2019年02月18日

地元図書館で対面朗読

地元の図書館で対面朗読
 地元の図書館に対面朗読室があるのをネットで知り、昨年の夏、実情はどんな
ものか、使えるものなら利用したいと思って出かけた。実際に対面朗読室はあっ
たが、読み手のボランティアが確保できている訳ではなく、これまでに使用され
たことはないという。公的機関において、一応ハード面は整えたが、それを実際
に機能させるソフト面が対応できていないという実情がここにもあった。その場
で、利用してみたいという意思表示をして帰ってきた。
 それから数カ月たった11月末。盲導犬を使って安全に自宅から図書館の間を
往復できるかを確かめるため、盲導犬協会の訓練士に同行してもらって30分で
行けるルートを確認した。
 図書館にボランティアが見つかったか尋ねてみると、音訳できるボランティア
をライトハウスに問い合わせ中だという。前回にも言ったつもりだったが、講習
を受けた方でなくても、地元地域の中で、こうした活動に関わってみようと思わ
れる人に読んでもらえることを願っていることを再度伝え、館内にボランティア
募集の案内を表示してもらえるよう御願いして帰ってきた。
それから年も変わり2月になって、図書館館長から「ボランティア希望者が現れ
た」という電話が入る。そのさい、「図書館貯蔵の本から読んでもらうことにな
ることをご了解ください」と念押しされる。
 さて、どんな本を読んでもらおうか!手元にある取説や趣味で使う参考書など
を本当は読んで欲しいところだが、とにかく今は図書館にありそうな本から選ば
ねばならない。ネットでノンフィクションの本を幾つか抽出し、その本がサピエ
で既に登録されているかを確認して、まだ登録されていない数冊をリストアップ
して印刷し、それを当日持っていくことにする。この作業をしている中で、多く
の本がサピエに登録されていることを再認識し、全国の多くのボランティアの皆
さんに支えられていることを実感する。
 当日、定刻より少し早く図書館へ付いたが、読み手をしてくださるUさんは既
に来ておられた。希望書を並べた印刷物を図書館職員に渡して借りられる本があ
るか調べてもらうが、上位に上げておいたものは貸し出されているか、本図書館
にはなく、下位に書き入れておいたプロ野球関係の本を読んでもらうことになる。
上位に上げておいたものは、読み手にとっても比較的興味をもって読んでもらえ
るものではないかと選んだが、全く知らない野球選手の固有名詞が並ぶ本を読ん
でもらうのは気の毒な感じもしたが、区切りの来るところまで読んでもらう。初
回ということもあって館長も同席して分からない漢字が出てきたら補佐するとい
う環境下、最初のことでもあり、1時間ちょっとで終わってもらったが、疲れら
れたのではなかろうか?今後続けてもらえるか、テストケースとしての時間でも
あったが、「やります」とのことで、次回の日程も決まる。次回は、上位に上げ
た本が読んでもらえたら、その内容なども踏まえた話題などで話し合えるのでは
ないかと願っている。
 帰り道、ちょっと方向を失ってしまうが、線ブロックがあることが分かり、図
書館に戻っていることに気づき、再出発して無事に帰宅する。
posted by よろてん at 17:43| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

地域公共図書館における視覚障がい者の文字情報提供に思う


 自宅から盲導犬と歩いて30分程度の所に地域の公共図書館がある。
HPで見てみると対面朗読室がある。
 視覚障がい者のサービス提供として有るものを利用することが第1歩と出かけ
てみた。
通された対面朗読室は、思ったより大きなスペースのものだが、物置のようにな
っている。これまでに利用された人があったかを尋ねてみると、今回が初めてと
のこと。読み手のボランティアは、現状ではおられないとのこと。
それでは、ボランティア捜しをしてもらった上で、利用させてもらいたいと申し
出、図書館登録をする。
 
数か月後、その後の状況を聴くために図書館へ出かける。音訳講習会を終えられ
たボランティアで、この図書館で活動していただけそうな人がおられないかライ
トハウスへ問い合わせているとのこと。私としては、特にきれいに読んでもらい
たいとは思っていないし、地元の方で、こうした活動に関わってもらうことで視
覚障がい者のことを知ってもらう一助にもなると思うので、資料を読んでいただ
ける方がおられないか、館内に呼びかけ文を掲示してもらいたい、と申し出て帰
ってきた。

 あくる日、その館長から電話をいただいた「ボランティア募集の掲示はします
が、対面朗読室の利用は、図書館の資料の中のものであることをご理解ください」
と言われて、「え! 私としては、手元にある資料を読んでもらえるものと思っ
ていたので」と戸惑いの声を返してしまった。

