地球は温暖化が進んで来ているようだが、よる年なみか、毎年冬が来る度に冷え込みが体にこたえるように感じる。
ユニスとの散歩にもこっぽりフードをかぶって日差しが最もあるときを選んで出かけるようにしている。
ここ数日冷え込みが厳しいこともあって、夜中ユニスだけが寝ているリビングに温度は低めではあるが床暖をつけてやっている。
このご時世寒空の下で路上生活を余儀なくされている人も少なくないと聞く中で複雑な思いもある。
この部屋に水を入れた食器を置いておくと引っかかってこぼしてしまうという心配もあることから隣の部屋に置いておいて間仕切りをユニスが通れるほど空けておくようにしている。
ある朝、別の入り口から隣室へ入るといつもなら尻尾を振って食事の催促をするユニスが目の前にいない。あれっ!と思ってみると隣の部屋からこちらへ来られないようだ。見てみると間仕切りの開け方が狭くて出て来られなかったようだ。家人が少しでも熱が逃げないように細めにしておいたのかもしれないが。
犬によっても違うものだな、と感じさせられた。先代のハピネスであれば、こういう場合は鼻か手でしっかり間仕切りを動かして目的を達成する。しかし、ユニスは通れないものは通れないものとして認識する。これ、盲導犬としてはまことにセオリどおりの行動である。ただ、ハーネスを付けている時と付けない時の見分けがつけばなお「グッド!」ではあるが。
ハーネスを付けた盲導犬としての歩行にも2頭の違いはある。ハピネスは多少の融通がきくというか、ちょっときついかな、と思う幅狭の箇所でもハーネスを引っ張る場合がある。集団で歩いている時は、とにかく前へ出たい。人の間を「ちょっと失礼!」とばかりかき分けるように出ていく。というよりもユーザーである私がそれを許してしまっていたところがある。
ユニスの場合はきわめて慎重である。これは犬の性格もあろうが10年が過ぎて私の足腰が弱ってきたこと、判断力が変わってきたことから傍に寄り添う犬が直感的に感じ取って判断してくれていることもあろうし、ユーザー自身のコントロールの仕方も自然に変わって来ているのだろう。
以前にも書いたかもしれないが、ハピネスは、自分の敷いているシートを日のよく当たる窓際に引っ張っていってきれいに広げ、その上にゆったりと寝そべっていた。だが、夜中は室内ではあるが暖房は無い中で段ボールの箱の中でまん丸くなって休んでいたものだ。
それより前・20年前のエドになると、犬舎を屋外においてどんなに冷える日でもその中で寝ていた。犬舎の入り口には段ボールで目張りをしたが、床下からの冷え込みは何枚か毛布を重ねて置いたとはいえ、さぞかし寒かったろうと思う。
それでも、犬たちはそれぞれに元気に冬を超してしっかり盲導犬の仕事を果たしてくれた。
2009年12月24日
2009年12月23日
盲福研の歩み その15
「ファミリー学習会 「見えるって・見えないってどんなこと!」」
視覚障がい者の現状を多くの市民の人たちに知って欲しい。とりわけ何の偏見も持たない子供たちに伝えていきたい。
そうした思いが常々あり、活動の中にも積極的に取り入れていきたいと考えていた。
当事者団体や施設が中心になってライトハウス館内で「視覚障害に関する生活展」なるものを毎年実施していたが、どうしても関心の有る人、知り合いなどが中心となりがちである。
「点字メニュー」設置の話をKスーパーの窓口担当者としている時に、「このスーパーのプレイルームをお借りして障害の有る人の事を知ってもらえるイベントができたら良いと思うが協力してもらえないか?」と持ち出した。
メニュー設置にも割と協力的だったS氏は、その話を受け止めてくれ、10月の末にそれは実現した。
その日は、点字体験コーナー、手話の実際、車椅子使用者による体験談、盲導犬ユーザーのデモストレーション、福祉機器を扱う業者から関連物品の展示など。これまでに活動を通して知り合った人たちが気持ちよく協力してくださった。
日曜日の買い物で賑わう日常のスーパーの一角で行った半日の企画であったが、全く点字や車椅子を見たことのない子供たちが興味深かそうに点筆を握って名前を打ち込んだり、盲導犬のことを熱心に訊ねたり。
親子連れの人たちを含めて数百人の買い物客が立ち寄られた。
この企画は、立ち寄られた人たちにお願いして書いてもらった感想文の中からも一定の成果があったことが感じ取られ、次年度も実施することにした。
翌年、協力をお願いしたお店では、「見えるって・見えないってどんなこと!」のコーナーを訪れた人たちにお店からちょっとしたお土産まで出してもらった。
3年目は、生協のお店の2階を借りて行ったが、これは場所の問題もあったのか覗く人も少なくて我々の初めのころの新鮮なアプローチ意欲もちょっと失せていて、この企画は3年で休止状態となった。
「関心の有る人来てください」と引き入れるのでなく、全くそうしたことに関心も接触も無かった人たちに「知ってもらう」きっかけ作りとしてアプローチして行けたのは良かったと思う。
視覚障がい者の現状を多くの市民の人たちに知って欲しい。とりわけ何の偏見も持たない子供たちに伝えていきたい。
そうした思いが常々あり、活動の中にも積極的に取り入れていきたいと考えていた。
当事者団体や施設が中心になってライトハウス館内で「視覚障害に関する生活展」なるものを毎年実施していたが、どうしても関心の有る人、知り合いなどが中心となりがちである。
「点字メニュー」設置の話をKスーパーの窓口担当者としている時に、「このスーパーのプレイルームをお借りして障害の有る人の事を知ってもらえるイベントができたら良いと思うが協力してもらえないか?」と持ち出した。
メニュー設置にも割と協力的だったS氏は、その話を受け止めてくれ、10月の末にそれは実現した。
その日は、点字体験コーナー、手話の実際、車椅子使用者による体験談、盲導犬ユーザーのデモストレーション、福祉機器を扱う業者から関連物品の展示など。これまでに活動を通して知り合った人たちが気持ちよく協力してくださった。
日曜日の買い物で賑わう日常のスーパーの一角で行った半日の企画であったが、全く点字や車椅子を見たことのない子供たちが興味深かそうに点筆を握って名前を打ち込んだり、盲導犬のことを熱心に訊ねたり。
