その結果は、右冠動脈の数カ所が細くなっており、経費的冠動脈形成術(PTCA)というステントなる物を入れなければならなくなり、1週間後の整形の手術は年明け以降とずれ込むことになってしまった。
予定通りの日程であれば前に部長をされていた方が来られて立ち会ってくださるということであったが、日が変わることによって、そのチャンスは流動的となった。
循環器の結果を聞いて、整形の担当ドクターが仕事を終えてからであろう午後8時に私の病室を覗いてくださって「またスタート地点から考えて行きましょう。前部長に立ち会ってもらうことについては、どのように考えられるか?忙しい方なので日程を合わせて来てもらえるかどうかは分からないが?」との問いかけ。
素直な気持ちから言えば、経験豊かな人に立ち会ってもらえることは有り難いし、せっかくそうした機会を作ってもらえたことでもあり、日にちがずれ込んだからといって、やはりそのチャンスがあることは望みたい。
しかし、現に関わってくださる担当医に対して、その申し出は、ある意味では「頼っていない」と捕らえられてしまわないか。
しばし躊躇した後、それでも一生に一度の手術にさいして患者としての気持ちは素直に伝えておいた方が良いと思い、「今回設定していただいたことでもあり、もし可能であればお願いしたい」と、やや目線を落としてお願いする。
今回の検査入院は1泊2日。夜には家人にユニスを連れて帰ってもらうとして、日中傍においておくのに個室の方が良いと考え、そのように申し出る。ちょうど空いているところがあったが、トイレは付いていない。トイレまで歩いて行くにはかなりの距離があり、溲瓶を借りることにする。
私の担当看護士は若い男性。これまでにも各科で問われた既往歴や体重や身長にいたるまで、またまたご丁寧に訊ねられる。集中カルテになっているのであれば、この当たりの作業はもう少し何とかした方が良いと思うが。
対応してくれる彼の行動を見ていても感じるが、医療の学習を終えただけというだけではなく、人との関わりをどのようにしていくかがこの世界においても大きなウエイトをしめてきていることを痛感する。確かに患者との関わりの中で、目線も言葉遣いも「やらせてもらっている」という雰囲気に変わってきている。
手首から血管を通して心臓までカテーテルを送り、そこで血管がどのようになっているかを見ることができる。ほとんど苦痛もなく、そうした作業ができるようになった。医療は日の当たっている所では恐ろしいほどの進歩である。
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