 確かに、図書館の案内では、対面朗読室を設けて図書館資料の対面朗読を行っ
ています、とある。活字が読めない人にも図書館に有る本を利用してもらおうと
いうものである。図書館としては補完的なサービスとして必要なことだ。

 一方で、視覚障がい者にとっては、行動の自由とともに不自由を感じているの
は「文字情報」で、それは図書館に有る本や資料に留まらない。近年、インター
ネットによる視覚障害者情報総合ネットワーク「サピエ」があり、点字・録音図
書目録の検索をはじめ、点字データ、デイジーデータなどのダウンロードなども
できる。そのため図書館にある本の多くはタイムリーに提供されるようになって
きた。

むしろ、視覚障がい者にとっては、手元にある個人として必用な情報を読むこと
ができない不自由さというものを日常てきに感じている。
 各地の図書館の状況や、公共図書館としての役割について、ライトハウスの担
当職員に問い合わせてみた。
 「地域の図書館にある対面朗読室は、図書館の本を読むだけの空間に限定され
てしまうのでしょうか?視覚障がい者の「文字情報をサポートする」ための空間
にはならないのでしょうか?」

職員からの回答は素早い物だった。
「各図書館の対面読書のサービス内容には以下の通り書かれています。主に視覚
障害の方へのサービスです。視覚障害の方が知りたい(読みたい)活字の情報を、
音訳協力者の協力で得ることができるサービスです。
活字の情報とは、本や雑誌、新聞、パンフレット、家電などの取扱説明書等々、
活字による印刷物のことです。読む資料は図書館所蔵の図書または雑誌、および
それに準じる持込み資料です。
上記のことから図書館所蔵のみに限定していない図書館もあり、これは市によっ
て異なっているようです持ち込みもOKですが、要相談ということはあると思い
ます。」

 ライトハウスでは、「読み書きサービス」や、対面朗読にしても視覚障がい者
が持参した本を読んでもらうサービスがある。
 視覚障がい者の「文字情報」をサポートする、こうした活動が各地域の図書館
で行われれば、遠くからライトハウスまで出かけていかなくてもタイムリーに情
報を得ることができる。

声を出していきながら、動きを見守っていきたい。
posted by よろてん at 09:19| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月05日

1人の手


1人の手

 ユニーズ京都では、他府県から京都へ出て来られる視覚障がい者に「目の提供」をする活動を行っています。

 あるケースです。
その視覚障がい者は、京都へ出て来るにあたって、新幹線で京都に着いたさい、降り口から改札口までのサポートを
京都駅の職員にしてもらえるよう、乗車する駅職員に御願いしておいたとのこと。

ところが、当日、担当のアイヘルパーが待ち合せ場所の改札口で待っていたところ、当の視覚障がい者が一人で白杖を使いながら現れたそうです。事情を聞いてみると、職員が出迎えてくれなかったので、周囲の人に聞きながら改札口まで辿りついたとのこと。

その視覚障がい者が帰郷されてから、こちらから、その方に「今後のこともあるので、地元の駅には、きちんと京都駅へ連絡をしてくれたのか?連絡済みであったとしたら、京都駅に、実情を訴えたらどうだろうか。何より当事者の生の声を届けることが力になるのだから」と伝えました。

昨今の駅ホームからの転落事故は、当事者のみならず、鉄道関係者、周囲の一般市民にとっても、見逃してはおけない課題です。

その視覚障がい者からは、「そのようなことに労力を使ってまで問い合わせようとは思わない。視覚障がい者もさまざまでしょうが、これまでも、こうしたことに抗議や申したてはしていないし、今後もしようとは思っていない」との返答がありました。

障害の有る無しに関係なく、「抗議する」というようなアクションをすること自体に抵抗感のある人も多いのかもしれません。

しかし、一つひとつのケースを見過ごしてしまうのではなく、たとえそれが小さな声であっても、丁寧に積み上げていくことによって、新たな問題点がみえ、それに向けての改善策がこうじられていくことでしょう。

 本田路津子の歌に、一人の手というのがあります。
一人の小さな声 何も言えないけど
それでも みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える

市民活動の原点ではないでしょうか?
posted by よろてん at 14:03| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

どうしてメガネかけてるの?

どうしてメガネかけてるの?