親子連れの人たちを含めて数百人の買い物客が立ち寄られた。
この企画は、立ち寄られた人たちにお願いして書いてもらった感想文の中からも一定の成果があったことが感じ取られ、次年度も実施することにした。
翌年、協力をお願いしたお店では、「見えるって・見えないってどんなこと!」のコーナーを訪れた人たちにお店からちょっとしたお土産まで出してもらった。
3年目は、生協のお店の2階を借りて行ったが、これは場所の問題もあったのか覗く人も少なくて我々の初めのころの新鮮なアプローチ意欲もちょっと失せていて、この企画は3年で休止状態となった。
「関心の有る人来てください」と引き入れるのでなく、全くそうしたことに関心も接触も無かった人たちに「知ってもらう」きっかけ作りとしてアプローチして行けたのは良かったと思う。
2009年12月21日
盲福研の歩み その14「点字メニューとマスコミ取材」
「点字メニュー」の活動に取り組みかけて数ヶ月後、「全てのお店に点字メニューを」と題して地元新聞に投稿し、それが投書欄に取り上げられたのみでなく、「点字メニューについて」ということで取材があった。
それが写真入り記事となって掲載された。すると、他紙からも取材の申し出が次々と現れた。とにかくマスコミというのは初物に食いついてくる、
我々活動をしているものにとっては、継続している中でみえて来る諸課題について掘り下げて報道し問いかけて欲しいと願っているが、現実には30年近くやっているメニュー設置運動などには関心がないようである。
それでも当時、新聞やラジオ・テレビにまで取り上げられて、「点字メニュー」も一定のピーアール効果を得た。
マスコミを通して視覚障がい以外の障がいに関わっているボランティアグループとの交流が始まったり、点字メニューを設置してくれたお店が主催する音楽会に幾人かの視覚障がい者を招待してもらったり。
幾つかの福祉事業団から活動の助成金ももらえることになって、80店ほどの点字メニュー設置店を紹介した「点字メニューガイドブック第1号」を発行して地元の視覚障がい者に配布することもできた。
そのころ、始まったばかりの視覚障がい者マラソン大会に、私が超音波めがねを使って参加した。
やれやれの思いで何とかゴールインすると、先日「点字メニュー」のことで取材にきたH記者が近づいて来て「超音波めがねで走られてどうでしたか?」と聴く。顔見知りの気楽さもあって「めがねはちょっと重いので落ちないかの心配と電波の飛ぶ距離が限られているので前を走る人の背中を確認するのがなかなか難しい」というようなことを軽口で返答していた。
ところが明くる日の朝刊に割と大きな記事として「長音波めがね・今一つ!」と題名をつけて載っているというのを聞いてびっくり! これにはまいった! というのも、この長音波めがね、某ライオンズクラブが高額を投じてライトハウスに寄付してくださったもの。それを実験的に使う第1号として私が預かっているものである。
「口は災いのもと」、忘れられぬ苦い思い出である。
それが写真入り記事となって掲載された。すると、他紙からも取材の申し出が次々と現れた。とにかくマスコミというのは初物に食いついてくる、
我々活動をしているものにとっては、継続している中でみえて来る諸課題について掘り下げて報道し問いかけて欲しいと願っているが、現実には30年近くやっているメニュー設置運動などには関心がないようである。
それでも当時、新聞やラジオ・テレビにまで取り上げられて、「点字メニュー」も一定のピーアール効果を得た。
マスコミを通して視覚障がい以外の障がいに関わっているボランティアグループとの交流が始まったり、点字メニューを設置してくれたお店が主催する音楽会に幾人かの視覚障がい者を招待してもらったり。
幾つかの福祉事業団から活動の助成金ももらえることになって、80店ほどの点字メニュー設置店を紹介した「点字メニューガイドブック第1号」を発行して地元の視覚障がい者に配布することもできた。
そのころ、始まったばかりの視覚障がい者マラソン大会に、私が超音波めがねを使って参加した。
やれやれの思いで何とかゴールインすると、先日「点字メニュー」のことで取材にきたH記者が近づいて来て「超音波めがねで走られてどうでしたか?」と聴く。顔見知りの気楽さもあって「めがねはちょっと重いので落ちないかの心配と電波の飛ぶ距離が限られているので前を走る人の背中を確認するのがなかなか難しい」というようなことを軽口で返答していた。
ところが明くる日の朝刊に割と大きな記事として「長音波めがね・今一つ!」と題名をつけて載っているというのを聞いてびっくり! これにはまいった! というのも、この長音波めがね、某ライオンズクラブが高額を投じてライトハウスに寄付してくださったもの。それを実験的に使う第1号として私が預かっているものである。
「口は災いのもと」、忘れられぬ苦い思い出である。
2009年12月17日
盲福研の歩み その13 「点字メニューの取り組み」
1980年、滋賀県で身障国体が開催された。
その報道の中で、「目の不自由な選手のために点字メニューを準備しているお店がある」と聴いて、「これだ!」と直感した。
というのも、会員の中で、一定レベルに達した点訳者は多くなってきたけれど、その技術を視覚障がい者に結びつける適当な活動がないものかと考えているところだった。
「点字メニュー」設置の取り組みには、「点字の市民権確保」の他に、日常場面である飲食店で、日頃は点字など見たこともない市民の人たちに、実際に、視覚障がい者が点字を読んでいる所を見てもらえる。これは、地域に根ざした活動がしたいという盲福研の思いと一致する。
そして、障がい者には奪われがちな「選択の自由」という点からも、「自ら選んで楽しめる」など。我々が取り組むにはもってこいの活動だ。
早速例会の場で提案した。
一応趣旨は分かるが、さてどのように取り組んでいくか?早速具体的な活動への話し合いが始まった。これは今までの学習と物作りが中心であった例会の雰囲気を変えるきっかけ作りともなった。
当面の課題として、一つは、製作上の問題。お店に置いて有るメニューの上に点字を貼っていくのか?
