蔵のみに限定していない図書館もあり、これは市によっ
て異なっているようです持ち込みもOKですが、要相談ということはあると思い
ます。」

 ライトハウスでは、「読み書きサービス」や、対面朗読にしても視覚障がい者
が持参した本を読んでもらうサービスがある。
 視覚障がい者の「文字情報」をサポートする、こうした活動が各地域の図書館
で行われれば、遠くからライトハウスまで出かけていかなくてもタイムリーに情
報を得ることができる。

声を出していきながら、動きを見守っていきたい。
posted by よろてん at 09:19| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月05日

1人の手


1人の手

 ユニーズ京都では、他府県から京都へ出て来られる視覚障がい者に「目の提供」をする活動を行っています。

 あるケースです。
その視覚障がい者は、京都へ出て来るにあたって、新幹線で京都に着いたさい、降り口から改札口までのサポートを
京都駅の職員にしてもらえるよう、乗車する駅職員に御願いしておいたとのこと。

ところが、当日、担当のアイヘルパーが待ち合せ場所の改札口で待っていたところ、当の視覚障がい者が一人で白杖を使いながら現れたそうです。事情を聞いてみると、職員が出迎えてくれなかったので、周囲の人に聞きながら改札口まで辿りついたとのこと。

その視覚障がい者が帰郷されてから、こちらから、その方に「今後のこともあるので、地元の駅には、きちんと京都駅へ連絡をしてくれたのか?連絡済みであったとしたら、京都駅に、実情を訴えたらどうだろうか。何より当事者の生の声を届けることが力になるのだから」と伝えました。

昨今の駅ホームからの転落事故は、当事者のみならず、鉄道関係者、周囲の一般市民にとっても、見逃してはおけない課題です。

その視覚障がい者からは、「そのようなことに労力を使ってまで問い合わせようとは思わない。視覚障がい者もさまざまでしょうが、これまでも、こうしたことに抗議や申したてはしていないし、今後もしようとは思っていない」との返答がありました。

障害の有る無しに関係なく、「抗議する」というようなアクションをすること自体に抵抗感のある人も多いのかもしれません。

しかし、一つひとつのケースを見過ごしてしまうのではなく、たとえそれが小さな声であっても、丁寧に積み上げていくことによって、新たな問題点がみえ、それに向けての改善策がこうじられていくことでしょう。

 本田路津子の歌に、一人の手というのがあります。
一人の小さな声 何も言えないけど
それでも みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える

市民活動の原点ではないでしょうか?
posted by よろてん at 14:03| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

どうしてメガネかけてるの?

どうしてメガネかけてるの?

 盲導犬を伴って 地下鉄のコンコースを歩いていると、傍を通り過ぎたのであろうお母さんと低学年の子供の話す声が後ろから聞こえてきた。

「あの人目が見えないのにどうしてメガネかけてるの?」。距離がだんだん離れていくのでお母さんの応える内容は聞こえなかったが、振り向いて「それはね」と声をかけたい衝動にかられた。素朴な疑問であろう。お母さんは、どのように答えたのだろう。

 川柳のラジオ番組で「メガネかけ、賢く見せても、あほはあほ」というような傑作があったが、多少はそうした思いもあるにせよ、主たる目的は、顔面強打に対する防御策なのである。メガネに加えて、私にとっては、庇がしっかりした野球帽のような帽子も外出時には必須である。

 盲導犬と一緒に歩いていると、足元の段差や障害物については、しっかり知らせてくれる。しかし、胸より上の空間にまでは犬のチェック機能はなかなか働かない。

圧迫感を感じるほどの障害物については、避けることもできるが、道路の外まで伸びてきている庭木の枝や看板、トラックのミラーなど、想定外の所にあるものについては無防備となる。そうすると顔面に衝撃を受ける。顔面というのは出欠しやすくキス後も目立つ。

そこで、その防御策として帽子やメガネが必要となる。

 近頃は、全盲だけでなく、多少見えている弱視の人でも盲導犬と歩く人がいる。その人たちは、まぶしさに弱かったり、残された視力をメガネによって少しでも引き出すための補助具として使っている場合もある。

 人の行動や装着しているものについて、「おかしいな?」と思うことはいろいろあるのではなかろうか?しかし、それらは「知らない」から疑問に感じるもので、理由が分れば、納得もし、違和感なく受け止められるものが多いのではなかろうか。
posted by よろてん at 23:38| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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