 盲導犬を伴って 地下鉄のコンコースを歩いていると、傍を通り過ぎたのであろうお母さんと低学年の子供の話す声が後ろから聞こえてきた。

「あの人目が見えないのにどうしてメガネかけてるの?」。距離がだんだん離れていくのでお母さんの応える内容は聞こえなかったが、振り向いて「それはね」と声をかけたい衝動にかられた。素朴な疑問であろう。お母さんは、どのように答えたのだろう。

 川柳のラジオ番組で「メガネかけ、賢く見せても、あほはあほ」というような傑作があったが、多少はそうした思いもあるにせよ、主たる目的は、顔面強打に対する防御策なのである。メガネに加えて、私にとっては、庇がしっかりした野球帽のような帽子も外出時には必須である。

 盲導犬と一緒に歩いていると、足元の段差や障害物については、しっかり知らせてくれる。しかし、胸より上の空間にまでは犬のチェック機能はなかなか働かない。

圧迫感を感じるほどの障害物については、避けることもできるが、道路の外まで伸びてきている庭木の枝や看板、トラックのミラーなど、想定外の所にあるものについては無防備となる。そうすると顔面に衝撃を受ける。顔面というのは出欠しやすくキス後も目立つ。

そこで、その防御策として帽子やメガネが必要となる。

 近頃は、全盲だけでなく、多少見えている弱視の人でも盲導犬と歩く人がいる。その人たちは、まぶしさに弱かったり、残された視力をメガネによって少しでも引き出すための補助具として使っている場合もある。

 人の行動や装着しているものについて、「おかしいな?」と思うことはいろいろあるのではなかろうか?しかし、それらは「知らない」から疑問に感じるもので、理由が分れば、納得もし、違和感なく受け止められるものが多いのではなかろうか。
posted by よろてん at 23:38| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見えない者にエレベーターはすすめないでください

見えない者にエレベーターはすすめないでください

 地下鉄に乗車するさい、降りたときのことを考えて、決まったドアから乗り込むようにしている。そのドアから下車したら、数歩のところに昇りのエスカレーターの乗り口があるからだ。

 その日は、乗り込む駅のホームへいくと、既に電車が停止しており、手近なドアから乗り込んだ。盲導犬に「チェア」と声をかけて空席探しをさせるのだが、近くに適当な所がなかったのかどうか。その車両の奥の方まで歩いていってから、座席を鼻先で知らせた。

そして、近くのドアから下車した。何時もの感覚ではないので、犬も私もちょっととまどった。行きつ戻りつしかけると、「何処へ行かれるのですか?」と声がかかった。「改札口に出ようと思っているのですが」、「近くにエレベーターがありますよ」と言われて、何時もなら「階段かエスカレーターがあれば」と御願いするのであるが、このときは、その人も改札口へ行かれるものと思ってしまっていたこともあって、「御願いします」と返した。私と犬はエレベーターの奥の方に入り、その人は「どのボタンかな」と独り言をいっておられたように思ったが、ドアが閉まり、入り口の方におられるであろう人に「いつもは階段かエスカレーターを使うのですけどね」と話しかけた。が、何の返答もない。そこで初めて自分だけが箱の中にいることに気付いた。入り口の壁際にボタンがあるか確認すると「あけ」と点字表記がある。そこを圧すとドアが開いた。外へ出ると先ほどのホームと同じ場所だ。エレベーターに案内してくれた人は、結局ドアを閉めるボタンだけを圧して外へ出られたようだ。

 ボタンに点字表記があったので、何とか脱出することはできたが、そうしたものがなかったら混乱してしまったことだろう。

 こんなこともあった。旅行先で7・8階建てのホテル内で、家人と一緒に食事を取るためにエスカレーターに乗り込んだが、何時の間にか私と犬だけが箱の中に取り残されてしまった。家人は後ろからついてくるものと思って目的の階で降りたという。音声の案内も点字の案内もない中で、とにかくドアが開いたところで降りるしかない。外へ出て、誰かいないか気配を確認し、近づいた人に「ここは何階ですか?」と聞くしかない。携帯を所持していたから連絡を取り合えたものの不自由このうえない。

 自らの足で確認しながら移動できる階段・エスカレーターに勝るものはない。

大西明絵
aki-o@kyoto.zaq.ne.jp
posted by よろてん at 23:20| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