飲食店で使うとなると、多少汚れても水に触れても対応できる素材でなければならないのではないか?
「点字メニュー」であってもお店の人にも分かるように墨字をルビしておく必要があるのではないか、など。
「点字メニュー」を置いてもらう店は取りあえず視覚障がい者の利用度が多かろうと思われる盲学校やライトハウス近くのお店から始めよう。
そして、一番問題になったのは、この「点字メニュー」の代金をどうするか?本来「メニュー」というのはお店がお客に提供するものであり、お店が作っているもの。視覚障がい者も、同じお客として扱うのであれば「点字メニュー」の経費もお店が出しても良いのではないか。
しかし、まずは手始めに会の持ち出しで幾つかのお店に置くことから初めて、いろんな角度から検証していこうではないか、ということになり、幾つかのお店からメニューを預かってきて点訳作業に入る。
ここで次の課題が出てくる。
メニューの点訳も従来どおりの点訳ルールに準じてやっていって良いものかどうか?
お店に入ってメニューを手渡されても、限られた時間の中でオーダーしなければならない。
そのためには、より速く目的の物を見いだせるようなレイアウトをしておく必要がある。
当時は、パソコンはおろかワープロもない。
点字は、もとより手打ちである。透明のタックシールに携帯用の点字器で打ち込んでいくのだが、常に使っている点字板からすると升目も小さく通常の紙の点字用紙からみると堅い!それより何より打ち間違えたら大変!ごしごし消して書き換えてもなかなかきれいにいかないので数箇所も間違おうものなら新たなシールを使わねばならない。このシール、けっこう良い値がすることもあって、神経を使いながらの作業となった。
墨字のルビは手書きで始まる。点字と点字の行間に書き入れていくことになるので、これもけっこう技術的な作業となる。その後、某新聞社の事業団から和文タイプの助成があって、これを使っていたこともある。
汚れや水に絶えられる物として、紙打ちした点字メニューの上に、点字用紙サイズのビニールシートを被せて熱処理し点字を浮き上がらせコピーしたものを長く使っていた。
しかし、この製作にはかなりの経費が必要で、この点からも「点字メニュー」の有料化を検討することになる。
その報道の中で、「目の不自由な選手のために点字メニューを準備しているお店がある」と聴いて、「これだ!」と直感した。
というのも、会員の中で、一定レベルに達した点訳者は多くなってきたけれど、その技術を視覚障がい者に結びつける適当な活動がないものかと考えているところだった。
「点字メニュー」設置の取り組みには、「点字の市民権確保」の他に、日常場面である飲食店で、日頃は点字など見たこともない市民の人たちに、実際に、視覚障がい者が点字を読んでいる所を見てもらえる。これは、地域に根ざした活動がしたいという盲福研の思いと一致する。
そして、障がい者には奪われがちな「選択の自由」という点からも、「自ら選んで楽しめる」など。我々が取り組むにはもってこいの活動だ。
早速例会の場で提案した。
一応趣旨は分かるが、さてどのように取り組んでいくか?早速具体的な活動への話し合いが始まった。これは今までの学習と物作りが中心であった例会の雰囲気を変えるきっかけ作りともなった。
当面の課題として、一つは、製作上の問題。お店に置いて有るメニューの上に点字を貼っていくのか?
飲食店で使うとなると、多少汚れても水に触れても対応できる素材でなければならないのではないか?
「点字メニュー」であってもお店の人にも分かるように墨字をルビしておく必要があるのではないか、など。
「点字メニュー」を置いてもらう店は取りあえず視覚障がい者の利用度が多かろうと思われる盲学校やライトハウス近くのお店から始めよう。
そして、一番問題になったのは、この「点字メニュー」の代金をどうするか?本来「メニュー」というのはお店がお客に提供するものであり、お店が作っているもの。視覚障がい者も、同じお客として扱うのであれば「点字メニュー」の経費もお店が出しても良いのではないか。
しかし、まずは手始めに会の持ち出しで幾つかのお店に置くことから初めて、いろんな角度から検証していこうではないか、ということになり、幾つかのお店からメニューを預かってきて点訳作業に入る。
ここで次の課題が出てくる。
メニューの点訳も従来どおりの点訳ルールに準じてやっていって良いものかどうか?
お店に入ってメニューを手渡されても、限られた時間の中でオーダーしなければならない。
そのためには、より速く目的の物を見いだせるようなレイアウトをしておく必要がある。
当時は、パソコンはおろかワープロもない。
点字は、もとより手打ちである。透明のタックシールに携帯用の点字器で打ち込んでいくのだが、常に使っている点字板からすると升目も小さく通常の紙の点字用紙からみると堅い!それより何より打ち間違えたら大変!ごしごし消して書き換えてもなかなかきれいにいかないので数箇所も間違おうものなら新たなシールを使わねばならない。このシール、けっこう良い値がすることもあって、神経を使いながらの作業となった。
墨字のルビは手書きで始まる。点字と点字の行間に書き入れていくことになるので、これもけっこう技術的な作業となる。その後、某新聞社の事業団から和文タイプの助成があって、これを使っていたこともある。
汚れや水に絶えられる物として、紙打ちした点字メニューの上に、点字用紙サイズのビニールシートを被せて熱処理し点字を浮き上がらせコピーしたものを長く使っていた。
しかし、この製作にはかなりの経費が必要で、この点からも「点字メニュー」の有料化を検討することになる。
2009年12月14日
盲福研の歩みその12 「市民活動として」
伏見での日曜教室を終えての帰り道、仲間内で夕食を一緒に取りながらいろいろ話し合ったものである。
ある時、私から熱くみんなに語りかけた。
盲福研にとってのボランティアというのは!という前提で。
真っ暗な道がある。灯りを持たぬ人がその道をおそるおそる歩いて行く。そこへ灯りを持った人が寄り添って来て「一緒に行きましょう!」と足元を照らしてくれる。「ありがとうございます」「どうしまして!」という会話をしながら無事行き着ける。
この場合、灯りを持たぬ人は次にこの道を歩く時も不安である。常に灯りを持った人が現れる訳ではない。
障碍の有る者と、それをサポートする奉仕者との間には、この灯りを持たぬ人と持つ人と同様に、「与え手」と「受け手」という関係が存在する。
常に障碍の有る者が必要としているときにサポートが有る訳ではない。
真っ暗な道を歩くのに、もっと明るくしておけば誰もが不自由を感ぜずに歩ける。
ならば、この道に該当をつけてもらえるよう働きかけようではないか。それは、灯りを持っていない人も持っている人も同じレベルで働きかけていけること。まさに、盲福研の目指す「ボランティア」というのは「これ!」と言い切ったものである。
そうして、この論調?は、以後、私の前に現れたボランティア志願者に何十・何百回と言い続けてきたのである。
しかし、こうした社会的活動としての働きかけをすることには抵抗を感じるという人は少なくない。
むしろ、自分のできることとして、困っている人があれば足元を照らす「優しさ」だけは忘れたくない、という人が圧倒的に多いように感じる。
その頃の私の思いは灯りを持たぬ者(障碍の有る者)の不自由さというものを共有することこそが活動として大切なことであって、当然「街灯をつけよう!」という発想に繋がっていって良いのではないか。そうした意識を持ったボランティアを増やして行きたいという思いが前面に現れていた。
だが、自分の身に引き寄せてみて、車椅子使用者のこと、視覚・聴覚重複障害者のことなどを、どれほど知り・課題を共有して働きかけようとしてきたかを問い直すと忸怩たるものがある。
そうしたジレンマを時間とともに引き吊りながらも、やはり当事者のみの問題ではなく「市民的課題」として身近な問題一つひとつを処理していきたいという考えは変わっていない。
たとえ、「甘く・弱い」運動スタイルかもしれないが「社会の中の1個人」として認められる存在にするためにはこのプロセスが必要と考えている。
ある時、私から熱くみんなに語りかけた。
盲福研にとってのボランティアというのは!という前提で。
真っ暗な道がある。灯りを持たぬ人がその道をおそるおそる歩いて行く。そこへ灯りを持った人が寄り添って来て「一緒に行きましょう!」と足元を照らしてくれる。「ありがとうございます」「どうしまして!」という会話をしながら無事行き着ける。
この場合、灯りを持たぬ人は次にこの道を歩く時も不安である。常に灯りを持った人が現れる訳ではない。
障碍の有る者と、それをサポートする奉仕者との間には、この灯りを持たぬ人と持つ人と同様に、「与え手」と「受け手」という関係が存在する。
常に障碍の有る者が必要としているときにサポートが有る訳ではない。
真っ暗な道を歩くのに、もっと明るくしておけば誰もが不自由を感ぜずに歩ける。
ならば、この道に該当をつけてもらえるよう働きかけようではないか。それは、灯りを持っていない人も持っている人も同じレベルで働きかけていけること。まさに、盲福研の目指す「ボランティア」というのは「これ!」と言い切ったものである。
そうして、この論調?は、以後、私の前に現れたボランティア志願者に何十・何百回と言い続けてきたのである。
しかし、こうした社会的活動としての働きかけをすることには抵抗を感じるという人は少なくない。
むしろ、自分のできることとして、困っている人があれば足元を照らす「優しさ」だけは忘れたくない、という人が圧倒的に多いように感じる。
その頃の私の思いは灯りを持たぬ者(障碍の有る者)の不自由さというものを共有することこそが活動として大切なことであって、当然「街灯をつけよう!」という発想に繋がっていって良いのではないか。そうした意識を持ったボランティアを増やして行きたいという思いが前面に現れていた。
だが、自分の身に引き寄せてみて、車椅子使用者のこと、視覚・聴覚重複障害者のことなどを、どれほど知り・課題を共有して働きかけようとしてきたかを問い直すと忸怩たるものがある。
そうしたジレンマを時間とともに引き吊りながらも、やはり当事者のみの問題ではなく「市民的課題」として身近な問題一つひとつを処理していきたいという考えは変わっていない。
たとえ、「甘く・弱い」運動スタイルかもしれないが「社会の中の1個人」として認められる存在にするためにはこのプロセスが必要と考えている。
2009年12月04日
盲福研の歩み 11 「現職復帰」
Oさんが顔を出したのは 伏見の例会開講まもなくであった。
彼は私立の高校の教師をしているが、最近視力が極端に落ちて来て、歩くのも白杖を使わないと難しい状態にあるという。
とにかく点字を覚えて仕事を続けていきたいとのこと。
きちんとしたリハビリは専門の施設で行うとして、休みの日に住まいの近くでこうした点字教室をやっていると聞いて出向いて来たという。
点字のルールを覚えることは容易であっても、中年になってから指先で触読するというのはなかなか大変なこと。それでも「点字」を自らの文字にしなければならないという集中力が1文字ずつを確実に読みとるようになってきた。
例会のゲストコーナーでは、実際に板書にどのように生徒に伝えていくかのデモもやってもらった。文字を書くのに斜めにならないように枠組みの有るものを板書に当てて書いていったり、予め模造紙に問題などを書いておいて、それを張り付けるなど、いろいろな工夫をしていることが感じられた。