ある依頼者のケース


  ある依頼者のケース
 他府県から入洛される視覚障がい者を「目の提供」でサポートするユニーズ京都のおこしやすの活動。依頼者の中には、車いすユーザーの視覚障がいのある方もおられる。
 その方からの依頼が数週間前にあり、再び、依頼の申し出があった。
 前回は、駅から宿舎への移動。ホテルから受診先の病院までタクシーで移動というものであって、今回も同じような申し込みであった。
 依頼者は、申し込みのさいに、新幹線の改札口で待ち合せなど具体的な場所を窓口担当に申し出る。窓口担当は、担当のアイヘルパーが決まった段階で、その場所を伝え、実際に待ち合せ場所へ出かける数日前に、依頼者と担当アイヘルパーは直接電話などで待ち合せ場所の確認をする。
 ところが、当日、窓口担当から私のところへ「依頼者さんから、待ち合せ場所にアイヘルパーが来ていないとの怒った電話が入りました」との連絡。聞いてみれば、JRの改札口ではなく、市営地下鉄のK駅で待っているとのこと。そんな変更は事前に窓口としては聞いていないとのこと。担当アイヘルパーに電話をしても通じないので、窓口担当は雨模様の中、自転車でK駅へ向かった。だが、既にそこには依頼者はおらず、ただただ連絡を待つしかない状態におちいる。待ち合せ時刻から3時間が経過し、不安が広がりを増すころ、「連絡が取れました」との窓口からの電話が入る。まずはほっとする。
 聞いてみれば、担当アイヘルが、その日にかぎって携帯を所持せず出かけてしまった。どうして連絡をしてくれなかったのかと、思っていたが、その後のアイヘルパーからの報告書をみてみると、それどころではなかったのではないかと推察される。
 発端は、待ち合せ場所の問題。一方的に依頼者はK駅で待ち合わせの約束をしたというが、担当アイヘルパーは全く聞いておらず、JRの改札口で待ったけれど、出て来られないので、もしかと地下鉄の改札に聞くと、車いすユーザーの方がK駅に向かったという。後追いするように情報を得ながら、やっとのことで依頼者と遭うことができた。待合場所の件について、「変わったようなことは聞いていない」と持ち出しても押し問答になるだけなので、「すみませんでした」と誤ったという。
 それから、買い物に付き合い、その日の宿舎になっているホテルへ向かう。このホテルは従業員も少なく、従来はフロントでバトンタッチすることになっているが、手を貸す人も見当たらなかったことから部屋までサポートすることになる。依頼者は、「ビールとつまみも買って」と言い、それに応じたという。
 会の活動に対して依頼者からは協力金というのをもらっているが、この日、アイヘルパーは誤ったこともあり、協力金については申し出ず、依頼者からも、そのことには触れなかったという。

 この話は、この日だけに留まらない。
 翌日、受診のためにタクシーで病院へ向かう。この依頼者の場合、少し見えており、どちらかというと車いす移動にさいして手伝ってもらうことが主であったようだ。
 その依頼者から隣接の都市のボランティアグループを紹介して欲しいという申し出があると窓口から連絡があったので、JBOS(全国視覚障がい者外出支援連絡会)加入の2団体の連絡先を紹介した。
その情報を受け取って直ぐに電話をしたようだが、グループによっては曜日や時間の枠組みを決めて受け付けている。留守役をしている人は、その旨を伝えたが、一方的に怒って電話を切ったという(後日に知った)。
そこで、横にいるアイヘルパーに「FAXを送ってくれ」と頼んだが、これは枠外だと断ると、今度は隣接の都市まで同行してくれ、と言ったという。もとより各地域で関わっていると説明したと思うが。

 こうした人を紹介してしまったことに、後から報告書をみて後悔する。
そもそもボランティアというのをどのように考えているのか?
協力金も、二日目には給金を払うような感じで手渡したという。
初回のときは男性アイヘルパーが関わったこともあって、それほど目立った問題はなかったようだが、女性アイヘルパーとなると何かと頼みやすくなるのだろうか。
こうしたケースを通して、「目の提供」というのはどこまでを意味するのか?
無償ボランティアを「使う」という感覚を持っている依頼者は、あんがいに多いのではないか。

会としての一定のルールと、その時々に対処しなければならないアイヘルパー個々の立ち居について、どの辺りまでを各人の裁量とみなすのか?
継続課題である。
posted by よろてん at 17:08| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