しかし、時の流れの中で、学校が進学校になり、管理者の理解を得られぬままに、「障碍の有る教師」という特性を教壇で発揮する場を奪われてしまうことになる。
どんなにか無念で悔しい思いをし続けたことだろう。
家庭を守るということもあって学校へは黙々と通勤を続けた。ある時から盲導犬ユーザーとなり片道2時間近くかかるルートを歩き続けた。
しかし、学校は校内へ盲導犬を入れることを拒んだ。校外に犬舎をおいてパートナーはその犬舎の中で、ひたすら主人が「帰ろう!」と声をかけてくれるのを待った。
これより10数年前、小学校の先生だったIさんのことでも関わったことがある。
職場を追われそうになっておられたIさんを支援する会ができて地元の学校へ模擬授業をされるのに加わったことがある。それなりに工夫された授業であったが、模擬の生徒になっている我々に向かって「これ分かった人手を挙げて!」と言われたことに、若気の至り、「手を挙げてもらって分かるのですか?拍手か何かしてもらった方が良いのではないですか」と分かったふうに言ったものである。
自宅へ帰って直ぐ、中心的に活動されている先輩の視障者から電話がかかり「あんな場で、当人にとってマイナスになるようなことを言ってはならない」ときつくおしかりをくったことを今でも覚えている。
教師のみではないが、目を失って現職でこれまでと同じように仕事を続けることは個人の努力だけでは勝ち得るものではない。
本来は国や社会の体制のなかで、現実的には、管理者の、そして同僚のしっかりした理解と支援がなければ、いつまでたっても「特例」の事例としてしか世の中に認められない。
彼は私立の高校の教師をしているが、最近視力が極端に落ちて来て、歩くのも白杖を使わないと難しい状態にあるという。
とにかく点字を覚えて仕事を続けていきたいとのこと。
きちんとしたリハビリは専門の施設で行うとして、休みの日に住まいの近くでこうした点字教室をやっていると聞いて出向いて来たという。
点字のルールを覚えることは容易であっても、中年になってから指先で触読するというのはなかなか大変なこと。それでも「点字」を自らの文字にしなければならないという集中力が1文字ずつを確実に読みとるようになってきた。
例会のゲストコーナーでは、実際に板書にどのように生徒に伝えていくかのデモもやってもらった。文字を書くのに斜めにならないように枠組みの有るものを板書に当てて書いていったり、予め模造紙に問題などを書いておいて、それを張り付けるなど、いろいろな工夫をしていることが感じられた。
しかし、時の流れの中で、学校が進学校になり、管理者の理解を得られぬままに、「障碍の有る教師」という特性を教壇で発揮する場を奪われてしまうことになる。
どんなにか無念で悔しい思いをし続けたことだろう。
家庭を守るということもあって学校へは黙々と通勤を続けた。ある時から盲導犬ユーザーとなり片道2時間近くかかるルートを歩き続けた。
しかし、学校は校内へ盲導犬を入れることを拒んだ。校外に犬舎をおいてパートナーはその犬舎の中で、ひたすら主人が「帰ろう!」と声をかけてくれるのを待った。
これより10数年前、小学校の先生だったIさんのことでも関わったことがある。
職場を追われそうになっておられたIさんを支援する会ができて地元の学校へ模擬授業をされるのに加わったことがある。それなりに工夫された授業であったが、模擬の生徒になっている我々に向かって「これ分かった人手を挙げて!」と言われたことに、若気の至り、「手を挙げてもらって分かるのですか?拍手か何かしてもらった方が良いのではないですか」と分かったふうに言ったものである。
自宅へ帰って直ぐ、中心的に活動されている先輩の視障者から電話がかかり「あんな場で、当人にとってマイナスになるようなことを言ってはならない」ときつくおしかりをくったことを今でも覚えている。
教師のみではないが、目を失って現職でこれまでと同じように仕事を続けることは個人の努力だけでは勝ち得るものではない。
本来は国や社会の体制のなかで、現実的には、管理者の、そして同僚のしっかりした理解と支援がなければ、いつまでたっても「特例」の事例としてしか世の中に認められない。
2009年11月27日
ステントが入った!
病状の話ばかりで恐縮だが、ここ2・3ヶ月の間に16・7回も病院通いをすると、どうしてもこうした話題が先行する。
一昨日は、いよいよ体の中に金属の網でできたものを入れることになる。冠血管(心筋に栄養を与える血管)がかなり狭くなっており、それを広げてステントを入れるということになる。
かつては鼠径部から挿入したようであるが、最近では手首から挿入する。麻酔もその部分だけ。ワイヤーが血管を伝って心臓へ向かう感じは全く分からない。
バルンを膨らませて血管を広げるという。そのさい、に小さな血片が幾つか剥がれて末梢血管を塞ぎ、そのさい一過性に循環が滞って狭心症状が出るということであったが、多少胸が熱くなる感じはしたが、特に胸苦しいという感覚はなかった。
それでも1時間ちょっと心臓の中でごそごそされているのかと思うとあまり気持ちの良いものではない。口の中がからからになってくる。「終わりましたよ」と言われてほっとする。
今回の1泊2日の入院前日。病院からは「個室が全て使われている」と連絡が来る。これは困ったことだ。早速病棟へ電話を入れる。今回は盲導犬も連れていくことにしており、もし相部屋であったらユニスをどのように管理してもらうか。
また、持続点滴をしながら洗面所へ何度も往復するのもなかなか大変なことだ。責任者からは「何とかならぬか検討してみます」との回答。
個室・相部屋、結果半々の気持ちで朝出かけようとしていると電話がかかる。家人の「そうですか、ありがとうございます」と受け答えしているのを聴いて「よかった!」と安堵する。昨夜も、ステントを入れてもらうことよりも相部屋だったらどうしよう!という思いばかりが頭をしめていた。
今回も担当看護士はこの前と同じ若い男性Y氏。前回の入院のときは「見えない人」ということで、それなりに意識していたように感じる。気を使ってくれていることには感謝しつつも、笑い半分で「見えない者にできないのは行動と文字処理、それ以外のADLには問題無し!」ときっぱり言い切る。このような言葉も彼には率直に受け止めてもらえたようだ。
バーコードを入れたリストバンドを付けて名前のチェックなどをしながら「こんなのは本当はあまり好きじゃないんですけどね」と言う。次回、検査入院をしたときも彼が担当してくれたら、もう少しいろいろな話ができそうである。
ステントを入れると劇的に楽になる人もいるという。しかし正直なところ自覚症状としてはあまり変わったとも思えない。というよりも、そんなに血管が細くなっていたのかと自分では思っている。
ようするに鈍感なのか、我慢強かったのか!
全ては年のせいではないかと思い続けてきた。
心筋梗塞などを起こすと処置は時間勝負という。どこまでをデリケートにキャッチできるか?
むしろ、その感覚の方が今から心配である。
一昨日は、いよいよ体の中に金属の網でできたものを入れることになる。冠血管(心筋に栄養を与える血管)がかなり狭くなっており、それを広げてステントを入れるということになる。
かつては鼠径部から挿入したようであるが、最近では手首から挿入する。麻酔もその部分だけ。ワイヤーが血管を伝って心臓へ向かう感じは全く分からない。
バルンを膨らませて血管を広げるという。そのさい、に小さな血片が幾つか剥がれて末梢血管を塞ぎ、そのさい一過性に循環が滞って狭心症状が出るということであったが、多少胸が熱くなる感じはしたが、特に胸苦しいという感覚はなかった。
それでも1時間ちょっと心臓の中でごそごそされているのかと思うとあまり気持ちの良いものではない。口の中がからからになってくる。「終わりましたよ」と言われてほっとする。
今回の1泊2日の入院前日。病院からは「個室が全て使われている」と連絡が来る。これは困ったことだ。早速病棟へ電話を入れる。今回は盲導犬も連れていくことにしており、もし相部屋であったらユニスをどのように管理してもらうか。
また、持続点滴をしながら洗面所へ何度も往復するのもなかなか大変なことだ。責任者からは「何とかならぬか検討してみます」との回答。
個室・相部屋、結果半々の気持ちで朝出かけようとしていると電話がかかる。家人の「そうですか、ありがとうございます」と受け答えしているのを聴いて「よかった!」と安堵する。昨夜も、ステントを入れてもらうことよりも相部屋だったらどうしよう!という思いばかりが頭をしめていた。
今回も担当看護士はこの前と同じ若い男性Y氏。前回の入院のときは「見えない人」ということで、それなりに意識していたように感じる。気を使ってくれていることには感謝しつつも、笑い半分で「見えない者にできないのは行動と文字処理、それ以外のADLには問題無し!」ときっぱり言い切る。このような言葉も彼には率直に受け止めてもらえたようだ。
バーコードを入れたリストバンドを付けて名前のチェックなどをしながら「こんなのは本当はあまり好きじゃないんですけどね」と言う。次回、検査入院をしたときも彼が担当してくれたら、もう少しいろいろな話ができそうである。
ステントを入れると劇的に楽になる人もいるという。しかし正直なところ自覚症状としてはあまり変わったとも思えない。というよりも、そんなに血管が細くなっていたのかと自分では思っている。
ようするに鈍感なのか、我慢強かったのか!
全ては年のせいではないかと思い続けてきた。
心筋梗塞などを起こすと処置は時間勝負という。どこまでをデリケートにキャッチできるか?
むしろ、その感覚の方が今から心配である。
2009年11月18日
より確かな活動へ
本来であれば、月曜日に整形の手術予定のため金曜日に取りあえず入院し、外泊して4期のアイヘルパー講座最終日を終え、日曜日には月例会に参加して、その後に病院へとって返して、明くる日の手術を待つという、やや強硬なスケジュールを考えていたが、結局術前の身体チェックで心機能に問題ありで、手術は年明けになりそうである。しかし、結果としてはこのほうが良かったのかもしれない。
他府県から入洛される視覚障害者を受け入れる「秋の特別企画」も11月に何件かの申し込みがあり、窓口担当には奮闘してもらっているが、アイヘルパーの調整までお願いすることはできない。術後数日たったら動けるだろうから入院しながらでも対処できると考えてはいたが、実際にはできたかどうか?
そこへ、百貨店から「アレルギー表示が変わるので書き直して欲しい」と、16店舗の点字メニュー製作依頼が飛び込んできた。家にいればダイレクトにパソコンを使って点字のデータのやり取りをしながら校正作業もできるが、入院先ではそういう訳にもいかない。
また、宅配弁当の音訳メニュー製作の準備にかかっているが、テスト版作りにも関わって、年明けには本番製作に取り進んでいけるかもしれない。
活動をする上では入院が延びたことで動きやすくなったが、病院で、せっかくスタッフを揃えて手術日を設定してもらったのに、年明けにも、そうしたチャンスが回って来るかどうかは分からない。
ボランティアとして、この慌ただしい1ヶ月間くらいの中で、それぞれのポジションを受け持って積極的に動いてくださっている心強いメンバー。
メニュー点訳では会員の中でしっかり受け止めてくださる人があり、また、他グループの人も快く引き受けてくださって、全ての点字メニューを一定の時間枠で製作しお店へ届けることができそうである。
音訳メニュー作りについても、録音を他グループの方にもお願いし、校正・編集とそれぞれの行程を分で4時間前後の音声メニューが出来上がるが、初めての取り組みでもあり、いろいろ課題が見えてくる。
読み方をどのように統一するか?敏速に音声データをやり取りするにはどのような方法を使うのが良いか?などなど、それぞれが積極的に関わってくださっている。
入洛する視覚障害者のための特別企画についても、幾つかのコースを下見もしながら何人もの人がそれぞれのコースを提案してくださった。
今、こうして前向きに活動してくださっているエネルギーを絶やすことのないよう、より確かな方向性とチームワークを大切にしていきたい。
他府県から入洛される視覚障害者を受け入れる「秋の特別企画」も11月に何件かの申し込みがあり、窓口担当には奮闘してもらっているが、アイヘルパーの調整までお願いすることはできない。術後数日たったら動けるだろうから入院しながらでも対処できると考えてはいたが、実際にはできたかどうか?
そこへ、百貨店から「アレルギー表示が変わるので書き直して欲しい」と、16店舗の点字メニュー製作依頼が飛び込んできた。家にいればダイレクトにパソコンを使って点字のデータのやり取りをしながら校正作業もできるが、入院先ではそういう訳にもいかない。
また、宅配弁当の音訳メニュー製作の準備にかかっているが、テスト版作りにも関わって、年明けには本番製作に取り進んでいけるかもしれない。
活動をする上では入院が延びたことで動きやすくなったが、病院で、せっかくスタッフを揃えて手術日を設定してもらったのに、年明けにも、そうしたチャンスが回って来るかどうかは分からない。
ボランティアとして、この慌ただしい1ヶ月間くらいの中で、それぞれのポジションを受け持って積極的に動いてくださっている心強いメンバー。
メニュー点訳では会員の中でしっかり受け止めてくださる人があり、また、他グループの人も快く引き受けてくださって、全ての点字メニューを一定の時間枠で製作しお店へ届けることができそうである。
音訳メニュー作りについても、録音を他グループの方にもお願いし、校正・編集とそれぞれの行程を分で4時間前後の音声メニューが出来上がるが、初めての取り組みでもあり、いろいろ課題が見えてくる。
読み方をどのように統一するか?敏速に音声データをやり取りするにはどのような方法を使うのが良いか?などなど、それぞれが積極的に関わってくださっている。
入洛する視覚障害者のための特別企画についても、幾つかのコースを下見もしながら何人もの人がそれぞれのコースを提案してくださった。
今、こうして前向きに活動してくださっているエネルギーを絶やすことのないよう、より確かな方向性とチームワークを大切にしていきたい。
2009年11月11日
ついに先送りになった手術
「90%は狭心症だと考えられるが10%の可能性を求めて検査を」ということで実施したカテーテル造影検査。
その結果は、右冠動脈の数カ所が細くなっており、経費的冠動脈形成術(PTCA)というステントなる物を入れなければならなくなり、1週間後の整形の手術は年明け以降とずれ込むことになってしまった。
予定通りの日程であれば前に部長をされていた方が来られて立ち会ってくださるということであったが、日が変わることによって、そのチャンスは流動的となった。
循環器の結果を聞いて、整形の担当ドクターが仕事を終えてからであろう午後8時に私の病室を覗いてくださって「またスタート地点から考えて行きましょう。前部長に立ち会ってもらうことについては、どのように考えられるか?忙しい方なので日程を合わせて来てもらえるかどうかは分からないが?」との問いかけ。
素直な気持ちから言えば、経験豊かな人に立ち会ってもらえることは有り難いし、せっかくそうした機会を作ってもらえたことでもあり、日にちがずれ込んだからといって、やはりそのチャンスがあることは望みたい。
しかし、現に関わってくださる担当医に対して、その申し出は、ある意味では「頼っていない」と捕らえられてしまわないか。
しばし躊躇した後、それでも一生に一度の手術にさいして患者としての気持ちは素直に伝えておいた方が良いと思い、「今回設定していただいたことでもあり、もし可能であればお願いしたい」と、やや目線を落としてお願いする。
今回の検査入院は1泊2日。夜には家人にユニスを連れて帰ってもらうとして、日中傍においておくのに個室の方が良いと考え、そのように申し出る。ちょうど空いているところがあったが、トイレは付いていない。トイレまで歩いて行くにはかなりの距離があり、溲瓶を借りることにする。
私の担当看護士は若い男性。これまでにも各科で問われた既往歴や体重や身長にいたるまで、またまたご丁寧に訊ねられる。集中カルテになっているのであれば、この当たりの作業はもう少し何とかした方が良いと思うが。
対応してくれる彼の行動を見ていても感じるが、医療の学習を終えただけというだけではなく、人との関わりをどのようにしていくかがこの世界においても大きなウエイトをしめてきていることを痛感する。確かに患者との関わりの中で、目線も言葉遣いも「やらせてもらっている」という雰囲気に変わってきている。
手首から血管を通して心臓までカテーテルを送り、そこで血管がどのようになっているかを見ることができる。ほとんど苦痛もなく、そうした作業ができるようになった。医療は日の当たっている所では恐ろしいほどの進歩である。
その結果は、右冠動脈の数カ所が細くなっており、経費的冠動脈形成術(PTCA)というステントなる物を入れなければならなくなり、1週間後の整形の手術は年明け以降とずれ込むことになってしまった。
予定通りの日程であれば前に部長をされていた方が来られて立ち会ってくださるということであったが、日が変わることによって、そのチャンスは流動的となった。
循環器の結果を聞いて、整形の担当ドクターが仕事を終えてからであろう午後8時に私の病室を覗いてくださって「またスタート地点から考えて行きましょう。前部長に立ち会ってもらうことについては、どのように考えられるか?忙しい方なので日程を合わせて来てもらえるかどうかは分からないが?」との問いかけ。
素直な気持ちから言えば、経験豊かな人に立ち会ってもらえることは有り難いし、せっかくそうした機会を作ってもらえたことでもあり、日にちがずれ込んだからといって、やはりそのチャンスがあることは望みたい。
しかし、現に関わってくださる担当医に対して、その申し出は、ある意味では「頼っていない」と捕らえられてしまわないか。
しばし躊躇した後、それでも一生に一度の手術にさいして患者としての気持ちは素直に伝えておいた方が良いと思い、「今回設定していただいたことでもあり、もし可能であればお願いしたい」と、やや目線を落としてお願いする。
今回の検査入院は1泊2日。夜には家人にユニスを連れて帰ってもらうとして、日中傍においておくのに個室の方が良いと考え、そのように申し出る。ちょうど空いているところがあったが、トイレは付いていない。トイレまで歩いて行くにはかなりの距離があり、溲瓶を借りることにする。
私の担当看護士は若い男性。これまでにも各科で問われた既往歴や体重や身長にいたるまで、またまたご丁寧に訊ねられる。集中カルテになっているのであれば、この当たりの作業はもう少し何とかした方が良いと思うが。
対応してくれる彼の行動を見ていても感じるが、医療の学習を終えただけというだけではなく、人との関わりをどのようにしていくかがこの世界においても大きなウエイトをしめてきていることを痛感する。確かに患者との関わりの中で、目線も言葉遣いも「やらせてもらっている」という雰囲気に変わってきている。
手首から血管を通して心臓までカテーテルを送り、そこで血管がどのようになっているかを見ることができる。ほとんど苦痛もなく、そうした作業ができるようになった。医療は日の当たっている所では恐ろしいほどの進歩である。
2009年11月06日
手術前ばたばた劇
1ヶ月前、東海道五十三次・盲導犬ウォークリレーで12km歩いて、夕刻から懇親会に参加し、常よりはちょっと多めのビールを飲んでの帰宅の道、地下鉄から地上に上がる88段の階段をそこそこのスピードで上がり切ってバス停でバス待ちをしているとき、常よりはちょっとしんどいかなとの思いで、手首を握ってみると何やらイレギラーな脈が触れる。
まあ時々数分こんな時もあるのでと、バスに乗るが、バスから降りて自宅へ帰っても不整脈は続いている。結局、夜間ずっとそんな調子が続いて朝となる。こんな状態が続くのなら近くの医院で診ておいてもらった方が良いかと出かける準備をしかけていると脈は正常な拍動になっている。それでも念のためにと受診するが、もはや心電図上にもそうした波形は出ていない。
しかし、手術前チェックということで数日後病院へ出向いたさい、先日のことを話すと「調べておいた方が良い」ということで、まずは24時間持続の心電図計を付ける。また、日を変えて負荷試験というので自転車・エルゴメーターを使って10分ちょっと心電図を取る。トレッドミルの方がより確実なデータを得られるとのことだったが見えぬ者にはちょっと危ないのではないかと言われてあまんじることにした。
さて、検査結果はいかに?と循環器内科の担当医の前に座ると「さあ何とも言えぬところだが、念のために調べておいた方が良い」とのこと。予定の手術日は近づいているが、検査の方は予約が詰まっているようで、「それなら薬剤負荷テストをしますか」とのこと。こうなったら、体験するもの何でもこの機会に受けてみようと開き直った気持ちになる。薬を入れて通常の脈の倍くらいの早さまで心臓を動かして心電図とエコーで確認する。この検査室にもうユニスと何回来たことか。すっかりおなじみになったようだ。家人とユニスは廊下で待っているのだが30分以上の検査になると心配なのか鼻を鳴らすという。廊下に出て来ると前足を上げて喜ぶ。傍目には何とも愛らしい姿に見えるだろうが、本来の盲導犬としては望ましくないともいえる。
再度、内科医の前に座る。「狭心症の疑いがある。この検査では90%の確率」と言われてしまう。「とにかくカテーテル検査をして10%の所の確認と、具体的にどの部分の血管が狭くなっているのかを調べる」ということで、またまた検査入院となる。
この入院は急なことで、ユニスを訓練センターへ預ける段取りも出来ていない。取りあえず「盲導犬と一緒に検査入院したいので個室を使わせてもらいたい」と願って出る。その段階では分からないということであったが、翌日に「使えます」と電話連絡があってまずは一安心。
それにしても、1週間前に近づいた手術予定日だというのに、カテーテルの検査結果を待たないと最終的な結論が得られないという何とも不安定な状態にある。
いっそのこと、先延ばしにしてもらった方が時間も取れて良いような気分だが、病院側としても「手術すること」が前提にあるので、検査の結果が「良し」であれば予定通り、となるのだろう。
それにしても、老化現象が現れている術前の患者。いろいろな検査をすればあちこち問題箇所が出て来るのではなかろうか。多くの検査をすることで医療費も相当なものになるだろう。
我が身体を見据える前に、視覚障害者として、医療にまつわる社会問題として、いろいろ考えさせられることの多い数カ月である。
まあ時々数分こんな時もあるのでと、バスに乗るが、バスから降りて自宅へ帰っても不整脈は続いている。結局、夜間ずっとそんな調子が続いて朝となる。こんな状態が続くのなら近くの医院で診ておいてもらった方が良いかと出かける準備をしかけていると脈は正常な拍動になっている。それでも念のためにと受診するが、もはや心電図上にもそうした波形は出ていない。
しかし、手術前チェックということで数日後病院へ出向いたさい、先日のことを話すと「調べておいた方が良い」ということで、まずは24時間持続の心電図計を付ける。また、日を変えて負荷試験というので自転車・エルゴメーターを使って10分ちょっと心電図を取る。トレッドミルの方がより確実なデータを得られるとのことだったが見えぬ者にはちょっと危ないのではないかと言われてあまんじることにした。
さて、検査結果はいかに?と循環器内科の担当医の前に座ると「さあ何とも言えぬところだが、念のために調べておいた方が良い」とのこと。予定の手術日は近づいているが、検査の方は予約が詰まっているようで、「それなら薬剤負荷テストをしますか」とのこと。こうなったら、体験するもの何でもこの機会に受けてみようと開き直った気持ちになる。薬を入れて通常の脈の倍くらいの早さまで心臓を動かして心電図とエコーで確認する。この検査室にもうユニスと何回来たことか。すっかりおなじみになったようだ。家人とユニスは廊下で待っているのだが30分以上の検査になると心配なのか鼻を鳴らすという。廊下に出て来ると前足を上げて喜ぶ。傍目には何とも愛らしい姿に見えるだろうが、本来の盲導犬としては望ましくないともいえる。
再度、内科医の前に座る。「狭心症の疑いがある。この検査では90%の確率」と言われてしまう。「とにかくカテーテル検査をして10%の所の確認と、具体的にどの部分の血管が狭くなっているのかを調べる」ということで、またまた検査入院となる。
この入院は急なことで、ユニスを訓練センターへ預ける段取りも出来ていない。取りあえず「盲導犬と一緒に検査入院したいので個室を使わせてもらいたい」と願って出る。その段階では分からないということであったが、翌日に「使えます」と電話連絡があってまずは一安心。
それにしても、1週間前に近づいた手術予定日だというのに、カテーテルの検査結果を待たないと最終的な結論が得られないという何とも不安定な状態にある。
いっそのこと、先延ばしにしてもらった方が時間も取れて良いような気分だが、病院側としても「手術すること」が前提にあるので、検査の結果が「良し」であれば予定通り、となるのだろう。
それにしても、老化現象が現れている術前の患者。いろいろな検査をすればあちこち問題箇所が出て来るのではなかろうか。多くの検査をすることで医療費も相当なものになるだろう。
我が身体を見据える前に、視覚障害者として、医療にまつわる社会問題として、いろいろ考えさせられることの多い数カ月である。