生徒からの感想

生徒からの感想

 年末に、視覚障がい者のこと、盲導犬のことを中心にお話をするために某小学校へ出かけてきましたが、生徒たちの感想が送られてきました。

・僕は目が不自由だったらつらいことばかりだと思っていたけれど,目の不自由な人のために色々な工夫があり,つらいことばかりではないことを知りました。
・目が不自由な人でも卓球や野球などいろいろなスポーツができるということがとても意外でした。
・目が見えないのに自分で盲導犬のお世話をしているのですごいと思いました。
・目の不自由な人は白杖を使って2歩前の場所をかくにんできることを知りました。
・音の出る信号が,目の不自由な人のために,方角や,青や赤になったことを知らせていることが優しくて心に残りました。
・友達がアイマスクをして一緒に歩いた時,本当に何もわかってなかったので目の不自由な人が道を覚えて歩くことが大変だとわかりました。
・アイマスクをして歩いているときに,いすに当たったりしてすごくこわかったので目の不自由な人もそんな気持ちなのかなと思いました。
・目の不自由な中,ふつうに生活しているところがすごいと思いました。
・盲導犬は階段とか細い道でも通れるところを探して目の不自由な人を案内したり,階段だとわかると先に一段上って合図したりするのがすごいと思いました。
・いつも何もないところに車がとめてあったり自転車がとめてあったり,置いてあったものが突然違う場所にあったりするととても困ることがわかりました。
・もし目の不自由な人に出会ったら電車の駅で券売機の場所が分からず困っていたら案内します。
・電車のホームではホームから落ちないように声をかけたいです。
・スーパーでは欲しい商品を聞いてその商品を手渡します。
・バス停では乗りたいバスを聞き,来たら「来ましたよ」と伝えます。
・信号機の前では信号の色が変わったら知らせます。信号では「今はわたれますよ。」と伝えます。
音が鳴らない信号で,もし,赤なのにわたろうとしていたら「まだ赤ですよ」と声をかけます。
・スーパーで「買いたいものは何ですか」と声をかけて,一緒に商品を探したいです。
・自転車に乗っている人や,歩きスマホをしている人に「気をつけてください」と呼びかけます。
・つえに自転車がぶつかって,つえが折れてしまうことがあるそうなのでつえに当たらないよう気をつけます。
・階段では「そこに階段がありますよ」と声をかけます。
・エレベーターに乗るときは「エレベーターがきましたよ」と声をかけます。
エレベーターでは「何回に行きますか」と聞きます。
エレベーターで何回に行きたいのかが分かったらボタンをおします。
・点字ブロックに物が置いてあるときは前に早く行って物をどかします。
・どこに何があるかわからないときは,ある場所を教えたいです。
・電車の中では,空いている席を教えます。
・列の最後が分からなかったら,列の最後や列の位置などを教えます。

posted by よろてん at 21:37| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月07日

生徒からの質問 その3

生徒からの質問 その3



 子供の関心事は何と言っても盲導犬である。



質問・盲導犬に餌をあげるのは誰ですか。

・盲導犬のお風呂,トイレ,ごはんなど,世話の仕方を教えてください。



犬に関するケアは使用する視覚障がい者がおこなう。

シャンプーなどは、毛を乾かせるのに相当労力がいり、年齢とともに足腰が痛くなってきたので月1回程度シャンプー屋さんに御願いしている。

原則として食事や排せつは時間を決め、フードの量も決まっている。





質問・どうやって盲導犬に道を教えてもらっているのですか。

・初めて行く場所は,盲導犬も道を知らないと思いますが,どうやって辿り

着くのですか?

・盲導犬がいたら行きたい場所に必ず行けますか。



といったふうに、まだまだスーパードッグと想われている向きがある。

行き先は、視覚障がい者が頭の中でイメージしておいて、そのつどタイムリーに支持をだす。この指示があいまいだと盲導犬もとまどってしまって、ときにパニックをおこしかねない。

何度か使っているようなルートでは、「バス停」「ポスト」「ドア」などと指示すると、そこへ導いてくれる。

 私が助かっているのは外出先でのトイレである。駅やショッピング街だとかなり奥深い所までいかないと小便器に辿りつかない。そんなとき「トイレ・トイレ」と小声で言いながら歩んでいくと、ほぼその近くまで案内する。そこらへんになると「ここですよ」と便器の前に立たせてくれる人もある。用を終えて出口へ向かうのが何の問題もなくできることは大助かりだ。





質問・盲導犬と介助犬の違いは何ですか。



盲導犬の他に、電話やインターフォーンがなったときなど、聴覚障碍者に知らせる聴導犬。冷蔵庫を開けたり、新聞を持ってきたりなど、手足の不自由な人を介助する犬。こうした犬を補助犬といっている。





質問・盲導犬は病気にかからないのですか。



他の犬と同様、皮膚や内臓、その他の原因で病気になることがある。

獣医にかかることが多い使用者は経費負担も大きくなる。

こうした内容についてまでは子供たちには話していない。

10歳くらいになうと股関節が弱って来て階段の昇降やバスのステップが乗り降りしづらくなってきて、リタイアする。その後は、リタイアボランティアさんに預ってもらって余生を過ごす。





まだまだ、質問はあって、後日、今回のお話の感想文をよせてもらうことになっているが、その中にも追加の質問が多く出て来ることだろう。
posted by よろてん at 20:23| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月01日

生徒からの質問 その2

生徒からの質問 その2



視覚障がい者全般についての問いかけもある。

※ 目が見えなくてもできることはありますか?

この問いかけに対する回答はなかなか難しい!

眼以外の感覚や手足は使えるので生活上で特に困ることはない、と言ってしまっても分かってもらえないだろう。

食事や洗面、慣れている所なら自由に行動することもできる。

それなりのバックアップがあれば、見えている人と一緒に学校で勉強したり、仕事をしていくこともできる。



※ バスの時刻表などはどうして分かるのですか?

近くにいる人に教えてもらうのが手っ取り早いが、点字の時刻表を作ったり、パソコンやスマホを上手に使う人は音声ガイドを使って検索す

る。



※ 見えなくてもスポーツをしますか?

野球・卓球・バレーなどの音を便りにできる競技が幾つもあり、山登りや水泳を楽しむ人も多くいる。



※ 自分でどうしてもできないことがあったらどうしますか?

家族に頼んだり、知り合いやご近所の方に目を貸してもらうようにする。特に読み書きや知らない所へ出かけるような時にはボランティアやヘ

ルパーに御願いすることがある。



※ 目が不自由な人のために私たちができることはどんなことですか?

この日のまとめにもなるような問いかけだ。

町中で視覚障がい者に出会ったとき、何か困っておられるような様子だったら、「何かお手伝いすることがありますか?」と尋ねてみて、「大丈

夫」ということであれば、少し見守るようにする。

横断歩道では、信号の色が変わった時「青になりました」などの声かけやバスを待っておられる人には「何号系統が来ましたよ」と伝え、乗り

物の中では空席などがあれば、座られるかどうかを聞いてみて、座られるということであれば、そこまで案内する。駅ホームなどで列に並ぼうと

しておられるようなら最後尾が何処であるかを伝え誘導する。



さて、限られた時間の中で、どこまで子供たちに分かるように伝えられるか?

posted by よろてん at 16:29| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

生徒からの質問

生徒からの質問 その1 「暇ではないですか?」



 12月初旬に、某小学校の4年生に視覚障がい者のことや盲導犬のことについて話をするために出かける。一昨年にも出かけたことがあるが、そのときに担当されていた先生が今年また4年生担当となって実現したものだ。



事前に、先生との間でいろいろ相談させてもらっている。私への申し出があったさいに「盲導犬のことについて」という題名であったので、私の方から「見えない・見えにくい人に対する学習」というテーマに変えてもらった。



 まず、生徒たちから「私に尋ねてみたいこと」をまとめてもらい、それを送ってもらった。その問いの一つひとつは子供たちの率直な疑問であるとともに、おそらく多くの大人たちも同じように感じられているのではなかろうか?

その内容は、私個人への質問、視覚障がい者のこと、盲導犬について、いろんな問いかけがある。



 私個人への質問の中から幾つかを紹介する。

※ 一人で歩いたことはありますか?



ここでの回答としては、白杖や盲導犬を使えば屋外での一人歩きができること。慣れた場所なら、自由に移動できることも伝えられるだろう。



※ 目が見えないと、視界は黒ですか?



説明として、私の場合は左右とも全盲なのだが、右目は、白も黒も全くその感覚がない。いわば0の状態である。左目は、ベージュのような瞼を閉じたような感覚が存在している。少なくとも、黒の状態ではない。これは、先天盲と途中失明者によっても違うかもしれない。少なくとも光を感じる人は真っ暗ではない。

「見えない」といっても一人ひとりみんな違った状態であることを説明したい。



※ 眼が見えないと暇ではないですか?



これは率直な問いで、思わず苦笑してしまったが、見えなかったら何もできず、何もすることがないので、「ひまではないか」と考えたのであろう。

たしかに、視覚障がい者は情報を目から得ることができないという不自由さは伝えていかねばならないけれど、毎日をパワフルに過ごしている人が多いことも紹介していきたい。私の日常についても少し触れてみたい。
posted by よろてん at 11:43| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする